第105話 僕の憧れへ
深夜。『蝶の羽ばたき亭』ベランダで僕、中村賢人は頭を抱えていた。
「……もう、こんな時間……か」
夜のルべリオス王国は昼間とはまた違った顔を見せてくれる。
下を覗くとおじさんたちが酒瓶を片手に談笑しているし、出店の明かりが道に沿うように光の線を繋いでいる。
影山君の話によると、特に今夜は遠征のためにダンジョンから追い出されてしまった冒険者が溢れていて、都市を網羅している音と光の脈も格別らしい。
「何しているんだろう、本当に」
あの後影山君は、病室では何だろうと最近よく利用するという宿に案内してくれた。
そして僕はこの場所で彼に示すべき答えを考えたはいいものの、夕方を通り過ぎて夜を迎えてしまったという訳だ。
三人の前で、あれだけ偉そうな言葉を吐いて貰った時間を、食い潰した結果がこれなのだろうか?
そもそもこの世界に召喚されてから、考える時間は溢れるほどにあったはずなのだ。雀の涙ほど延ばしてもらって、何を新しく思いつくというのか。
「……っは」
あまりの情けなさに力のこもらない笑い声が漏れた。
この空に朝日が昇った時、僕は何をしているのだろう?
何とか理由を整えて、影山君に話しているかもしれない。もしくは、意気消沈しながらルべリオスの黄金槍の上を、とぼとぼ歩いて王城に帰っているかもしれない。
松明を一つも持たずに暗闇の中を歩くようで、僕自身の居場所もこれから行く先も漠然としていて全く見当がつかない。
そんな現実から覚えるものなんて不安と恐怖しかなかった、今すぐ消えてしまいたいと心底願った。
――いっそのこと、このベランダから飛び降りてしまえば楽になるのかもしれない。
「お~い、下に何か落としたのかい?」
声を掛けられて、悪いことをしたわけでもないのに体がビクリと震える。振り向くと木の下駄が見えた。
僕たちが影山君と話し合っている時に後ろからこちらを見据えていた少女、名前は――確かクラマさんだったはず。
三本の串を右手の四本の指で挟みながら焼き鳥を頬張っていて、純白の山伏装束にタレが付着しそうである意味ハラハラする。
「夜景を望みながら物思いに
「……悩みたくなかったです。最初から、答えが用意されていれば楽なのに」
こんな余計な心のしがらみを持っているせいで、僕自身の足を引っ張っているとは考えられないだろうか?
「そんなこと言うなよ坊主」
彼女は僕の隣で手すりに背中を向けて寄りかかり、一口鶏肉にかぶりついた。
「始めから何もかも悟ってみなよ。
心に微風も追い風も吹雪さえない。そんな無風状態、何が楽しい」
「でも……しっかりと前には進むことができないでしょうか?」
遠藤君のように影山君と出会う前から目的を持てて、誘いに即決できていたならどうだろう。今頃僕の体の問題は解決して、その先に挑めたはずだ。
クラマさんは、動かしていた口を止めて僕のさえない顔をじ~っと覗き込んだ。
「苦しそうだねぇ、そんなに答えまでの兆しが見えないかい?」
「…………はい、すみません」
「あたしに謝ってどうするのさ」
「す、すみません」
「ま~たまた」
もはや癖になってしまった僕の平身低頭を、彼女はカカカと笑い飛ばしてくれた。
――『だから僕が強くなるための理由を見つけるまで、首を縦に振れません』――
「……結局、僕が強がりたかっただけなのかな」
影山君にぶつけた僕の本音を思い返す。
「無理な仕事に可能だって見栄を切って、皆に頑張っている誠意を見せて僕が安心して……」
そう、見せている
今もせっせとそんな見せかけの誠意をこしらえている、いつか中身が白日の下に曝されると分かっているのに。
「出来もしないものを言い張ることが、僕自身にできる精一杯だったんです。
馬鹿に……見えますよね?」
心の奥底に押し込んでいた気持ちを吐き終わって気が付く、僕はいったい何を話しているのだろう。
彼女の闊達な気性に甘えてしまっていた、僕の友達でもお母さんでもないというのに。
「も、申し訳ありませんでした。こんなお祭りの日にする話じゃありませんでしたよね。
すみません、別のところで考え直してみます」
そそくさと逃げるように彼女に背を向ける、この問題は僕が答えを見つけないといけないのだから。
賑やかな喧噪も、華やかな街灯も今の僕には浴びる資格がない。
王城で過ごした時のように、誰にも迷惑を掛けず一人静かでいられる場所を探さなくては…………――
「はい! ドオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
「うひゃわああああ!!」
背中を突如襲った衝撃に、クラマさんの勢いの良い声と情けない僕の声が二つの月が並んだ夜の中天へ吸い込まれる。
彼女が空いているほうの腕で、後ろから僕の肩に勢いよく腕を回してきたのだ。
「なな……何を!?」
思わず横を見ると奇麗な
「いや失礼、坊主が亀みたいでさ。
刺激を与えたら頭が外に飛び出すんじゃないか、と」
「ぎゃ、逆効果じゃないでしょうか? 攻撃から身を守るためにますます閉じこもるんじゃ」
「そうだったっけ? まぁいいさ、少なくともあたしの目は見るようになったじゃないか」
指摘されて気が付いた。思い返してみれば僕はクラマさんに声を掛けられてから、ずっと足元と服ばかりに目を落としていた。昼間もちらりと見た程度、面と向かっては一度もない。
「……人にどんな視線を向けられているのか、確認することが怖かったので」
「ほ~う」
すると彼女は僕の方に回していた腕を解いて、優しく肩をぽんぽんと叩いてくれた。
「なぁ坊主、言っちゃあ悪いがさ。
手も足も首も引っ込めて、周りの助けも交流も拒んで自分だけの力で解決しようとしていたんだろう?
考え自体は素晴らしいさ、ただね、」
一度話を区切って手元の鶏肉を一口、噛んで、飲み込んでから再開した。
「そこまで重石を括り付けてちゃ、
終いには海底で人知れずに溺死するだけだろうよ?」
「……そう……ですね」
現実を突きつけられているはずなのに、心に浮かんできたのは悲しみでも怒りでもなく安堵だった。
思わず視界が滲む。本当の僕を真正面から理解してくれた事がひたすら嬉しかった、この人の前では強がらなくていいという安心感が心の中を満たしてしょうがなかった。
「分かって……はいるんです、でも肝心の僕の心が……ぐちゃぐちゃで。人に……言葉でうまく伝えられなくて」
「そうかい? あたしが見たところ坊主の心はそう複雑怪奇じみてはいないさ」
「そん……な、まさか」
声が震えてしまった。笑っている訳じゃない、彼女にすべて心の中をすべて理解されたようで口がうまく動かせなかったのだ。
「少し、聞いてみるかい?」
「…………お、お願いします」
気づけば口が勝手に動いていた。僕の問題にここまで向き合ってくれたこの人ならあるいは……
クラマさんは僕の耳元に口を持ってきて、手で覆い隠しながら囁いた。
「……知らないふりしてるんじゃないか? 答えに」
「………………」
言葉を耳で
「………………え」
僕が一体何を隠しているというのだろうか?
隠すものさえ見つからないから、このベランダで悩んでいるというのに。
全くもって今までの会話とかみ合っていない。
……けれど、
……どうして、
僕の心と頭には、これほどまでに衝撃が走っているのだろう。
「だって……だって、それなら僕はどうしてここにいるのですか?」
「坊主がその答えを認めたがらないからさ」
足が思わず後ろへと下がってしまう、呼吸が僕自身でも分かるほどに荒くなっていた。
「認め……たがらない?」
クラマさんは口元にニヤリと笑みを浮かべて目を細めた。
「頭のどこかでその答えにこう卑下していないかい?
『その目的はあまりに
「…………」
言葉を紡げなかった、彼女から目をそらせなかった。
「無意識に思ったんだよ、こんな目的じゃクロ……影山を失望させてしまう。
だから、かっこよくて、深くて、偉大に見える目的を探し始めた。
要するにだ、坊主は『大見得を切りたい』んじゃなくて、『大見得を張りたい』んじゃないのかい?」
彼女の声色は僕を責めていなかった、まるで眠っている誰かを起こすような優しい声だった。
「……」
「そんな目的、白い
いくら探しても見つけられるはずがない、紛い物は作れるかもしれないけれどね」
「……」
何も言い返せない。言い返す気分さえ起こらない。
彼女の発言は一切の例外なく僕の心の混沌を晴らしていく、その言葉は間違いなく真実だった。
体温が上昇すると共に、頬と耳に血が上っていく感覚を覚える。
そうか、僕はここまで馬鹿な人間だったのか。
「あう!?」
自己嫌悪に陥ろうとしたその時、頭に衝撃が走る。精神的ではなく物理的なものだった。
クラマさんが僕の頭に軽く手刀を繰りだしたのだ。
「そんなに自分を虐めるなよ、むしろだからどうしたと言い聞かしてやればいいさ。
「……影山君は聞いてくれるでしょうか?」
僕の吐いた実に往生際の悪い台詞に、クラマさんは笑って頭に手を置く。ほんのりと温かな熱が伝わってきた。
「なぁ坊主。
聞くのは面接官でも審問官でもない、
今更自分を着飾ったって何になるのさ?」
「分かってはいるんですけれど、何というか……
影山君って……その、硬いというか……淡々というか……そんなイメージが強くて」
日本に住んでいた頃、クラスの中で僕から見た影山亨という人物は、面倒ごとを起こさず、だからといって何か主だった活躍をすることもなく、与えられた仕事を黙々とこなす印象だった。会社の厳格な上司がイメージとして近いかもしれない。
そんな人に自身が作った未熟な報告書を晒す恐怖が、今の僕を及び腰にさせていた。
そんな気持ちを悟ったのか、クラマさんが内緒話をするように再び腕を回してくる。
「あいつが強くなろうと思った理由、聞きたくないかい?」
「え!?」
さっき面白半分に聞き出したんだけどさ、と付け加える彼女に僕は目を丸くする。
黙ってコクコクと頷くと、小声で楽しそうに語ってくれた。
「……『目立ちたくない』だってさ?」
「……はい?」
呆気にとられる僕を見て、クラマさんはとても良い笑みを浮かべた。
「今『そんなことで?』って思ったでしょ?」
「いや……その……」
「正直に言いなよ、誰も聞いちゃいないさ」
「…………ごめっ……すみっ…………思いました」
感情を吐露した僕に、クラマさんは言葉を続ける。
「理解されなかったかもしれないし、馬鹿にされたかもねぇ。
それでもひたすら狂ったようにそれへ突き進んだ結果、今の力と場所がある。
『人と自分の尺度の違い』ってやつを、誰よりも理解してると思うよん?
だからまぁ、何が言いたいかって言うと」
勇気づけるように背中を平手でパンパンと叩かれる。
「とりあえず全部あらいざらいぶちまけな。
頭を抱えるのはその後でいいさ」
クラマさんの笑顔を見た後、僕は一度深呼吸を行う。
「ありがとうございました」
身体を直角に曲げてクラマさんにお礼を述べた後、ベランダから部屋へと身体を向けた。
家具を高速で横切って部屋のドアを勢い良く開け放つ、そのまま廊下を走って隣の影山君が宿泊している部屋へと飛び込んだ。
……冷静に考えれば別に走る必要はなかったけれど、心に灯った熱が身体を加速させた。
影山君は武器の点検をしていたようで、黒い刀を目の前に構えていた。
紙を咥えた顔がこちらへ振り向く前に、僕はまた90度に腰を折る。
「僕には好きな人がいます」
彼の返事を待たずにしゃべり出す。はっきり言って勢いだけで言葉を出していた。
「その人の前で僕は常に強い人でありたいです。
だから、お願いします」
王城で中曽根君からの痛みを隠した事も、大きな龍に向かっていった事も、すべては彼女の前だけではそう振る舞いたいからだった。
声を掛けてくれた言峰君のように、
そして暗い裂け目の奥で手を差し伸べてくれた騎士のように。
あのいつも僕に付き合ってくれた少女の前では、絶対的な心の支えになりたかった。
僕の心の中でバラバラだったもの、それが今は中心に集まって一つの
その
「……僕を『ヒーロー』にさせてください!」
僕の頭上でカチンと刀を鞘に収める音がする。
視界に影山君の足が映り、ポンポンと手で肩を叩かれた。
「2時間後、冒険者ギルドの地下に来てほしい。そこで君の身体の問題を解決する。
それまでは……近くの店でクラマや遠藤と祭を楽しんでいるといい」
「……はい!」
そのまま部屋を出て、今度は静かに扉を閉めた。
結局影山君がどんな表情を見ることは出来なかった、勢いで話してはいたもののさすがにそこまでの勇気がなかった。
ただ、扉を閉める前に……
「『美少女の前でカッコつけれないなら、命なんてくそくらえだ』、か……」
ぽつりと呟いた一言は誰に対してだったのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます