第103話 影の決断

 いつの間にか僕は暗い闇の底にうつ伏せに寝転がっていた。

 周囲は岩の壁に阻まれ、上の裂け目からは光が漏れている。

 どうしてこの場所にいるのかさえ記憶にない。ただ、早鐘を打つ心臓だけが、先ほどまでの全力疾走が現実だと伝えてくれた。


「おね……がい、生きて……」

 僕を大事にしてくれた彼女を想う。

 逃げることはできたのだろうか? 傷ついてはいないだろうか?

 僕一人に火龍が躍起になっているのなら、残っているのはあの鎧を着た人だけ。フィンケルさん達が集中して戦ってくれれば十分撤退の隙ができるはずだ。


「っ!」

 何かが爆発する音、膨大なエネルギーが着弾する音、撃ち合う甲高い金属の音、そして龍の叫び声。

 僕が抱いた希望をあざ笑うように何度も轟音が響き、地の揺れを肌で感じた。

 こんな地獄を生身の人間が生き延びられるのか、不安が心の中で膨らんだ。

 裂け目からのわずかな景色でもいい、人影がいない――撤退が成功したという安心できる材料が欲しい。

 起き上がろうと四肢に力を入れた。


「ぐぅ!?」

 まるで爆弾のスイッチでも押したように体に激痛が駆け巡った。

 高い場所から落下して、全身を強く打ち付けらしい。激しい運動後という状況も重なってうまく空気を取り込めず、深呼吸で痛み和らげることすらできなかった。

「くっ、あぁ!」

 片腕で地面を押して転がり、何とか体を仰向けにすることが出来た。

 引く様子を見せない鈍痛に耐え、必死に瞼を開けた先に映ったもの。それは僕が予想した以上の凄惨な光景だった。

 一面を炎が立ち込め、その輝きは天井に敷かれた膨大な量の煙を橙色に照らしている。

 奥で巨大な龍のシルエットが我が物顔でブレスをはいていた。


「むら……かみ、さん」

 どうか無事でいてほしい、そして気兼ねなく後の人生を謳歌してほしい。

 言峰君のそばなら何も心配することはない、才能に溢れていて力も持っているし何より生徒会長や女王様元老院のおじさんたちにとても信頼されている。

 未来のない僕なんか忘れて、どうか幸せに――――


「――置いて……いかな」

 強引に口を閉じた、押し込めるように手で口を塞いだ。

 絶対に口にしてはいけない、その言葉は今の僕にはあまりにも贅沢すぎるものだったから。

 火龍に走り出したあの時、この身を捨ててでも守りたいと覚悟したはずなのだ。今更自分の命が可愛くなるな。


 もう遅いと自分に言い聞かせる。今この体に許されているのは、外の成り行きを何もできずにただ傍観することだけなのだと。

「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 龍がいた後、ひと際大きな衝撃が周囲を襲った。

 近くに何か着弾したらしい。吹き飛んだ瓦礫が唯一の出口である裂け目を塞ぎ、視界が闇に包まれた。

 わずかに残った隙間から液体の流れる音が聞こえる。鉄の臭いがこの狭い空間に充満すれば、それが命の源であると理解できた。


 もう僕にこの血の池を泳ぐだけの力はない。

 溺れて死ぬのが先か、それともこの狭い部屋で限られた空気を使い果たして死ぬか。

「あぁ……最初からこうなればよかったのに」

 ようやく諦めがついた、さっきまで暴れていた心がスゥっと落ち着いていくことが分かった。

 誰も僕の最期を看取ってくれる人はいない。

 誰も僕がここに眠っていることを知る人はいない。

 当然のことだ。

 みんなが僕に良くしてくれたのに、僕から何か恩返しすることも出来なかった。周りの同情に甘えて無駄に過ごしてしまった。


 だから……これはきっと、

 二本の足で自立することもできない迷惑な寄生虫に対して、神様が与えてくれた天罰なんだろう――





















「この辺りか?」

 どれほど経ったのだろうか? とどろきは鳴りを潜め、静けさを取り戻したこの場所に『誰か』の声が聞こえた。

 僕にはもうここにいると叫ぶ元気もない。重いまぶたを辛うじて支えて、意識の続く限り目の前の成り行きを見続けようと決めた。

 すると、二度と開くことはないはずだった岩が動かされて、この闇の中に光が差した。


 抱えられた腕の確かな力強さに気張っていた意識が緩んだのだろうか、頭の中が安心とともに暗闇に沈んでいくことが分かる。

 せめてと目に焼き付けた最後の光景。それは、逆光で顔を見ることは出来なかったが、固き鎧に身を纏って堂々とした騎士の偉丈夫な姿だった。


 あぁ、僕も……あんなふうに……なりた……かっ――



◆◆◆



 鼻につんと刺す消毒液の匂いで目が覚めた。

 二人部屋の片方に寝かされていたようで、横を見ると区切りのカーテンが相方を遮っている。

 窓をのぞくと青い空に夏の雲がどんと構えていた。どうやら僕の体はダンジョンから地上に運ばれて、のんきに惰眠を貪っていたようだ。


 とりあえずと上半身だけ起こしてみる。

「……体が軽い」

 遠くはない過去の激痛から自然と身構えてしまったが、恐れていた痛みはその片鱗さえ姿を見せなかった。

 同時に体を動かすたびに違和感を覚える。その正体は、腕を捲ると顔を見せるぐるぐる巻きの包帯だった。傷はもう平気だけど、念のためという意味合いでつけられているようだ。

 体を一通り動かして問題ないことを確認すると、途端にこの場所を占有している意味が無いように思えた。

 僕はもう重傷者でも何でも無い。だったらこのベッドを必要としている次の負傷者へ、速やかに譲るべきじゃないかと申し訳ない気持ちで満たされる。


 今の僕は病院の患者が着るような、ゆったりとした服に袖を通している。いつも着ていた装備はどこだろうと見回すと足下に一式揃えられていた。

「近くの人に声を掛けてから出ようかな……」

「……その必要はなさそうだ、中村」

 独り言のつもりで呟いた言葉を返されて、反射的に横のカーテンを開く。

 車輪が滑る音を伴って開けた視界の先には、思わぬ人物がベッドの上であぐらをかいて座っていた。

「遠藤……君?」

「他に誰に見えるんだ」

「いや……だって」

 遠藤秀介えんどうしゅうすけ君、足手まといの僕なんかとは違ってその力と頭脳でクラスの中でも一軍バリバリの実力者だ。

 村上さんやコトミネ君と同じ『先に進める人』……

「どうしてここに?」

「怪我をしたからに決まっているだろう」

 無益な質問はするなとばかりに目が鋭く細められた。

 その威圧に僕が肩を縮こませたとき、奥の扉が軽快に開いた。


 カランコロンと一人分の足音で、二人の人物が部屋へと足を踏み入れる。

「起きていたのか、災難だったな」

 一人目は男性だった。装備も髪も黒一色という暑苦しい服装で、唯一白い仮面を僕に向けて気遣う言葉を掛けてくれる。

 その後ろで長い黒髪の少女が、白い山伏風の装束をヒラヒラと揺らして錫杖を手にしている。その赤い瞳が僕を品定めするように、妖しく輝いていた。

 普段の僕なら彼女の査定を気にして、結果を真っ先に聞いていたのだろう。


「あ、あの……」

 だけどどうしてか、僕は黒衣の仮面男に声を掛けていた。

 ……この人の声を知っている。

 ……この人の雰囲気を知っている。

 口を開いて見たのはいいものの、具体的な内容は出てこなかった。

 当然だ、僕の中で色々な感情が突如として暴れ出したからだ。

 羨望、恐怖、不安、感謝、疑問、罪悪感、そんなものがぐちゃぐちゃに混ざっている。僕の脳味噌は、それらを言葉でまとめられるほど語彙力が豊富じゃなかった。

 ただ、これだけは言える。今ここで彼に声を掛けなければ、僕の何かが終わると。

 強迫観念にも似た強い気持ちに動かされて、言葉にならない言葉を彼へ投げかけようとした。


 しかし、この空間に次に響いた言葉は僕の隣から発せられたものだった。

「……お前は! いや、まさか」

 目がこれでもかというぐらい開いていて、何かを言いよどむ口は彼にしては珍しい。

 これほど取り乱した遠藤君は見たことがなかった、非科学的なもの……例えるなら幽霊でも合ったときのような素振りに近かった。


「さすが、と言うべきか。

君の前ではこの仮面は意味を成さないらしい」

「おやおやぁ?」

 男は観念した犯人のように額に手を当てて仮面を外す、後ろの少女が驚いたように肩眉を上げて彼を興味深そうに見つめた。

 そして、仮面の奥から現れた素顔に僕は唾を飲み込んだ。

 彼はもうこの世にいない、二度と会うことは出来ないと言峰君たちから聞かされていたからだ。

 決闘当日も部屋に引きこもっていたので、友達から話しか聞いていないけど。片方には勝利と景品、もう片方には死が与えられて決着がついたそうだ。

 ほんの一ヶ月前まで身近にいた人の死に、次は僕の番じゃないかとただ震えたことを覚えている。

 だからこそ安心した。

 だからこそ驚愕した。

 頭の形が、地の底にいた僕を拾い上げてくれた騎士のものだったのだから。

「影……山……くん?」

「相変わらずだな、二人とも」

 僕たちの硬直を余所に、目の前の級友は久しぶりに話すようにこちらに火傷の跡がついた顔を向けた。

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