第97話 化け物と災厄
彼の強大さはどれほどかと人に問うた時、誰も例外なくあの恐ろしい夜を語る。
『夜が明るすぎる』
聞けば呆れるような理由によって、空に浮かんでいた五つの月が二つにまで減ったあの夜を。
その事実に種族問わず誰もが彼に畏怖を抱く。
『彼の者が動くとき、情勢にかかわらず共闘関係を敷く』
仲の良くない人族と魔族との間で結ばれた数少ない条約からでも、それがいかほどのものか察する事が出来るだろう。
ヴラド・ロシュ・ドラクル
神格者――神と同格の力を所持すると伝えられた者達の、序列第二位を預かる吸血鬼始祖の名であった。
およそ人間が思いつく限りの恐怖を連想させる文字列。
それらすべてを魔女の鍋に放り込んで七日七晩煮込み、底に溜まった固形物を凝縮したかのような闇が立っていた。
遠藤秀介は腹の傷もまばたきすら忘れて、ただ食い入るように見つめる。
気を抜けば瞬時に消滅する、そんな圧倒的力の差が彼の神経を極限まで張りつめさせた。
「――災難であったな、人の子よ」
腹の底まで響く声に、遠藤は唾を飲み込み言葉を選んだ。
「……あんたみたいな……とてつもない……存在が」
「そう構えなくともよい、すでに毒も回りきり喋ることすら難しい身であろう?」
恐怖の象徴は前に屈み、必死に見上げる遠藤の視線に合わせる。
「……俺……何の用だ?」
殺すわけでも
これから死にゆく者の恐怖にゆがんだ顔を観察して優越感に浸っているのかと、遠藤の心にふつふつと反抗心が湧いた時、再び彼の口が動き出す。
「――余がこの世で最も愛好するは『不屈』であり、嫌悪するものは『裏切り』である」
「……?」
突飛な発言に、遠藤は彼の話の核心をつかめずに戸惑う。
「この日この場所で起きた一部始終を見とどけた、余はそちがこのまま息絶えることを
左腕を傷ついた彼の腹へと置くと、傷口を中心に黒い霧が発生した。
<神格者【ヴラド・ロシュ・ドラクル】より『神の破片』が贈呈されました。>
<個体名【
傷口が癒えていくと共に、ダイアモンドのような固く輝かしい物が心の中へ滑り落ちていくことを感じ取った。
「生きて成し遂げるがいい、年若い復讐者よ」
「……あんたの命令なんて……関係ない……俺は俺自身への……落とし前を着ける」
己のミスで仕留めそこなったあの従者が脳裏に浮かび、彼の瞳に光が宿る。
「……俺は、必ずあの女を殺す! 俺が前へ進むために」
<『神の破片』による個体名【
■■■
<
<
■■■
■■■
【炎魔術】Lv5、【水魔術】Lv4、【風魔術】Lv4、【土魔術】Lv4を『神の破片』と統合させ、
<
■■■
「――よかろう」
闇は満足そうに口元を吊り上げ、背を伸ばす。
先ほどの宣言に最後の力をふり絞ったのだろう、必死に持ち上げていた頭が地についた。
「
目的を終えた男が黒の外套を
「――勇者の実力を計るためにビルガメスを送ったが、予想以上の戦果のようだ」
闇の体が溶けるようにして消え去り、洞窟内には一人分の寝息がかすかに聞こえた。
◆◆◆
「ぐむっ!」
先ほど勇者一行と龍が戦いを繰り広げた大部屋、その場所で今新たに巨大なクレーターが生成された。
中心には先ほどまで通路にいたはずのビルガメス。顔から余裕は消え失せ、苦悶に満ちたうめき声が漏れた。
巻き上げられた土煙の向こう側から、埃一つついていない純白の鎧が姿を現した。
「……我の鎧に傷をつけたか」
鎧の胸部は、くっきりと
Sランク冒険者の攻撃ですら傷一つつかなかった強度を考えれば、撃ち込まれた掌底の威力は計り知れない。
騎士の
どう説明したとしても必ずどこかで矛盾が生じる、しかしそんなことはビルガメスにとって些細な問題であった。
ビルガメスは腰を上げ、戦斧を目の前の騎士に向けた。
「名乗るがよい、このビルガメスが貴様を戦士と認めよう」
しかし騎士は無言をつらぬき、彼から数歩の距離でその歩みを止めた。
「名乗らぬか、親に付け忘れられたか。もしくは名乗れぬ理由があるからか」
騎士は何も答えない、しかしビルガメスはその反応に満足げに頷いた。
彼も先の質問に期待してはいない、今頭を埋め尽くす事柄はただ一つ。
目の前の強敵に手加減なし、全力で打ち破ることだけであった。
「余の名はビルガメス。勇者のためにとっておいた我が闘志、貴様にぶつけるのも一興と見た」
口の端が吊り上がりギラギラと目を輝かす、戦いの中に生き方を見つけた
「先手は貰おうか!」
ビルガメスの姿がぶれたかと思えば騎士の背後に姿を現した、騎士が後ろに振り向くとその場には窪んだ地面があるのみ。
騎士はうろたえずその感情の読めぬ兜で上を見上げた、すると真上で斧を力いっぱい振り上げたビルガメスの姿を捉える事が出来る。
「むん!」
怒涛の攻撃が鎧の各所へ襲う、何度も打ち込んでいるはずなのにあたりに響いた音は一つのみ。あまりの連撃の速さに打撃音が繋がってしまったのだ。
しかし刃の隙を縫って一つの蹴りがビルガメスの腹へと直撃する、力を受け流すことはできず上へと吹き飛んだ。
「……なんという固さだ」
あの数の攻撃を食らってなおその鎧には傷一つついていなかった、先ほどの騎士たちを真っ二つにする勢いで打ち込んだというのに。
「な!?」
突如として背中と後頭部に衝撃が伝わる、目の前でパラパラと岩の破片が落ちる様子を視認して何が起こったのか知る事が出来た。
「我を天井に叩きつけるとは!」
部屋の高さは100mほどはあった。あの不明の塊は武器鎧合わせて数百㎏ある彼の巨体を、片足のみでここまで飛ばしたのだ。
天井を両足で蹴って加速をつけ、自由落下よりも早い速度で敵一直線に襲い掛かった。
斧を構え、騎士に会心の一撃を与えるための準備を整える。騎士はそれを確認しても回避する様子を見せない。
「面白い」
自らの体が騎士の真上まで近づいたとき、全力を込めた一撃が繰り出された。
深層に巨人と龍が存在するこのダンジョンでさえ屈指になるであろうその威力に対して、騎士が次にとった行動はビルガメスを驚愕させた。
両手で刃を掴み受け止めたのだ。指がめり込み、強固な素材で作られたはずの表面に
「ふん!」
騎士の声とともに掴んでいた箇所が砕け散る、破片が光を受けてキラキラと騎士をたたえるようにして周りを舞った。
「やってくれたな、我の力に長く耐えた自慢の武具だったのだが」
着地したビルガメスは言葉とは裏腹に満足そうに、欠けた部分に手を当てた。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
その時、騎士めがけて火龍が飛び掛かる。
いくら怒りで我を忘れていたとはいえ、近くでここまで大暴れすれば気付くのは当然だった。
「止めておけ、貴様では相手にならん」
ビルガメスが強く命令しなかった事もあるだろうが、龍は主の命令を無視して騎士へと体当たりをした。
龍には相手の実力を測る
そして、
通常の人間ならば肉片となり果てたであろう一撃はあっさりと受け止められ、巨大な壁に当たったように一歩も前進する事が出来ない、それどころか両腕で頭を掴まれて持ち上げられた。
騎士を中心に一回転させられた後、部屋の奥へと放り投げられる。
これもまた初めてとなる『投げ飛ばされる』という経験に戸惑い、壁に打ち付けられて体の各所から血を流しながら
「強い、しかしそれ以上に敬意を表せねばならぬようだ。貴様は」
ビルガメスは惜しみない称賛を敵に送る。
双方切り札を見せてはいないが、おそらく騎士の実力は己より上だと直感した。
しかし、力の格の大きさはそのものが辿った苦労の大きさに比例する。
先ほど
どれほどの地獄を見たのだろう。
どれほどの理不尽を打ち破ったのだろう。
「哀れみは向けぬ、代わりに我の力を見せてやろう」
その身に降りかかった境遇を
彼の戦いにおける心得であった。
ビルガメスの周りの小石が彼を中心に回転し始める、壁に囲まれた空間だというのに風が騎士のマントをはためかせる。
そよ風から次第に強くなっていき、それが突風となったときには彼を中心に一つの竜巻が出来ていた。
彼の巨躯が宙に浮かんでいるのだから、もはやその風力は想像だにできない。
「誇るがいい、この技を見せたのは貴様で二人目だ」
彼が両腕を突き出すと竜巻は龍のようにしなり、頭突きをするように騎士へと直撃した。
魔力が乗せられた実体のある暴風のようで、通り抜けることなく騎士の体に力を加え続ける。
騎士は体全身で受け止めて持ちこたえてはいるが、先ほどの火龍とは違ってじわじわと後退していた。
さらに数えきれないほどの金属音が彼の鎧から鳴り響く、空気の壁の中に無数の風の刃が含まれているようだ。
「っ!」
足場にしていた岩が切り刻まれ、地に足がつかなくなった騎士は、そのまま竜巻ごと部屋の壁まで吹き飛ばされた。
壁を大きくくり抜き、奥が見えないほどの洞窟を新たにこしらえたところでようやく風がやんだ。
その時、ビルガメスの耳についていたイヤリングが発光する。
何度か点滅を繰り返すと、彼の満足げな表情が目に見えて不愉快に変わった
「おのれ……ヴラドめ。
面白くなってきたというのに、ここで我に撤退しろというのか……」
拳を握りしめて怒りを抑えた後、息を吐いて懐から一つの宝玉を取り出した。
「勝敗がつけられぬことを詫びよう、強き者よ。
また機会があれば、存分に語り合おうぞ!」
宝玉が激しく
「……二度とやるか。こんな慣れないこと」
洞窟の奥でぽつりと独り言が聞こえた。
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