第96話 戦斧は止められる

 喉が焼けるように熱い、足の筋肉が悲鳴を上げている。

 必死に走っているのに周りの景色は全然変わらない、本当に体を動かしているのかもう感覚さえ分からなくなってきた。


「中村君!!」

 遠くで村上さんの声が聞こえてくる。

 振り向くと七瀬さんと柿本君に必死に抑えられていた、目に一杯涙を浮かべてくれている。


「何やってんだ、てめぇ!」

 中曽根君が怒声を浴びせてきた、どうしてそんな悲痛な面持おももちをするんだろう。このまま部屋の端まで走ればたぶん僕は死ぬ、目障りな僕が消えて喜ぶのは彼なのに。


「今だ、全員でビルガメスを叩け!!」

 フィンケルさんが仲間に指示を飛ばしている、総掛かりで鎧の人と戦えるみたいだ。


 僕が龍を引き付けたから、あの人たちが敵一人に集中できるというのは独りよがりだろうか?

 とにかく何かの役に立ったのならそれでいい。


 王城で取得できるスキルが一つもないと王女様から告げられた時、クラスのみんなは僕に無能のレッテルを貼った。

 中曽根たちのように僕を無職ニート呼ばわりして、殴ってくるのはまだよかった。

 それよりも辛かったのは、ほかのクラスみんなが僕をかわいそうな人だと普段より優しく接してきたことだった。

 僕が運から見放された奴だとクラスのみんなが諦め、役に立てないのは仕方のないことだと腫物のように扱うのが何よりも苦しかった。


 そんな僕が今、クラスのみんなの役に立っている。

 そう思うと体中が熱くなって、腹の底から力が湧いてくるような気さえした。

 とにかく今は力いっぱい走る、この先足がなくなってもいい。

 せめて、彼女の、村上さんの前では弱音なんて吐きたくない。




 あぁ、それにしても。

 僕はどこまで走ればいいんだろう。



◆◆◆



 龍がその巨大な足を地面へ叩きつける。先ほどの攻撃が逆鱗に触れたようでこちらに見向きもせず、渾身の力を込めたブレスを何発も浴びせていた。

 巻き上げた土煙と炎に隠れて確認は取れないが、その場にいた全員が先ほどまで自分たちの仲間であった者の死を覚悟した。

 彼の最期を見せたくなかったのだろう、町田が気絶させた村上を背負っている。


「機転が利き勇気もあった、しかし実力が伴わなかったな」

 ビルガメスが勇者たちへと向き直り、斧を構えた。


「勇者様、今しか逃げる機会がないぜ」

「あなたは……」

 彼の死すら作戦に利用するフィンケルを言峰が睨み付ける、しかし彼はそれを何ともないように受け流した。

「俺たちが一気にビルガメスへ飛び掛かる、持ちこたえている間にお前たちは出口に走れ。全速力だ」

「……!」

「文句なら後でいくらでも聞いてやる、あのナカムラってやつと俺たちの努力を無駄にしたいか?」

「……分かりました」

 言峰の承諾と同時にフィンケルの右腕が挙げられる、その合図を受け取ったパーティメンバーが一斉に動き出した。


 ビルガメスの右側でセシリアが剣を抜き、左側からフェリルという名の黒猫の獣人が構えをとった。

「フレイムストーム!!」

 ニーナが詠唱する声を号砲として、勇者たち全員が駆けだした。

 敵から一定の距離を保ちながら少年少女が横を通り抜けていく、ビルガメスはその光景に慌てることなく螺旋らせんえがく炎を斧で打ち払った。

 間髪入れずにセシリアとフェリルが頑健な体へと一撃を放つ、その速さ、威力、タイミングともに非の打ちどころはない。

 相手の実力を考慮しなければの話だが。


「笑止」

 片腕の一振りでレイピアと拳を弾き、フェリルの腹を蹴り飛ばす。

 強烈な一撃を叩きこまれた彼女はうめき声を出す暇すらなく、直線状に吹き飛んで壁に全身を打ち付けた。

 糸が切れた操り人形のように壁にもたれかかるが、彼女へ意識が向けられるほどフィンケルたちに余裕はなかった。


 セシリアが何度も剣閃を走らせるが、その鈍重そうな見た目からは想像もつかぬ素早さでレイピアに対応する。

 そして振り降ろされた一撃を彼が手甲で払った際、彼女の手に痺れが生じる。

 連撃が止まり、一旦距離を取ろうとした彼女の細い首が掴まれた。

「う……くぅ」

 剛腕を持ち上げられ、地面に届かぬ足を必死にバタつかせながら抵抗する。


「仮にも王国最強とほまれ高きSランク、この程度で終わるまい?」

「よくわかってるじゃねぇか」

 ビルガメスがフィンケルたちへと首を動かすと、ニーナが地面に手を当てていた。


「……!!」

 彼の注意が逸れた隙を突き、セシリアが渾身の力で彼の握力から脱出する。

「フレア」

 同時にフィンケルより魔法が放たれる。

 しかしそれは先ほどはなったフレイムボールのように燃え上がらず、光の玉が重力を無視して敵へと等速移動を続けていた。


 小賢しいと斧で叩き落すため踏み出そうとしたその時、足を取られることに気付く。

「なるほど……」

 見ると足元が氷結し地面に氷の膜が張っていた。先ほどの氷の剣士の連撃は注意を逸らすための囮であり、こちらが本命であったと悟る。

「だがそれだけか?」

 目の前まで迫った炎魔法を打ち返そうと斧が振り上げられる。


「アースウォール!!」

 ニーナの詠唱によって、ビルガメスを閉じ込めるように土壁が盛り上がった。

「むん!」

 バルトルトが大きく跳躍し、身に着けていた巨大な盾で蓋をする。


「成仏しろよ」

 フィンケルが両手を握りしめると即席の密室が大きく震え、壁となっていた土が四方へと飛び散る。

 【フレア】、それは炎によって武器を形作るのではなく、術者の任意のタイミングによって破裂する魔力で出来た爆弾であった。

 濛々もうもうと煙が立ち込め、炎の付いた土塊が辺りに転がる。


「ちったぁ効くだろ」

「どうでしょうな」

 再び盾を構えたバルトルトがフィンケルに反論する。

「奴は俗世の心胆を寒からしめた豪傑、この程度の苦難を踏破できぬようでは今日までに語り継がれる逸話はすべて妄言と言わざるを得ないでしょう」

 ひげを蓄えた口元から出る言葉に、フィンケルは苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。


「その通りだ」

 立ち込める煙の中より巨大な斧が生え、豪快に一周振り回す。

 発生したあまりの風圧に周囲の煙炎えんえんが吹き飛ばされた。


「逸話など所詮凡愚の語り事。

この戦斧を見るがいい、そして余の在り方をまなこに焼き付けよ」

 破損どころか傷一つついていない鎧がフィンケルたちに恐怖を与える、ビルガメスが一歩近づくだけで死が近づいてくようにすら思えた。


「余がその気になれば全員をほふるなど容易たやすいこと。

今まで生かしたのは貴様ら冒険者の覚悟に対する敬意である。

さて、」

 ビルガメスの姿がぶれると同時に地面が大きく窪む。


「うぐぅ!?」

 衝撃とともにうめき声が聞こえてきたのはフィンケルの横だった。

 向くとバルトルトの背中に手が生えていた、拳の一撃で構えた盾ごと腹を貫かれたのだ。

「安い盾だ、余の財宝を貸してやろうか?」

「お前!」

 魔法を放とうと腕を突き出した瞬間、顔を鷲掴みにされそのまま後頭部から地面へと叩きつけられる。

 一切の抵抗すらできないまま彼の瞳から光が消えた。


「そろそろ余は行く。

まだ戦い足りないのならまとめて来るがよい」

 周りを見渡すと騎士と勇者たちの姿は見えない、フィンケルたちの働きが無駄ではないという何よりの証拠であった。

 突然ビルガメスが腕を引く、肘が背後から襲いかかったセシリアの鳩尾に入った。

「う……」

 激痛に動く事さえ出来ず、腹を抱えてうずくまる。

 無防備な襲撃者に対して彼は追い打ちをかけようとはせず、興味がないように横を歩いた。


「安心せよ、急所は外してある。

傷が癒えた後、余の後を追いかけ来るがいい」

 足を震わせながら杖を構えるニーナを尻目に、強者はそのまま斧を担いで出口へと進む。

 部屋の奥では相変わらず、龍が扱いきれぬ力に身を任せて暴れていた。



◆◆◆



「……フィンケルさんがやられたらしいな」

「そんな……」

 洞窟の中を必死に逃げる勇者と騎士たち、その殿を務めていた柿本が背後から接近する強力な存在をスキルにて感じ取った。

 彼らの現状を知りえない七瀬は最悪の事態を想定し、言葉を失った。


「なんて奴らだ! ダンジョンの専門家だと気取っていたくせにこのざまか」

 近くの騎士が彼らを罵倒する、それが彼の遺言となった。

 音速に近い速度で鉄塊が飛来し、彼の顔面に衝突した。

 苦痛を感じずに死ねたことがせめてもの救いだろう、斧は騎士の体ごと地面へ突き刺さる。


「他人を吠えるならば犬にでもできる。

命を賭して守ったらどうだ? 貴様らが戦士を名乗るなら」

 洞窟の闇より姿を現した大男を見るものは少ない、ほとんどの者が向かい合うよりも背を向けるという選択をとったのだから。


「アースウォール!!」

 七瀬がせめてもの嫌がらせに洞窟の通路を何か所か塞ぐが、数メートルはある岩壁を石ころでも蹴とばすようにすべて体当たりで砕く。


「七瀬早く!!」

「待って俊君、あと一回」

 彼女が地に両手をつけようとしたその時、目前に巨大な塊が落ちてくる。

「先ほどの部屋での判断、中々に見る所があった。力の格を見ても貴様が一番上のようだ。

どうだ、一つ手合わせをしてくれまいか?」

 見上げるとビルガメスが斧を突き立ててこちらを見下ろしていた。

 

 思わず十歩ほど下がって構えをとる、それを戦いの合図だととらえた男は斧を振るった。

「待った、待った」

 彼女とビルガメスの間に柿本が割って入り、大剣の切っ先を敵のあごに向けた。


「俊君」

「七瀬、お前は心身ともに落ち着ける場所を見つけたんだ。

そう危険な場所に突っ込むなよ」

 賢者の不安そうな顔に笑顔を向ける、手がかすかに震えていた。

 彼女の背中を押して出口へ走らせる、


「その勇気は貴様の死を代償にしても奮い起こすものか?」

「美少女の前でカッコつけれないなら、命なんてくそくらえだ!」

 少年の叫びに歴戦の男の口元がニヤリと綻んだ。

「いいだろう、磨き上げた剣術存分に振るうがよい」


 しかし彼がいくら意地を持とうとも、気力はともかくその他全てをビルガメスが上回っていた。

 渾身の一撃はすべて弾き飛ばされ、痛む体に鞭打って再び向かおうともただいたずらに傷を増やすだけであった。

「くっ!」

 そして両手剣で防いだとはいえ、斧の直撃を受けてしまう。

 力を流しきれず身体が吹き飛び壁に叩きつけられた、それでも剣を突き立て足を踏ん張る。


「……本来であれば、勇者は殺さず実力を見るだけだったのだが。

貴様を見逃すのは、その覚悟を汚すものだと判断する」

 とどめとばかりに頭上高く斧が掲げられた。


「一撃で終わらせてやろう、遺言はあるか?」

「……パソコンのデータ消しといてくれると助かるぜ」

 彼の言葉の終わりと共に斧がギロチンの刃のように振り下ろされる、あまりの迫力に思わず彼が下を向いた。


 硬質な音が辺りに響き渡る、これが死の瞬間なのかと体の力を抜こうとしたその時。










 いつまでたっても意識は鮮明のままであると気づく。

「おん?」

 見上げると一人の騎士が籠手こてで、ビルガメスの斧を防いでいた。


 あり得ない。

 瞬時に柿本は騎士に疑問を抱く。

 あの騎士の体を鎧ごと切断して見せた斬撃が、薄い板一枚の防具で防げるはずがない。

 そもそも護衛の騎士はすべて言峰とその周りのハーレムのためのものであり、その他に分類される彼をいざというときに守るはずがなかった。


 なぜ、何で、どうして、次々と疑問が浮かんでくるが、確実に言えることはただ一つ。

 この騎士は彼の味方であった。


「相も変わらずだな、柿本盟友?」

 兜の奥より響いた声に柿本はつばきを飲み込んだ、それは彼の最も信頼する親友のものだったのだから。


「助けた方がいいか?」

「……ちょっと任せたいかな~なんて……」

 おどけた口調の柿本に鎧を身に着けた騎士は、指を一本立てた。

「十分稼ぐ、必死に走れ」

「イエッサァー!!」

 先ほどまでいうことを聞かなかった身体が嘘のように軽くなる、それは久々に聞けた友の声による嬉しさによるものか。

 

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