第95話 赤い悪夢
「驚いたよ、最近のメイドはダンジョンも掃除するのか」
言峰達が火龍の出現に言葉を失う少し前、別の洞窟で遠藤秀介は皮肉を口にしていた。
向き合っているのはヒルダいう名の少女、彼の従者である。
気立ての良い献身的なメイドとして周りから好かれていたはずなのだが、浮かべている薄暗く危険な表情からはとても同一人物とは思えない。
そもそも王城で帰りを待っているはずの彼女が、ダンジョンボス部屋にいること自体が異常なのだ。
「まぁそうですね。邪魔な人物を排除するという点においては、これも掃除の部類に入るでしょうか?」
袖にキラリと光が見えたかと思うと、いつの間にかその手に短剣が握られる。
「メイドが包丁以外の刃物を持ってどうするんだ?」
「ご心配なく、今から料理をするわけではありませんので」
そのまま剣先を遠藤に向ける慣れた動作からは、普通のメイドではあり得ないほどの鍛錬がうかがえた。
「おかしいな、従者の契約で主人を傷つけられないんじゃないのか?」
「確かに契約は結びましたが、私のご主人はあなたではありませんよ?」
首に巻いてあるチョーカーをさすり、遠藤に対して子馬鹿にした態度をとる。
「とぼけるのもそこまでにしたらどうですか? 聡明なあなたならこの状況をすでに察しているはずでしょう?」
「もう少しましな作戦を考えろとあいつらに伝えておけ」
ボスに挑むための準備も整い、クラスメイト達を待っていた遠藤に騎士から用事があると連れていかれたのがつい先ほど。
転移の魔方陣をあらかじめ仕組んであったのだろう、気づいた時には目の前の景色へと変わっていた。
「時として無駄に頭の回る人間は馬鹿になるのでしょうか?
あなたもコトミネ様達の行動に口出ししなければ、もっと長生きできたでしょうに」
「だろうな」
彼女がむける殺気に対して遠藤は怖がる様子を見せない、ただ腕を組み正眼で見据えるだけだった。
「後学のために教えていただいてもかまいませんか? あなたが勇者たちの行動にいちいち噛みついた理由を」
「別に深いわけはない、俺は俺の最善手を選んだだけの事」
「最善手? これが最善手ですか? ここで私に殺されることが?」
含み笑いとともに彼の表情を見る、特に
「はっきり言って、このまま言峰とハーレムどもに任せていたら、近いうちに勇者たちが死ぬだろう」
「そう言えますか? 私たちも全力で支援させていただきますが」
「なるさ、甘やかされた温室育ちの勇者どもに魔王との戦争なんて乗り切れない。
お前らの余計なお世話があったとしてもな」
「……随分とはっきりとおっしゃるじゃありませんか」
自らの行為を馬鹿にされたことへの怒りなのか、短剣を持つ手に少しばかり力がこもる。
「俺が言峰達にケチをつけるのは勇者たち全員の生存率を上げるため、お前たちの都合に左右されずに生き残るためだ」
「本末転倒だとは思いませんか? 生き延びたいのに私たちに喧嘩を売っては元も子もないでしょう」
「だから?」
「……はい?」
「お前たちの指示に黙って従って勇者全員仲良く崩壊するか、俺一人が王国に恨まれて生き延びる道が見えるか、どちらをとればよりクラスが確実に長く存続できるかなど比べるまでもないと思わないか?」
言葉には恐れもおびえも含まれていない、あまりに淡々とつなげる内容にヒルダが少々怯む。
「狂っています……まともな神経じゃない」
「何、俺にはこういうことしかできない不器用な男でな」
「そんな自己犠牲、出来るわけがない。出来るはずがない」
「さっき言っただろ? 比べてより良い……最善手を選ぶと」
ここにきて初めて口角を上げる遠藤に対して、底知れない恐怖を感じる。
内容に対して一切の感情を入れず、ただの事務処理のように淡々と述べる彼が底の知れない怪物のように思えた。
「あなたを今ここで始末します、絶対に」
彼女もそれは想定内、即座に手首を返し脇腹に襲い掛かる横薙ぎへと繋げた。
しかし腕を振り切るよりも先に手首をつかまれる。
「なっ、ぐうっ!?」
驚いた彼女の視界が大きく揺さぶられる、呆けた一瞬の隙をついて顎を下から蹴り上げられたのだ。
つかんだ男は片腕でハンマー投げのように彼女を空中で一回転舞わせた後、その勢いのまま地面へと叩きつけた。
手首をひねられ、持っていた短剣を地に落とす。
硬質な音が耳に届いたその時、彼女の脳裏に『敗北』の二文字が浮かんだ。
慌てて反対側の手で拾い上げようとしたが時すでに遅く、頼みの綱は目の前で蹴飛ばされ遠くの闇へと消えていった。
必死に起き上がろうとした頭を上から掴み、無慈悲に地面へと押さえつけて彼は己の従者だった者を完全に組み伏せた。
「そんな……素早さは私が上のはず……」
「ここまできて、まさか俺がお前たちの練習メニューに素直に付き合ったと思っているんじゃないだろうな?」
その言葉に彼女は抵抗をやめた。
「……命だけはお助けください、お願いします」
「ふざけんな」
自らを殺そうとした者の命乞いに、呆れと侮蔑の視線を投げる。
「叶うならば私が握る秘密をお教えしても構いません、ご主人様」
「お前に聞くことなど何一つない」
押さえていた頭から左手を離し、腰に差しているナイフの柄を握る。
「例えば…………影山亨の件についてなんてどうでしょうか?」
「……何?」
鞘から抜きかけていた刀身が止まった。
「本当に彼はティファを虐げていたと思いますか? 本当にあの決闘は勧善懲悪の物語だったと思いますか?」
「……お前は何をしって!?」
彼女の言葉に引き込まれかけたその時、目の端にすさまじい速さで接近する黒い影に気づいた。
メイドから飛び退くが、影が通り過ぎた瞬間腹部に激痛が走る。
「くっ」
反射的に腹を抑えればぬるりと不快な感触が伝わり、見ると手の平を赤い鮮血が濡らしていた。
さらに傷口より痛みとは別の何かが侵食してくる。
「武器に毒でも塗ってあったか……」
呟く間にも彼の体からは力が抜けて、立つことも億劫になり片膝を立ててうずくまる。
そんな彼の耳に何かを殴る音が聞こえる。
「この役立たず、私が呼んだらすぐに来なさい」
必死に首を持ち上げて前を見ると、紺色の外套をまとった小柄な人物がメイドの足元に倒れていた。
「……命の恩人に対して……随分と……乱暴だな」
「あら、まだ喋れたんですか?」
余裕を取り戻したのかメイドらしく優雅にこちらへ振り向く。
「隠していた力には正直驚きましたが、所詮は私より少し上程度。
これと二人掛かりに今のあなたが勝てるとは思いませんよね?」
彼の腹部から腸などの臓物は飛び出していない、派手な見た目とは裏腹に深く大きく切り裂かれてはいなかった。
しかし体に回った毒が厄介だった、即効性の神経毒らしく支える腕と足の感覚が徐々に失われていく。
万全の状態ですら苦戦するだろう相手に、今の状況がいかに絶望的か彼自身がよく理解していた。
「さて、毒が切れても面倒です。 やりなさい」
外套の人物は無言のまま、遠藤へ血が
しかし予想外は予想外を呼ぶようで、死神の鎌が彼へと振り下ろされることはなかった。
「きゃっ!?」
近くの壁が吹き飛び、光の柱が洞窟内を昼間のように照らす。
遠藤がその正体を理解するより先に、生み出された暴風が動けぬ彼の体を木の葉のように宙へ舞わせる。
「撤退よ! 早くしなさい!!」
放っておいても死ぬと判断したのか、メイドは外套の人物とともに危険なこの場を逃げるようにして駆けていった。
「何……が?」
言峰たちとは別行動だった遠藤に、別の洞窟での出来事など知る
毒の回った体を引きずって、飴細工のように溶けた岩石を眺めることしかできなかった。
■■■
【Name】《名前なし》
【Race】火龍 《魔物》
【Sex】女
【Lv】243
【Hp】3420
■■■
「くそったれ! この階層で出していい火力じゃねぇだろ!」
龍が吐き出したブレスはこの大部屋をほかの洞窟と開通させる程の一撃だった。幸い誰にも直撃はしなかったが、その威力に誰もが恐怖する。
「七瀬さん、転移魔法で僕たちを地上へ飛ばせないか?」
「皆さんが動き回りすぎて、敵と味方の分別がうまくできません。最悪の場合、ビルガメスと火龍を連れて町の中に転移させてしまう可能性があります」
圧倒的強者が誕生してからというもの、勇者たち一行は八方塞がりとなっていた。
そもそも龍種とは上位竜が千年を超える経験によって進化した最強種の一角であり、通常であれば入念に調べ上げ徹底的に弱点を突いたSランククラスの冒険者が、数パーティ規模の討伐隊を組んでようやく勝てる存在である。
間違っても荷物にしかならない未熟な勇者と、彼らに足を引っ張られる護衛たちが戦っていい相手ではなかった。
鞭のようにしならせた尾が、風切り音とともにこちらへ襲い掛かる。
直撃すれば前衛はすべて吹き飛び、この集団の半壊を招くような威力であった。
「セシリア!! バルトルト!!」
フィンケルの叫び声とともに、氷の髪が前線の
装備しているレイピアを横一閃に振れば冷気が斬撃のように飛翔し、地面に触れると同時に氷の壁が出現した。
暗い紫の鱗が透き通る氷と激突し、空中に氷の破片が派手に舞い上がる。
大きく勢いが削がれた巨大な鞭を、バルトルトと呼ばれた大柄な男が騎士とともに盾で受け止めて攻撃を防いだ。
「あああああ!!」
目の前の圧倒的強者への対抗策に夢中になっていたフィンケルの後ろで、金属を叩き割る音と絶叫が聞こえる。
「てめぇ!」
振り返ると勇者たちの周囲を護衛していた騎士が、残らず真っ二つに切り飛ばされている。
「そう喚くな、周りの取り巻きを潰したにすぎん。
襲い掛からぬ限り貴様らには手を出さんから、安心して龍と戦っていろ」
血の滴る斧を担ぎ、ビルガメスは余裕の笑みを浮かべる。
今ここで勇者たちを救うためにビルガメスへ攻撃を仕掛ければ、前門の虎後門の狼と挟み撃ちになって全滅するのは必至。
フィンケルら高ランク冒険者と残った精鋭騎士たちは、正面の強敵を攻略することに全力を注ぐしかない。
勇者と護衛、集団が二つに分断された。
「またブレスが来るぞ!!」
再び龍の口が開かれ、口内に膨大な熱量と光が集束していくことが分かる。
「撃たせるな!」
フィンケルやニーナが必死に魔法を繰り出すが、硬い鱗を貫くまでには至らなかった。
その間にも着々と攻撃の準備を整っていく、火龍もブレスの要点をつかんだのか先ほどよりもタメが長く放たれればもはや先ほどのような防御が不可能だと悟った。
恐怖のあまり誇りを捨てて逃げ出す騎士も数人現れる。
「この臆病者が、矜持も持たずに騎士になるから犬畜生の行動しか出来ぬのだ」
ビルガメスの言葉に賛同の声は起きない、彼のような強さと胆力の持ち主などこの場にはいなかった。
敵を屠るのに十分な威力がたまったと判断したのか、龍が首を動かしフィンケルたちへと照準を固定する。
まるで太陽のような輝きをもつ破壊の力に、思わず彼らが息をのんだその時。
「おおおお!!」
勇者の集団から一人の少年がビルガメスも騎士も横切って龍へと向かって駆ける。
「中村!!」
そのあまりにも予想外な人物に柿本が彼の名を叫んだ。
突然飛び出した彼に龍もまた虚を突かれたようで、ブレスを放とうとした姿勢のまま彼の姿をとらえる。
「これでもくらえ!!」
勇気を振り絞ったのであろう半ば涙目になりながら、その大きく開いた口へ一握りの袋を投げつける。
放物線を
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
口内に集まっていた光と熱は霧散し、まるで未曾有の痛みに耐えるようにのたうち回る。
「あいつ……目潰しの粉を龍に食べさせやがった」
ダンジョンに潜る前、勇者の面々に支給されていた品の一つであり、材料は貴重な唐辛子などといった強烈な辛さを含むもので作られていた。
それらが袋一つ分龍の舌へと乗ったのだ、悶えないわけがなかった。
「こっちだ!!」
フィンケルたちを救った英雄は龍の目の前を通りながら部屋の奥へと向かっていく、今まで味わったことのない痛みを与えられたことに憤慨したのかほかに目もくれず火龍もまた彼の後を追う
気弱な中村があの強大な生物の気を引いたことに、彼を知る誰もが驚きを隠せなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます