第91話 後ろの正面 ダァレ

 ――トン、トン、トン


 冒険者ギルドの書斎室、ペンを走らせる筆記音とページをめくる乾いた音が場を支配する。


「カレラ、書類が逆さまだぞ」

 ギルドマスターに名前を呼ばれた彼女は、机を指でつつくことを止めて素早く紙を半回転させる、しかし何か悟ったのか再びその紙をもう半回転させた。

「まったく、今からそんなに気を揉んでいてどうする。

勇者たちが相手にしているのはまだゴブリンやらスライムといったところだぜ?」

 指摘が耳に届いるのかいないのか、頬杖をついて顔を横にそむける。

 仕事の面では非の打ち所がないほどに優秀なのだが、このような意地っ張りな行動を見ればやはりまだ未熟を抜け出せていないというべきか。


 あと十数回場数を踏んでようやく一人前といったところか?

 まるで反抗期の娘でも見るように意地悪く口角を吊り上げて、ギルドマスターは背もたれに偉そうにふんぞり返る。

 その視線に気づいたカレラは面白くないように睨み返した後、書き終わった書類の角を整えてギルドマスターの机の上に置いた。

「補給分の物資の最終確認が終わりました、

これで今のところは何もやることはありません」

「そうか」

 パラパラと流し気味に目を通した後、判を押して脇に寄せた。

 いつものような雑多な喧噪はない、ダンジョンが封鎖された今、依頼を達成する冒険者、持ち掛ける依頼主の数が激減しているためすべて片付けるのに昼前と掛からなかった。


 やることのなくなったカレラはそのまま自らの椅子に着席するが、数分経てばあっちにふらふらこっちにふらふらと死霊レイスのように仕事場を彷徨さまよい始める。

 仕事中は業務に頭脳の大半をいていた彼女にとって、このような穏やかでのんびりした空間は実に不慣れであった。

 手持ても無沙汰ぶさたになった体でギルド中の椅子を直してみたり、担当の受付を整理してみたり、マニュアルを確認するがそれでもわずかな時間しか潰すことができない。


「カレラ、手が空いてるならちょっと頼みごとをしようか。

先日クロードがダンジョンから持って帰ってきた奴があっただろ?

それの傷やら状態やらを記録して報告書にまとめ上げて、俺の元に提出してくれないか?」

「分かりました」

 二つ返事の快諾に頼んだ当人も思わず眉を上げる、いつもならば激務にいそしんだ隈の深い目でこちらに無言の圧力をかけてくるはずなのだが、どうやら思っていたよりも重度の仕事中毒ワーカーホリックに掛かっているようだ。


「品物はそこまで多くはないが、別に今日中に片づけなくていいぞ。

空いている時間で紅茶片手にゆっくりやってくれればいいからな」

「そうさせていただきます。

確か奥の倉庫にしまってありましたね?」

 廊下へと去っていく後ろ姿を眺めながら、ギルドマスターは一つため息をついてコーヒーを啜った。

 

◆◆◆


 松明の明かりが荒い岩肌を照らす中、黒いマントに身を包んだ男は何も言わずに洞窟の中を進んでいた。

 湿った空気とこびりついたこけの臭いが陰鬱な雰囲気を作り出すが、仮面の上からではそれをどうとらえているのかも見当もつかない。


「……」

 何かを探しているかのようにしきりに辺りを見渡すが、どちらを向いてもサメ肌色をした岩石ばかり、それでも彼は奥へと進んでいく。


 ――カツン


 硬質な物同士を軽くぶつけたような音が進む先から響いてきた。

「……近いな」

 低く短く呟いて短剣の柄に手を伸ばす、本腰ではないが明らかな臨戦態勢の姿勢だ。

 一歩一歩しっかり踏みしめて前に進むとやがてやや開けた場所へとたどり着く、宿の一室よりは少し大きい程度で道も歩いてきた方角にただ一つ、文字通りの行き止まりであった。

 しかし男は戻ろうとはせずその場に立ち尽くし、五感を研ぎ澄ませて新たなる情報を待った。


 ――カツン


 幾度目になるか分からない音が鼓膜に伝わる、発信源はどこだと探せば近くにある岩の影からだと突き止めた。

 覗いた男は息を飲む、それはあまりにも自然の造形物とはかけ離れていたからだ、石を積み上げた土台の上に管が乗せられており、上から垂れる滴を受け止めて中には水が溜まっている。

 一定量が溜まると管が傾き、カツンと音を立てて水をこぼした。

 『ししおどし』

 頭に一つの言葉が浮かぶ、なぜこのような仕掛けがこんな場所に設置されているのか、いやそもそもなぜこれがこの世界に存在するのか。

 興味本位で筒に手を掛けたその時、


 男の首に腕が巻き付いた。


 そのまま上へと持ち上げられ締め上げられる、突然の襲撃に対応ができなかったようで男は抵抗することも出来ない。

「がっあぁ」

 うめき声をあげながら手足を痙攣けいれんさせるが、後ろの人影はそんなこと構うものかとさらに腕に力を入れた。

 ようやく男が組み付いている腕に手をかけるが、引き剥がす力が足りないのか添えているだけの格好となってしまう。


 やがてだらりと腕が垂れ下がり、踏ん張っていたはずの足も力なく曲がる、するとあれほどまでに締め付けていた腕はあっさりと男を解放した。

 支えを失った五体は重力のままに崩れ落ちる、仮面で覆われていない瞳には生気がこもっていなかった。


「よしっと」

 この場には似つかわしくない明るめの声色が襲撃者から漏れる、紫の長髪を揺らした少女は上手く事が運んだことに満足し腰に手を当てている。

「殺しはしないけどあなたにはしばらく眠っていてもらいます」

 無論返答はない、彼女も期待はしていないだろうが。

 男が持っていた松明を手に取って、懐から紙を取り出し指で書いてある事柄を注意深く確認する

 いくつかの項目に印をつけた後、犠牲者に対して申し訳なさそうな視線を向けた。


「ごめんなさいね、背後を取ってしまって。

これじゃ斥候職のメンツ丸つぶれでしょ?」

 男の肩を軽くたたき励ましの言葉を掛ける、計画が順調で余裕があるためか、その瞳には殺意も敵意もなくまるで未熟な弟を心配する姉のような親身な感情だった。


 顔の横にかがみ耳元に優しい声で囁く。

「悪いけどあなた一人に構ってあげられないの」

 言いながら入口のほうへと視線を向ける、その言動を見るに彼女の目的は男ではなく男が所属している輜重部隊にあるようだ。

 彼のマントの端を手に取り、満足げに口元をほころばした。

「あなたような全身を覆い隠す装束の冒険者が部隊に混ざっていることは幸運でした、体のラインも厚手の布で覆い隠すことができますし、何より仮面をかぶっているため顔を見られる心配もありません」


 ししおどしの筒を手に取り音を立てずに横に置く、斥候職の彼をおびき寄せるために他でもない彼女が仕掛けた餌だ。

 獲物が釣れた今、もう必要はない。


「部隊の仲間も同じく退場してもらいます。

安心してください殺しはしません、気絶させて一緒の場所に放り込んどいてあげますから」

 男が身に着けているマントの大きさを確認する、彼と比べるとやや身長が足りないが靴に仕込めば問題ない。


「さてさて……それじゃ仮面を拝借させてもらいましょうか」

「それは困る」

 突然の、あるはずのない、出来るわけのない会話に少女はこれ以上ないくらいに見開いた、仮面の奥から揺らぐことのない視線がこちらを見据えていたのだ。

 反射的に後方へと飛び下がり半身になって構えを取る、じっくりと相手に視線を合わせていると男はまるで寝起きのように肩をほぐしながら起き上がった。


「おかしいですね、ここは夢の中ではないですよ?」

「かなり効きましたよ、死ぬかと思いました」

 こちらの技に対して丁寧な賛辞を送っているはずなのに、首を痛そうにさすっているのに、まったくこちらに対して恐怖も憤慨もぶつけてこない。

 先ほどの首絞めから気絶までのすべては演技だった、その事実が少女の頬に冷や汗を流させる。


「何か叫ばないのですか?

ここからなら仲間まで一直線に届くでしょう」

「そうですね、そうなんですけれど」

 先ほどから彼は必要最小限の声量せいりょうしか出していない、奥に設置したししおどしの音が入口付近まで響くこの環境下でも、伝わるのはかろうじて彼女だけだろう。

 ここまで手をかけて静かに襲撃したことを考えれば、彼女が隠密を心掛けているということぐらいは容易に分かるはずだ。

 喉を大きく震わせれば目論見はご破産するだろうことは目に見えているのに。


「出来ることなら、ここで何もなかったことにしたいのですよ、こちらとしても」

「おや消極的ですね、理由をお聞かせ願ってもいいですか?」

 腰を深く落としながら、返答と隙を待つ。


「端的に言ってしまえば守るためです」

「何をですか? 仲間ですか? 家族ですか? 恋人ですか?」

「まさか、それほど大層なものではありませんが」

 含み笑いと共に男はマントについた砂を払った。


「私の素晴らしい休暇のためですよ、空白の二日間をあなたの調査と事後処理で潰したくはありませんから」

 独白をしながら恥ずかし気に頭に手をやったその時、男に決定的とも呼べる隙ができた、それを見逃すほど彼女も間抜けではない。

 備えておいた姿勢が思うよりも先に動いた、ほぼ地面と水平に跳躍して瞬時に間を詰めると、鉤爪かぎづめのように曲げておいた手が男の喉に噛みついた。

 もはや先ほどのような手加減はない、頸椎と気道を握りつぶそうと握力に全身全霊を注いだ。


「っ!」

 しかしすぐに手の平から伝わる違和感に背筋が凍る、人間の急所を確実に捉えているはずなのに、まるで太い鉄柱を掴んで健気に形を変えようとしているようだった。

 恐怖を抑えて見上げると、仮面の男は攻撃を繰り出す前と何ら変わらない態度でこちらを見下ろしている。

 

「話し合う気になりましたか?」

 戦慄する少女を前に、首を絞めている腕に手を掛けた。

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