第83話 影の語り手
「そんでめでたしめでたし、てかい?」
ルべリオス王都よりはるか遠くに存在する森にて、杯の中に月を照らし、彼女はぐいっと酒を飲み干す。
形のいい喉がこくこくと動き、一間おいてぷはぁと息を吐く。
自分ことクロードはその様子に何も言わず、ただ黙って眺めていた。
ギルドの酒場の宴も
幸い、いくつかの料理と酒を包んでもらっていたため、口に入れるものには不足しない、いや、今にして思えばその時の自分はこの状況を半ば予測して包んでもらったかもしれない、ギルドから出ようとしたときやけに五感がピリピリと危険を訴え、このまま帰れば何か恐ろしいことになると感じた。
…ただ今それはあまり重要ではない、そんなことよりも、
「いやぁ、喜ばしいねえ、あんたにも冒険者仲間ができるなんてさ、うん。
しかも同じ採取系の奴なんだしこれからも会う機会が多くなるだろうさ、これは祝わずにはいられない」
目の前のクラマへの対応が重要だ、文面上は自分の身の回りの変化を肯定している。
しかし、豆腐も切りようで角が立つように、彼女の喋る抑揚はどう感じてもこちらに対して一種の威圧をかけているようにしか見えない。
言い方を誤ればただでは済まない、それだけは足りない自分の頭でも理解できた。
「どうもありがとう」
あえて無視してこちらも文面に合わせた返答を返してそっぽを向いた、できるだけ相手の逆鱗に触れないように無難な答えで流してみる
すると白く透き通った腕が幽霊のようにこちらに伸びてきて肩を掴む、その握力は凄まじくステータスによって身体が強化されていなければ粉砕骨折を起こしたかもしれない。
「あたしが心の底からそんなこと言ってると思う?」
「いいえ、まったく」
即答した、今この状況でもしも答えに詰まるような事があれば、今晩枕を敷く場所がなくなる。
「別に探索に出かけたのとか、誰かを連れて行ったのとかを責めているわけではないんだよん。
あたしが釈然としないのはねもっとその前の事」
恐る恐る顔をクラマの側へとむける、すると少しばかり頬を膨らました彼女の不満そうな顔が飛び込んできた。
「ど~して、町でそんな面白そうなことが起きているのにあたしに伝えてくれなかったんだい?」
「てっきり把握しているものだと思っていたんだ」
そう、今回の件彼女はとある理由で参加することができなかった。
自身だけ蚊帳の外というのは、好奇心旺盛な彼女にとってさぞかし面白くなかっただろう。
「まったく、ヒコザンの奴が書類仕事を押し付けてきたせいで、こちとら一週間缶詰だったのに、その間あんたはレアな素材と、未知なる
「だからこうやってその時を語っているじゃないか」
「聞いていたら無性に体がうずくんだ、本当にそのイベントに参加したかったんだよん…」
掴んでいる腕が微小に震えているのが分かる、武者震いと悔しさが同時に彼女の中に発生したようだ。
「だったら、この話はここまでにしておこうか?」
「ぜひ続けたまえ」
クラマが肩を掴んでいた手を放し、話の続きをせがんでくる。
「…本当に、いい性格をしているよ」
「それほどでも」
皮肉に対してふふんと笑い、さあ話せと顔が訴えてきた、殺していたため息を盛大に吐く。
考えてみれば自分の親しい者たちはほとんど例外なく、性格が明日の方角にひん曲がっているような気がしてならない。
「とは言っても先ほどの話であらかた事の展望は語りつくした、後は要所要所の些細な記憶しか残っていないよ」
「ふ~ん」
期待してもらっているところに水を差すようで心苦しいが、先ほどの酒場の話でもうネタ切れだ、そもそもこのイベントに自分は進んで関わっていなかったので、話すことは限られている。
クラマの膨れる顔が来るかと身構えると、本人は予想に反して顎に手を当てて、ふむふむと何やら思考している。
「それじゃ質問してもいいかい?」
「答えられる範囲であれば…」
「クロードの話の中にずいぶんとわがままな貴族が出てきたじゃないか。
人のことを蛇みたいに言ってたくせに、本人は芋虫みたいに死んじゃった奴
そいつって何か探していたんだろ?」
人差し指を立ててくるくると回しながら、彼女は話の一点を突いてきた。
「ふむ…」
それに対して自分は片眉を吊り上げて、左手で軽く頭をかいた。
「そこが気になるか…」
「たとえ真実を知らなくても、あんたのことだから一通りの考察は済んでいるんだろん?」
彼女の確信したような眼をしばし見つめた後、一つため息をついて言葉を選ぶ。
「結論から言うと、考察なんてしなかった」
「うん?」
「ついでに言うと、考察する気すらない」
「おやおや?」
クラマはこちらに小首をかしげて、疑問符をぶつける。
「なんだい、あんたにしては珍しいねん…」
「まぁね、なんせ手に入れてしまったから考察する余地すらなかったんだ」
その言葉と同時に隣の動きが一瞬硬直し、やがて咳き込む音が響いてきた。
「そんな…ことなら…ケホ、早く行ってくれよん」
「まぁ…ね」
言葉とは裏腹にこちらの気持ちは深く沈んでいく、一旦食べ物を口に運ぶことをやめて何もない床に掌を当てた。
すると、影が不自然に動き出し、中から一つの装飾された筒状のものが浮かんできた。
「これは…かなり重要そうな書簡かな…たまに役人が国民の前で偉そうに広げて演説してるのを見かけるけど、ここまで金をあしらったものは初めて見たよん。」
彼女の言う通り、これはこの神聖ルべリオス王国において公式文書や勅命などといった重要書類を運ぶ際に扱われる入れ物だ。
装飾に使われる素材や、模様の形によってその書類の重要度などを示すのだが、これにあしらわれているのは黄金の鷲、少なくとも国家機密クラスに相当する。
「こんなものをあんたが持っているなんて知られた日には、暗部が血眼になって抹殺しに来るだろうさ。
闇の世界を生きる手練れがうじゃうじゃとね」
おお怖い怖い、と肩をすくめて見せる。
「その心配はほとんどないよ、少なくともこの書類の存在を知っているのはこの世界で君と私だけだ」
この書類を狙っていた連中ももう胃の中で溶けきっているだろう。
「なるほどなるほど。
つまりあたしがこれを見ても命の危険はないわけだ」
彼女の好奇心の視線が筒へと集中する。
「さっき暗部を怖がっていたはずなんだが?」
「いいじゃないか、情報取集者たるもの、触れちゃいけないことの境界線は心得ているよん。
それに、どうせ話してくれるつもりで証拠の品を見せてくれたんだろ?」
言い切ってにやりと笑ってみせた。
「まあ、その通りなんだが…」
彼女のすべて見通しているような言い方が、どうも素直に話そうとは思わなくなる、説明の仕方に一癖入れて一矢報いたい気持ちが心の中に湧き起った。
「そんじゃ、ご拝謁と」
内側にある好奇心に逆らわず彼女は書簡をつかもうと手を伸ばしてきた、持っている腕は反対側となるためこちらにやや寄りかかって取ろうとする。
「待った」
「おっとぉ?」
持った腕を伸ばし彼女から目当てもの物を遠ざける。
「中身を見る前に一つ、君の推理で当ててみてほしい」
「そうくるか、面白い」
クラマは腕を組み背筋を後ろにのけぞらせる、若干大げさな驚き方だが口角はやや上がっていた。
むむむとしばらく唸った後、人差し指を一本立てた。
「まず分かっているのはこの事件に、間違いなく貴族が関係しているということ。
探していたやつが傭兵を捜索と応援で2部隊雇えるだけの金があるだろうし、何より部下が『子爵閣下』って言っちゃってるしね」
「ふむ」
「逆に王族と教会は関係ないね。
あんたの話の中には暗部が登場しなかった、とっくに用を済ませたんならあんたが書簡を手に入られなかったはずだよん」
「なるほど」
「と、すればだ。
その文章に書いてあることは貴族内部の問題に深くかかわりがあるとみていいはずだね」
「…」
彼女は人差し指をくるくると回しながら、得意げに自身の考えを声に出し、こちらの反応を窺っている。
しかし自分は極力心を表に出さず、静かに彼女の力説している顔を眺めていた。
「…なんだい、さっきから人の考えている顔をじろじろ見てさ」
「いや失礼、こうやって考察を聞くと君も真剣にこの国のことを観察していたんだと改めて感じてね。
いつも酒を飲みながらこっちをからかったり、愚痴を言うものだからすっかり忘れていたよ」
「そりゃどういう意味だい」
がぅ、とこちらを威嚇するように爪と牙を犬のように構える…彼女は
「あんたがあたしのことをどう思っているか今度、聞いてみる必要がありそうだ」
「今度はそっちもつまみを持参してくれよ?」
「もちろん、長くなりそうだから箱ごと持ってくるとしよう」
意味ありげににやりと笑う目の前の少女を見て彼女らしいと思ってしまう、自分に対する皮肉さえ宴会の口実にしてしまうとは見上げた根性だ。
「それはそうと、まずはあんた問答をさっさと答えて終わらせることにしようかね」
脱線していた話を戻し、顎に手を当てる。
自分はちょうど近くに盛られていた手羽先を骨ごと噛り付きながら、彼女が再考している間の暇をつぶした。
「質問してもいいかい?」
「どうぞ」
頭をひねること十数分、挑戦的な視線がこちらへとむけられる。
「その書簡に書かれている内容は恋に関係する?」
「いいえ」
これは中々にいい質問だ、貴族間において恋愛の問題は実に多い。
不倫や駆け落ち、同性愛や近親相姦など種類は多々あるが、貴族が起こす不祥事の約三割が恋の病によってのものらしい。
これで予想できる範囲は確実に縮まったはずだ。
「そんじゃお金に関係があること?」
「いいえ」
「むぅ」
貴族にだいぶ関係のある二つの項目が外れて意外だったのだろう、いったん引いて最後の質問を考え直す。
「その内容は貴族個人の中で起きた問題?」
「はい」
ここで初めて彼女の質問に肯定する。
「ふむ、するとだ…あたしが思いつくのは一つかな」
一度深呼吸をしてこちらに対してい自身満々に答えた。
「謀殺の隠蔽じゃないか?」
その言葉を聞いてこちらもまた一間置く。
そして、彼女の視線を合わせながら採点した。
「残念ながらはずれだよ」
「あ~あ」
答えると同時に天を仰いで寝っ転がる、そのまま大の字になって手をひらひらと泳がせる。
「降参するよん、これ以上は頭が回らなそうだ」
横の彼女を一瞥した後、果実酒を一口含んだ。
「まず内容を話す前にいくつか前置きを話させてほしい」
「ほう、思っていたよりかなり大層なものになりそうだ」
この話を聞いて彼女はどのような反応を返すだろうか、疑問を胸に仕舞いとある一連の物語を語り始める。
時刻はちょうど午前に回ったところか、まだまだ夜は明けないだろう。
◆◆◆
それは勇者言峰、ひいてはこの世界に召喚された元クラスメイト達をダンジョンでLv《レベル》上げをさせるというものだった。
前代の勇者サトウもダンジョンに入ったことがあり、何より勇者たちを強くさせるには最も効率的だったからだ。
しかしここで一つの不和が発生した。
元老院のなかでアルバン元老とクシュナー元老が、真っ向から意見を対立させるという事態が起きたのだ。
アルバン元老は勇者に対する熱狂的な信者であり、この行為は先代勇者に見習った神聖な儀式として行うべきだと主張した。
しかしそこにクシュナー元老が待ったをかけた。
彼の意見としては、薄汚い冒険者たちがうろつくダンジョンに神聖なる勇者を行かせるなど、勇者たちの格を貶める行為だと反論したのだ。
一見すれば差別意識の強い典型的な貴族の発言に見えたかもしれない、しかし実を言えば、彼には別の思いがあった。
ダンジョンにおける冒険者の未帰還率は約1パーセントとなっている、つまり100人の冒険者のうち一人は帰ってこないのだ。
彼が利用したいのは勇者という名声であって、別に言峰の実力を深くは考えていなかった。
アルバン元老に対して、もしも勇者たちに何かあったら責任をとれるのかと激しく言葉を叩き付けた。
しかしアルバン元老は、たとえどのようなことが起きようとも奇跡の勇者コトミネ様ならどんな難行も超えてみせると、柳のように躱したのだ。
そうして元老内において不毛ないたちごっこが開始されることになる。
毎晩会議は行われたが同じ討論が続くばかりでまるで進展がなく、他の元老も正直言ってうんざりする日々が続いた。
そんなサイクルを終わらせようと、アルバン元老は裏工作をしてクシュナー元老の身辺に対して捜索をかけた。
人は叩けば何かしらの埃を落とす、それを脅迫材料にクシュナーを蹴落として自身の意見を無理やり通そうと図ったのだ。
当然クシュナー元老も隠ぺい工作に力を入れるのだが、運が悪いことに捜索部隊の隊長には有能で知られる『毒蛇』ノイマン三等公爵が任命されていた。
彼の卓越した手腕と作業能力は熟練の文官すら舌を巻くものがあり、クシュナーが設置した防壁などウエハースのようにやすやすと砕かれた。
しかし、ここでアルバン元老に一つ予期していなかったことが訪れる。
「それがこの書簡の中身ってかい?」
「まあね…ほら」
「おっと、ここでか」
金の筒を隣の彼女の無防備なお腹に、ぽいっと放り投げた。
「そんじゃ改めて…」
横からキュポンとなんとも言えない間の抜けた音がした後、しばしの間風が草を揺らす音だけが続いた。
「…クロード」
「あぁ」
彼女がその中身を見てどう思ったかはあえて聞かないでおく。
しかし、その文章の一番最初には確かにこう書かれているはずだ。
『クシュナー元老親族の隷属保持について』
クシュナー元老の三男、エクムント二等伯爵は奴隷を保持していたのだ。
「クシュナー元老はもちろん、捜索を命じたアルバン元老も驚いたことだろうな。
この国にまだ奴隷を持っている
別に自分は奴隷制度を全面的に批判しているわけではない、しかし判明した国と時期が最悪だったのだ。
この国にも奴隷制度はあったがそれは100年も前の話、あの勇者サトウが制度を廃止したことでも有名だ。
つまり言い換えれば勇者として召喚される人物は、奴隷制度に対して批判的な考え方を持っている、この国では子供でも読み聞かされる常識だ。
ましてや今回の勇者は言峰、あの正義に燃える男がこの事態を見過ごすわけがない。
「さぞかし慌てたことだろうな、同じグループの身内に奴隷を持っている貴族がいると知られれば、勇者と自分たち元老院に大きな亀裂が走るだろうと」
「そんなに大事になるもんかい? いざとなりゃ他人のふりしてもいい気がするけどねん」
「慌てるさ、人間権力を持つと嫌なことには敏感になるからね」
左手に持っていたスペアリブが、横から出てきた八重歯にガブリが
「それを秘匿しようにもノイマンに融通が利かないのは分かっていた」
「なんでそんな奴に捜索を頼んだのさ、頑固者だってことはわかっていたはずだろう?」
「初めから告発するつもりだったんだろうよ、脅して要求をのませた後に」
「うわぁ、えげつない」
しかし、告発すれば自分たちも巻き添えを食らうかもしれないと分かった以上、何としても彼を止める必要があった。
そこでアルバン元老はクシュナー元老と協力関係を結び、ノイマンに対する対策を講じた。
「待った、待った」
説明の途中で彼女から静止が掛かった、その表情には何かを察したような意志が込められている。
「まさか、今回林が
「元老がノイマンを始末するために仕組んだ罠だったのさ」
彼らは魔獣使いを雇い、強力な
異常事態も今回のようにイベントの一つとして片づけられ、異常現象として後世の学者の頭を悩ませる材料となった。
「しかし、だ。
たとえノイマンを亡き者にしても、報告書を見つけられてしまっては意味がない」
「そんであのお粗末な捜索隊の出来上がり出来上がりってかい、もうちょい優秀なやつがいただろうに」
「あまり優秀だと、万が一の場合に始末が難しくなると勝手に考えたのだろう。
あとは知っての通り。
使い魔も冒険者によって倒され、その子供も近日中に倒される。
ノイマンの死は事故死として片づけられて元老院ではまた、勇者をダンジョンに行かせるかかどうかで非効率的な救いようのない議論をしているのだろうさ」
「ふ~ん」
なんとも感情のこもっていない返事を返す、いや、実際彼女はこの事件の正体が不毛な争いの産物だと知ってに興味がなくなったのだろう、身を起き上がらせ背筋を伸ばす。
たとえ真相を知ったところで何かをできるわけではない、それは自分たちではなく言峰たちの領分だ。
またこの夜が明ければ、いつもの生活が始まる。
ふと隣の足が宙に舞い上がったかと思うと、その勢いのままクルンと目の前の庭にクラマが着地した。
「結構食べたから運動がしたくなったんだけど、この後夜の試合と洒落込まないかい?」
小動物のように小首をかしげて訊ねる様はなかなか可憐だが、自分はそれを快諾した後の恐ろしさを知っている。
「だったらその階段を下りて、社へと向かってみるといいよ。
丁度シッドが武の鍛錬に勤しんでいるはずだ」
この山の暴君たる自分は部下を生贄に、卑劣にも生き延びる道を選んだ。
「まぁまぁそんなことを言わずに、あんただって
しかし目の前の悪魔はそれがお気に召さないようで、どうしてもこちらでなくてはいけないそうだ。
「半刻だけなら…」
「よしきた!」
渋々条件を出すと彼女はこちらの腕を引っ張ってさぁやろうと求める、自分は陰から愛刀『繊月』を取り出して腰をゆっくりと上げた。
まだまだ夜は長そうだ。
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