第81話 すべては口の中に

「馬車か」

「馬車ですね」

 左右を密林という名の壁に挟まれた一本道で、目の前の障害物をまじまじと見つめる。

 霧の中を漂うかのように歩くこと小一時間、自分ことクロードとパーティメンバーのエストは、あまりありがたくないオブジェと遭遇することとなった。

 偶像を彩るのはゴテゴテに装飾された金の模様、言うまでもなく魔物モンスターの被害にあった貴族の馬車だろう。


「ひどい傷跡ですね…。

外装はほとんど剥げ落ちていますし、駆動部なんて一から作り直したほうがいいくらいです」

 もう地面を走ることがないだろう折れた車軸の車輪を、カラカラと手で空回しながら被害を点検していく。

「勿体ない、こんな車輪に箱を乗せたようなものが私たちの稼ぎ十年分だと思うと、少しぐらい拝借したくなるものです」

 はがれかけている金のメッキを弄りながら、ため息をついた。


「…一応言っておきますけど、持ち主が明確である財産の略奪は、国家商業法第28条によって禁止されていますからね?

 それが貴族の所有物ともなると最悪極刑ですよ?」

 エストが不安そうな目でこちらを見つめる。

「分かっています、こんな乗り物一台でこの先の人生をフイにしたくはありません」

 肩をすくめて、物欲がないことを示す。

 彼女に隠してはいるが、自分はギルマスから高ランクの依頼をいくつも受けているせいで残りの一生を働かなくとも暮らせるほどの富を得ることに成功している。

 なのにこの場で危険を冒すほど愚かではない。


「しかしそれを盗賊シーフに注意されるとは皮肉な話です」

「クロードさん、それは偏見です」

 言葉に反応した彼女は、作業を止め目の前まで歩いてくる、ビシッという擬音語が似合うような動作で鼻先に指をさした。


盗賊シーフという職業は、人が苦労して築いた財産を横からかすめ取る卑しい職業ではありません。

 己の直感と鼻を信じて、未知なる宝を見つけ出す夢の詰まった職業なんです!」

 その表情は職業から浮かべる想像にはあまりに明るく、彼女の自身の在り方を見せつけられた気がした。

「誇りにしているんですね」

「はい」

 胸を張って佇んでいる彼女がまぶしく見えて、思わず目をそらし馬車についていた埃を払った。


「む?」

 すると落ちていく土塊つちくれの中から、盾をかたどった板が金属質な音を立てて地面を叩いた。


紋章エムブレム…」

「二匹の絡み合う毒蛇…

ノイマン三等公爵の象徴である双頭毒蛇ヘルボロスか!」

 この事実は自分とエストに少なからずの衝撃を与えた。

 事故が起きた際、被害者の貴族の名前は公表されず、報道機関も男爵以下の下級貴族であるとほのめかしていただけなのだ。

 だがノイマン家と言えばこの国の警察に当たる、憲兵総監を勤めてた名家だ。


「いい人でしたか?」

「……悪い噂は聞かなかった……はず」

 その性格は意思貫徹を表し、腐敗した貴族には珍しく感情よりも厳格な法を遵守する人物だったらしい。

 当然、融通が利かず、おまけに噛みつかれると引き下がらないため大貴族からは『ノイマンの毒蛇野郎』と揶揄されていた。

 

 しかし、国がこの事実を隠蔽したがる理由も分からなくはない。

 仮にも国家の安全を統括する憲兵総監が、初心冒険者の練習場である場所でトラブルとはいえ殺されたとなれば、他の国に対して治安の水準を疑われるだろう。

「…これってかなりまずいことですよね?」

「どのみち私とエスト二人で対処できる問題ではないでしょう、早くこの場を離れて口外しないことが得策です」

 基本的に貴族の問題は、九分くぶがろくでもない理由で、九厘くりんが本当にろくでもない理由、残りの一厘は起こした本人すら呆れるような代物なのだ。

 当然、冒険者たちも見ず、聞かず、騒がずを暗黙の了解としている。


「ほかの狩場に急ぎましょう」

「貴族の問題は尾を引きますからね…」

 馬車に背を向けて即刻この場を去ろうと歩き出す。


 しかし、場の状況は思っていたよりも切迫していたことを思い知らされる。

 静寂を保っていた林に突如として、けたたましいほどの足音が聞こえてきた。

「本当にこっちなんだな!?」

「間違いありません! 例の物は見当たりませんでしたが…」

 集団の先頭から中心的人物ととらえられる声が聞こえてくる、その声色と音量から隠す気もない怒りが読み取れた。


 このまま彼らがこちらへ向かえば、数分としないうちに鉢合わせとなるだろう。

「クロードさん、こっちです」

 エストがマントをちょいちょいと引っ張って茂みへと導く、服を草まみれにしながらかがみこみ、ことの成り行きを見守った。


 迫ってきた集団は7、8人程度、彼らは馬車へと到達すると、周りを囲み散策をするものと見張りをする者の二つへ半々に分かれた。

「あの集団、暗部ですか? 何というか…」

「動きといい装備といい隠密行動の基本ができていない、でしょうか?

恐らくどこかの貴族の私兵が傭兵あたりか」

 彼らは全員黒の外套で全身を覆っているが、その下からガチャガチャとやかましい金属音を響かせている。

 鎧の隙間に布をませていないせいで無駄に当たっているのだ、通常の戦闘でならともかく秘密裏の行動でなら見つけてくださいと言っているようなものだ。


「探せ! 何としてもだ!」

 最もリーダー格の男が無駄に大きい怒声を上げているせいで、基本以前の問題なのだが…


「子爵閣下、馬車が大きく重量も膨大なため今の人数では起き上がらせることができません。

せめてあともう一隊が必要となります」

「ふざけるな!お前らのその斧と剣は飾りか?

いざとなれば馬車を破壊すればよかろうに」

 部下の提案をリーダー格の男は頭ごなしに怒鳴りつけた。


「恐れながら閣下、この辺りの魔物モンスターはこの頑強な馬車を破壊するほどの攻撃力を有してはいません。

馬車を破壊すれば民衆からの、人為的工作の目を向けられるのは必然です」

「くそっ、ノイマンの蛇野郎が。

蛇は蛇らしく地を這って王都までおもむけばいいのだ」

 部下の正論が通ったのか男は悪態をついた後、何やら水晶を取り出して話し込んでいた。


「半刻後に応援が駆けつける、それまで見張りでもしていろ、この役立たず!」

「承知しました」

 感情のままに部下に当たる男とは対照的に、当たられた部下は何の感情も出さずただ深々と敬礼をするのみであった。


「何だか嫌な感じの人ですね、クロードさん」

 隣でエストが小声で、彼に対する印象を話す。

 比較的気弱に見える彼女にしては随分と強い言葉を使っている、それだけあの貴族の高圧的な態度に嫌悪感を持ったのだろう。

「市民が思い浮かべる、『典型的な貴族』にあたりますね」

 ホラーゲームなら真っ先に死にそうな性格といえるだろうか、どのみちろくな最後はげそうにない。


「でも応援が駆けつけるのは厄介です、もし今以上に周囲を警戒されたら私の【潜伏】がいつまでもつか分かりません」

「今から戻っても鉢合わせする可能性が高い」

 影魔法はエストには話していないので見せることはできない、一般的な冒険者の考えられる範囲の中で使える力しか使えない状況だ。


「応援が来る方とは逆方向に逃げましょう、後で迂回して別の道から岐路につけばいい」

「そうですね、ちゃんと地図で確認しておきます」

 言葉が終わるとともに自分と彼女は匍匐ほふく前進の態勢をとった。


「私が先に」

「分かりました、クロードさん」

 自分の後をついてきてもらう形で、行動を開始する。

 逐一見張りの目を気にしながら、自分たちの膝丈よりも長く育っている草をかき分けて進んでいった。



◆◆◆



 慎重にではありながらとにかく急ぐこと十分ほど、自分たちは馬車の横を抜けることに成功する。

 一度だけ見つかりそうになったことはあったが、都合よく魔物モンスターが出現したことによって見張りの注意が散漫になり、うまく誤魔化すことができた。


「目の前の岩の陰に隠れましょう、あれの後ろなら見張りの死角になり、うまく逃げることができます」

「本当に心に悪いですよ、これ…」

 安全地帯を見つけたことによって少しばかり心に余裕ができたのか、エストが肺に溜まっていた空気を押し出すように息を吐いた。

 まだ完全に安心するにはほど遠いが、斥候職の専門である彼女に注意をするなど猿に木登り釈迦に説法、身の程知らずもいいところだ。


「…む?」

 手探りをしていた右手に草とは違う、何か硬質なものが当たる感触が伝わった。

 それはリレーで使われるバトンのような、細長い筒状のものであると手触りから感じ取ることができた。

「何かありましたか?」

 自分の変化を機敏に感じ取ったエストがこちらへ問いを投げかけてくる。


「いや…これは」

 自分がその名称を唱えようとしたその時、


「何だ! こいつは!?」

 もはや聞きなれた怒声が、またしても響き渡った。

「っ!」

 こちらの存在が認識されたと思ったエストは、反射的に起き上がろうとする。

 自分はそれを片手で静止し、彼女を抑え目の前、正確にいうのなら馬車の後ろ側にそびえ立つ魔物モンスターに視線を移した。


「子供を産んでいたのか…」

 蟻地獄でも拝むかのような流砂が土の中に出現し、その中心で花のつぼみのような存在が顔を覗かせてこちらの様子を窺っている。

 生体には程遠いが、それでもこの場に圧迫感を与えるに足る容姿は、見るものへ恐怖を植え付けようとしていた。

 間違いない、先日討伐された魔物モンスターの子供が、親の仇でも取るかのように貴族、兵士、そして自分たちの前へと姿を見せたのだ。


「あいつを倒せ!

今以上にこの場を荒らされたは、あれを見失うことになる」

 貴族の号令によって周りの兵士たちが、各々の武器を振りかざして流砂の周りを包囲する。

「何か投げるものを持ってこい!」

 部下の一人、おそらく集団のナンバー2が指揮を執り、部下たちが周辺の石ころや腰に差しているナイフなどを抜いていく。


 しかし魔物モンスターのほうが一枚上手だったようだ。

 突如として兵士たちの足場が崩れだし、兵士たちを流砂の中心へといざなっていく。

 包囲するように陣形を組んでいたのが仇となったようで、流れる土の中を抗うことのできるものはいなかった。


「い、いやだこんな終わり方!」

「くそっ! なんだこの土は!

まるで水のようではないか!」

 兵士たちが悲鳴を上げる中、ナンバー2は貴族に助けを求めていた。

「子爵閣下! そこのつたを渡してください! 早く!」

 しかしその声は貴族の耳に入らない、


「ヒ、ヒィ」

 自身を守るものを失った貴族は、もはや生き延びることだけを考えていた。

 腰を抜かしたようで、阿鼻叫喚の声を背に、芋虫のように這いずり回って逆方向への逃走を開始していた。

 しかしそんなのろまな生物を逃すほど、甘い場所ではない。

 魔物モンスターの触手が伸びて、その短い脚に釣りでもするかのように巻き付いた。


「この、離せ! 離せ!」

 何度も何度も殴りつけて拘束を解こうとするが、魔物モンスターに言語が通じるわけもなく、まるで食事の最後の仕上げのようにするんと地面の穴に吸い込まれた後、何も聞こえることはなかった。

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