第64話 賢者は深く

「ん……」

 日の光が瞼を叩き、おぼろげながら意識を覚ます。

 目を見開いて初めに飛び込んできた景色は、見慣れた豪華な城の天井ではなく、木材の特徴である独特な木目だった。


「……」

 いつもと違う状況に一瞬、自分がどこにいるのかがわからなくなる。

 誰もが一度は体験しただろう、起床時のしばしの思考能力の低下、いわゆる寝ぼけた状態にしばらく浸っていた。


「……あ」

 半覚醒状態の頭を必死にフル回転させて今の状況を整理する、そして昨晩のことを思い出すに至った。


「ふぅ……」

 息を吐きながら気だるげな体を起こし、日の光をできるだけ体に取り込むように大きく伸びをする。

 それだけで今までもやが掛かっていた意識が次第に鮮明になっていくことが分かった。


 ふと、服に変な力が加わっていることに気付く。具体的には、弱々しいが下に引っ張られている感覚だ。

「……」

「んぅ」

 視線を向けるとリズが毛布にくるまって寝ている。

 よく見ると、その小さな手で私の服の裾をしっかりと握っていた、これが加わっている力の正体らしい。


「……」

「むぅぅ……」

 自然と彼女の頭に手が伸びて、慈しむようにゆっくりと撫でる。

 種族的な特性か、それとも毎日手入れしていたのかその髪はとても指通りがよく、さらさらと私の指の形に添って流れた。

 幾度か撫でてみたが、彼女は私が撫でているという行為に対してあまり不快感を持っていないようだった。

 くすぐったそうにしながら、なんともえも言えぬ心地よさそうな表情で眠っている。

 私の撫で方が上手なのか、それもと私の手を他の誰かと勘違いしているのか。


「うん」

 この笑顔を守りたい。

 強制されたわけではない、私が心の底からそう思う、だからこそ私もまた変わらなくてはならないのだろう。

 昨晩の戦いで、私が今必要なものは分かった。

 そして、それはこうして毛布の中でまどろんでいても、手に入らないことはわかっている。


 名残惜しいが彼女の手を裾から離させて、そっと毛布を掛け直す。

 彼女は昨日夜遅くまで寝ることができず、また命の危険にさらされて精神的にもひどく疲れているだろうから今日は降るまで寝ているだろうと予測しての処置だ。


「リン、リズちゃんをお願い」

 横に佇んで(?)いた相棒に彼女の護衛をお願いをする。私ならあの根の一つや二つ対処できると考えての指示だった。

 しかしリンはプルプル震えだした後、二つに分裂した。


「なんでもないです」

 自信満々な顔で指示しただけに少しだけ恥ずかしくなった。どうやら私が思っていた以上に、この相棒は万能で頼りになるらしい。


 ◆◆◆


「七瀬さん。疲れはとれましたか?」

「おはようございます。何とかといったところでしょうか」

 外で見張りをしていたシッドと挨拶を交わす。今私たちがいる場所は、昨日彼と話した見張り小屋だ。


 昨晩の戦闘が終わった後、一夜を過ごせる場所を探した。

 村の家の一軒を借りるかという意見も上がったが、いざという時にすぐに脱出できるという点で、小屋に白羽の矢が立ったのだ。

 そうしてこの小屋で一晩過ごした。

 本当はシッドと二人で交代して見張りをするはずだったのだけど、どうやら私を気遣って彼一人でやってくれたらしい。


「シッドさん」

「シッドでかまいませんよ」


「いえ、年上を呼び捨てにできませんので」

 仮にも目の前にいる人は200年以上の月日を生きる人生の大先輩だ。

 学校の先輩にすら敬語でしかしゃべれなかったのに、そんな人を呼び捨てにするなんてハードルが高すぎる。

「そうですか……それで、ワシになにか?」

 彼は私の心情を汲んでか、話を進めてくれる。


「一つ質問があります」

「どうぞ遠慮なく」

「……シッドさんはこれからどうしますか?」

「と、言いますと?」

 私の質問に彼は首をひねる。


「あなたが神樹に立ち向かっていく理由は、巫女をさらった神樹に対して一矢報いたいというものでした。そしてそれは昨晩叶ったと私は思っています」

「そうですね……」

 彼はその凄まじい剣捌きによって、十数本の根を切り落とした。

 今まで聞いていた彼と神樹の戦績からすれば、これは目覚ましいものなのだろう。

 しかし、目覚ましいからこそ、素晴らしいからこそ私の中で確信できる。


「私の目から見てあなたは、ここから立ち去ろうとはしていないと感じました」

「……」


「あなたはリズちゃんと共に里を旅立つのですか? それとも……」

 その言葉を聞いて彼はゆっくりと空を見上げた。

 つられて私もそれを見てしまう。


 綺麗な空だ。

 青天井という言葉が似あう、恐ろしいほどに青く澄んだ空。

 雲量も1から2といったところで、運動があまり得意でない私でも思わず外で遊びたくなってしまう。

 そんな空だ。

 その場を覆う静寂も相まって、それがとても儚いようなものに見えた。


「実をいうとですね」

「はい」

 重い沈黙の後、しっどが答え始める。

 私たちが建物の陰に立っていたこともあってかその顔に陰りがさしているように見て取れた。


「迷っているんですよ」

「迷って……」


「確かに七瀬さんにあった直後は、あいつに一度抵抗して終わりにする予定でした。

 しかし、あなたと共闘してあいつにも十分なダメージが追わせられるということが分かりました。

 人間できてしまうとついつい欲が出てしまうものです。

 今のワシならもう少し、あいつに踏み込んでいけるのではと思ってしまうようになりました」

「そうですか……」

 思い出してみれば、昨日の彼には神樹に一矢報いようという気持ちでいっぱいだった。

 しかし、今の彼にはそれとはまた別の感情が見え隠れしている


 私も今まさに感じている感情だ。力を持った時に起こる特有の万能感。

 苦難を一度乗り越えてしまうと、自分の力を過大評価してしまい、さらなる苦難をも乗り越えられるのではないかという感覚に陥ってしまう。


「本当に情けない男ですよ、ワシは」

 しかし彼だって、伊達に長く戦士として生き続けてきたわけではない。

 いや、彼だからこそその感情の危険性を十二分に理解しているといっても過言ではない。

 分かっているからこそ、私に打ち明けてくれたのだ。


「目的を達成したというのに、いまだに未練を口に出しているのですから」

「いいじゃないですか」

 彼の自虐に私は肯定する。


「未練があるということは、それだけ大切にしていたんでしょう? 手放したくないのでしょう?

 何も気負うことはありません。私にどんどん言ってください」

「やさしいですね」

「いえ……」


「……」

「……」


 再びの沈黙。

 しかし、それは先ほどと比べれば幾分か心地の良いものだった。

「昨日話していた頼み事なのですけれども」

「はい」


「申し訳ありませんが断ろうと思っています」

「そうですか……」

 私の言葉に彼の肩が少し下がる。

 先ほどの脈絡でもしかしたら、と思っていたのかもしれない。


 しかし少し待ってほしい。

 私はあなたの考えているようなことを思って言っているのではないのだから。

「勘違いしないでください、別にリズを連れていくことが嫌だというわけではないのです」

「と、言いますと」

 容量が掴めない、といったような顔でこちらを見る。


「実は私の仲間も神樹に巻き込まれているのです」

「そうなのですか、それは……何と言っていいのやら……」

「私は前にも、自分の力が及ばす大切な人を助けられなかった記憶があります」

「……」

「だからこそ誓っているのです。

 今度こそ後悔しないようにすると、過去を振り返っても堂々と胸が張れるように」

「では、あなたは」


 一つ深呼吸をして改めて彼を見つめる。

 今からいう言葉を一つも彼に聞き漏らさせないように、彼の脳裏にしっかりと刻み付けるように。

「私はこの里の件から一歩も引く気はありません。

 何が何でも何とかします、いえ、して見せます」

「危険ですよ」

 私の言葉を彼が遮る。


「昨日の戦いを見ていれば奴の規模がいかに規格外かわかるでしょう?

 最悪死にますよ?」

 厳しい言葉を私に投げかける。

「それについては大丈夫です」

 死ぬ覚悟ならこの旅を始めた時からとうに出来ている。

 だからこそ亨君に打ち明けることができたのだから。今更、それを惜しもうとは思わない。


「今でなくとも構いません。決めてください。

 リズちゃんのことは幾分にも語り合ったでしょう。私は何も言いません。

 どうかあなたが、後悔のない道を」


 シッドは私の話を聞き終えると目をつむり、地面を向いた。

 三度みたびの静寂、周りに物があふれているというのに世界がここだけしかないような孤独感に襲われた。




「……おにいちゃん」

 いきなり後ろから声がして、慌てて私たちは振り返る。


「リズ……」

「リズちゃん……」

 そこにはリンを胸に抱いて、こちらを見るリズの姿があった。どうやら私たちが思っていた以上に会話に熱中してしまったらしい。


「……わたしにはむずかいいことわかんないけど」

 そこで言葉を切り、シッドと視線を合わす。

「……がんばって、おにいちゃん」

 その言葉が彼のたどり着く答えを表しているような気がした。

「リズ……」

 手を覆い、顔を空に仰ぐ。その行為を何度か繰り返したのち、答えは出た。


「自分勝手なワシを許してくれ」

 こうして私たち三人と一匹は、あの暴君に再戦を誓った。

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