第62話 まるで濡れ手で掬うような

「リズちゃん!!」

 甲高く叫んだ、周りを気にする余裕もない。


 シッドと手分けをして探していた途中、彼女の叫び声が聞こえて足を止めた。声の方角は神樹付近、ここからかなり近い場所だ。

 もし彼女が先ほどの会話を聞いていたとすれば、安直な方法をとって危険な領域に足を踏み入れてしまうかもしれない。

 そんなことをした末路など、シッドの話を聞いていれば容易に導き出せる。

 気が付けばその場所へと走り出していた。

 祈るしかない。どうかまだ無事であるようにと。


 走る先に見えてきたのは古い建物。

 一見すると日本の神社のようなつくりをしている。

 建物に入る直前、中からすさまじい音と共に嫌な気配が辺り全体を覆った。

 もうここまで来れば躊躇はしない。

 気配の発生源へと一直線に進み、障子をかなり乱暴に開いた。


「……!!」

 まずはじめに、驚愕よりも『やっぱり』と納得した。

 最初に目に飛び込んできたのは、うねうねとまるで触手か何かのように動く根。

 その数と独特な動きは、私の中から生理的嫌悪を引きずり出す。

 やはりこの根だった、パラウトの里に近づこうとした私たちを攻撃してきたこの根は神樹の一部だった。

 そして私のすぐ前、腰を抜かしたリズが尻餅をついていた。


「あ……あぁ」

「早くこっちに来て!!」

 呆然としている彼女の服を掴んで無理やりこっちに引き寄せる。


「おねぇ……ちゃん」

 胸に抱きよせると彼女は私の服を強くつかんだ。

 どこにそんな力があったのだろう、小柄な見た目に反して、私がちょっと痛いと感じてしまうぐらいに手に力がこもっていた。

 それだけ今起きたことが彼女の心の中で衝撃的だったということだ。


「もう……前みたいにみんなで生活できないの?」

 その一言が彼女の今の心境を十二分に物語っていた。

「……」

 言葉に詰まる。

 ここで『そんなことないよ』と笑顔で言うことができたのなら、どれほどよかっただろう。

 しかし安易に嘘を吐けば、発覚したとき今以上に彼女の心に消えない傷を残してしまうことになる。


「リズちゃん……」

 私は彼女の今にも消えてしまうそうなくらい小さな背中に左手を添える。

 そしてできるだけ優しく上下に動かし、慈しむように撫でた。ただそれだけしかできなかった。


 しかし根はそんな私たちの状況など知る由もない。私たちに再度目標をつけ、その力を取り込もうと襲ってきた。


「おねぇちゃん!!」

「掴まって!」

 彼女を抱えて、私は後方に大きく跳躍した。

 目の前の木の板でできた床を、まるでビスケットか何かのように叩き割りながら、私たちを串刺しにもしようかと次々と迫る。


 気のせいだろうか?

 昼間や前の時と比べて、根が若干弱くなったように見える。

 速度自体はあまり変わらないけど、根の一つ一つの動きが前よりもはっきりと捉えられて、次にどのような攻撃が来るかなんとなく予想することができた。

 少なくとも前の私なら、目で追いきれずにあっさりと串刺しになる自信がある。


「そんなこと……今はいい!」

 どうしてこうなったか、理由など後からいくらでも考えられる。

 重要なのは、その変化が今の私にとっては好都合だということだけ。


 迫りくる刺突の雨を掻い潜り、無事に屋敷の外へと出ることができた。

 そこで私はいったん足を止め、改めてその神社を観察する。

 実に酷いものだった、まるで建物に植物が寄生したような、そんな言いしれないおぞましいものへと変わっている。


「……みんなのいえが……」

「……」

 抱えていたリズがポツリと一言漏らした。

 彼女の気持ちを汲み取るのだったら、振り返らないほうが良かったかもしれない。


 しかし感傷に浸る間もなく、根がへいを突き砕いてこちらに向かってきた。


「……いい加減にしてよ。」

 空気を読まないその根、ひいては神樹そのものに対して、私は怒りを募らせていった。

 あなたがちゃんと神樹の役目をしていれば、この里がこんなことにならなかったのに。

 あなたが欲張らなければ、巫女は生贄になんてならなくてよかったのに。

 あなたが満足できなかったから、シッドはあんな身を切る思いをしたというのに。

 あなたのせいでリズは、こんなにも悲しい思いをしているというのに。

 そして、あなたが邪魔をしなければ、私は亨君ともちゃんと仲直りができたというのに。


「本当に自分勝手」

 神樹のせいでみんなが大変な目にあっているというのに、神樹自身はそのことを気にも留めないばかりか、さらに多くの人たちに迷惑をかけている。

 今も巫女とシッドとリズ、三人の大切な場所だった神社を何の躊躇もなく、まるで土足で入り込むように蹂躙している。

 ただリズを自身に取り込みたいという最悪の理由で。


 まるで周りが見えていないただの駄々っ子。

 いや、まだ駄々っ子のほうが情緒の余地があった。

 神樹は力を持っている。

 それこそまさに里の守護者であったシッドや、神聖ルべリオス王国王都で名を鳴らした冒険者たちすら凌ぐほどに。


 考えれば考えるほどこの自分勝手な大樹に腹が立った。


「『四元素たる偉大なる火よ』」

 気づけば口が勝手に動いていた。


「『敵を燃やし尽くしその力を示さん』」

 今なら神樹に立ち向かったシッドの気持ちが痛いほどにわかる。

 せめて一矢報いたいと。

 このわがままばっかり言っている巨大な子供に、一回でもいいから拳骨をくれてやりたかったのだろう。


「『火球となりて我が前に顕現せよ』」

 迫りくる根を前にして、その頼りない私の腕をまっすぐに伸ばす。


「【フレイムボール】!!」

 詠唱を唱え終わり、私は敵に魔術を放つ。

【フレイムボール】は私が使える技の中で最も威力のある技だ。

 ましてや敵の属性はどう見ても『木』、まるっきり効かないということはないだろう。





 そんな軽い気持ちで放った魔術だった。

「うん?!」

 驚きのあまり尻もちをついてしまう。

 なんとも無様な話だ。

 自分で放った魔法の威力で自分が尻もちをついてしまうなんて。


 しかしそれほど予想と現実が食い違っていたのだ。

【フレイムボール】は練習や魔物モンスターとの戦いでよく使うため、その威力は自分が一番よく知っている。

 てのひらに大体直径50㎝ぐらいの火球が出現して、それが野球ボールぐらいの速度で飛んでいくぐらいの威力だったはずだ。

 それが今はどうだろう。

 直径1mほどもある火球が出現し、それが大砲並みの速度で根へと突進していく。悲鳴をあげてしまったけど私は悪くないと思う。


 私が放った予想外の『それ』は根に当たった瞬間、爆音とともに暗い夜の空を明るくした。

 根にとってもこれは予想外だったのだろう。焼かれるわが身にもんどり打って、身体をくねらせている。


「……今しかない」

 私は再度、リズを抱えて走り出す。

 感情が先走って魔術を放ってしまったが、いま私たちはあの根から逃げている最中なのだ。

 今、私自身の体に起きている事は未知数、下手に強くなっていると過信して根と戦えば痛い目を見る。

 私だけならまだ試してみる価値はあるかもしれないが、今、脇にはリズがいる。

 安全なところに届けるまで余計な戦闘で彼女を危険にさらしたくない。


「七瀬さん! リズ!」

 向こう側からシッドが駆けてくる。


「あれは……」

 燃え盛る炎を見て彼はしばし言葉を失う。


「あなたがあれを?」

「えぇ……まぁ……」

 彼の驚く気持ちがよくわかる、何せ放った私自身が一番驚いているのだから。


「リズちゃんを任せてもいいですか?」

 自分のした行動が彼に心配を掛けたのだと分かっているのだろう、まるで借りてきた猫のように縮こまっている。


「……いえ下がっていてください」

 そういって彼は私とリズを、炎から守るように前に立つ。

 それと同時に炎の中から根が出てくる、いかに私の魔術が未熟の域を超えていないとはいえ、大した生命力だと感心してしまったのは内緒にしよう。


「ここは私が食い止めます!

 あなたたちは先ほどの小屋へ避難を!」

「……!」

 私は一瞬考え込む。

 彼の言葉に素直に従う気持ちにはなれなかった。

 リズが彼の言葉を聞いて私の服を強くつかんだからだ。


 私には、リズがなぜあんな行動を起こしたのか少しわかる気がした。

 離れたくなかったのだ、巫女と、シッドと、あの日常と。

 私が彼女を連れてこの場を離れれば、もしかしたら生きている彼と話せるのはこれが最後になるかもしれない。

 その気持ちが痛いほどにわかってしまう。

 私もまた、私自身が行動しなかったせいで、大切な人が手の届かない場所に一時期行ってしまった経験があるからだ。


「シッドさん!」

「……!」


「私も戦います!」

「何を言って!」


「根がこれだけとは限りません。

 もしかしたらあの小屋にも別の根を仕向けているかもしれない。」

「……」

 なにせ遠く離れていた亨君の足も掴んだ長い根、逃げ場所など無いに等しい。


「それだったら戦力を分散せずに集中させたほうがいいのでは?」

 そのほうがまだ希望が見える。

 私の問いかけに彼は少し黙った後、


「援護をお願いします!! あの火力であいつを焼き払ってください!!」

 刀を抜きながら確かにそう叫んだ。


「はい!」

 私が力強く返事したのは言うまでもない。

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