第54話 実力者の油断

 日も沈み肌寒くなった夜の事。

 自分ことクロードは腕を組み、岩に寄り掛かっていた。


 今現在、護衛すべき対象は自分の近くにいない。

 いや、正確には『近づけない』といったほうが正しい意味合いになるのだろう。


「ふぅ」

 岩の裏からとても妖艶な溜息が聞こえる、この状況でこんな声を出せる人物は一人しかいないだろう。


 根の形状をした魔物モンスターを倒し、今夜の寝床へと歩を進めた自分たちはこんこんと湧き出る天然の温泉を見つけた。

 長期の旅ともなれば風呂に入らず、着たきり雀になるのはある種当然のこと。

 滝や川などで汚れを落とすのが一般的なのだが、季節は雪も降りだすのではないかという所。

 氷のように冷たい冷や水を自ら進んで被るのは、よほど武術を磨こうとする者かただの被虐趣向の者ぐらいだろう。

 だからこそこのような源泉は、まるで渡りに船のようなものだった。


 自分は温泉で身を清めることを勧めた。

 汗でべたついた体は、年頃の少女である彼女からすればかなり不快なものであるだろうと考慮しての処置である。


 かくして今の状況へと至るわけである。


「湯加減はいかがでしょうか、賢者様」

「最高です! 出来ればこのままずっと入っていたいぐらいです」

 多くの女性は風呂を好むと聞いたことがあるが、彼女もその中の一人のようだ。

 加えて寒い中歩き通して疲弊した体には、至高の暖かさと安心感を与えてくれる風呂に逆うな、という方が無理があるだろう。


「クロードさんも一緒に入りませんか?とても気持ちいですよ?」

「……」

 そのままの意味なのだろうか? 掛けられた言葉を何度も頭の中で繰り返す。


「何を言っているのですか、私は男ですよ?」

「クロードさんこそ何を言っているのですか? 山奥の銭湯で混浴は基本ですよ?」

 自分が慌てて返した言葉を彼女は余裕たっぷりに返して見せる。


 どこまで本気なのか、取り乱した心をおさめながら考える。

「あまり、そのような事は人に言わないことをお勧めしますよ。」

 数か月前まで思春期真っ盛りの男子中学生だった者に対して、その言葉はいろいろと魅力的だ。

 自分だって枯れた男ではないのだ。ましてや彼女のような美人さんなら尚更だ。


 先ほどから聞こえる彼女の吐息と、風呂場の水音を聞くだけで嫌でも想像してしまい何度頭を振り払ったことか。


「ではもし仮に混浴したとして、クロードさんは私に何かするのですか?」

「いえ、まさか」

 だからと言って公私を弁えないほど若くもない、仮にも今まで世間に触れて一人の常識ある人間として努めてきたのだ。

 それなりに理性は強い方だと自負している。


「私としては、そのような事は勇者言峰様以外の方には言わないほうがいいと考えたまでです。

 余計な詮索と誤解をされる恐れがありますので」

 仮にも言峰のハーレムメンバーなら、言峰以外には肌を見せない方がいいだろう。


「……そう……ですね。」

「……?」

 対して彼女の返答は予想していたより弱かった。


「言峰様のことは好きなのでしょう?」

「……」

 再度の問いに沈黙、ここまで来ればさすがに彼女の異常に気付く。

 今の彼女に対して勇者言峰の話題は禁忌タブーだったようだ。


「まずいなぁ……」

 意図せずつぶやいてしまう。

 自分は彼女の今現在王城内でおかれている環境について全くと言っていいほど知らない。というより、元老院や勇者たちにはあまり触れないようにしている。

 目立つ存在に関わりたくないということもあるが、どのような実力をつけているかわからない勇者たちに対して無理に接近するのは危険だと感じたからだ。

 そのため、これらの情報はギルマスの特殊な情報網を伝って手に入れることが多い。


 しかし今回それが裏目に出てしまったようだ。

 賢者の事情を理解できず、何の対処もせずに旅に同行させてしまったり、いまもこうして彼女が気落ちしている理由すら掴めない。

 クラス一の情報通である柿本がもしこの場にいたとすれば、何のための【忍者アサシン】か、ときっと自分のことを嘲笑しただろう。


「……」

「……」

 とても気まずい雰囲気がその場に流れる。

 自分が放った言葉で、彼女の触れてはいけない何かに触ってしまったことは明らかだろう。

 しかし自分はそんな彼女に対して、どう声を掛ければいいのかが分からなくなってしまっていた。


 中学生活は柿本や鬼塚とともに日々を過ごしていたため女子とあまり会話することはなく、あったとしても係の事務的な手続きばかりであった。

 その結果、俗にいう『コミュ症』とまではいかないが、女性との話し方が無意識のうちに苦手になってしまった。

 このような時、言峰ならこの場の雰囲気を和らげられる気の利いた言葉を持ってくるのだろう。

 いつもはすさまじくクラスの中で目立っていて、ああは成りたくないと思っていたが、女性と話すときのあのコミュニケーション能力はある種の才能だと感心したことがある。


「……クロードさんは今の環境に満足していますか?」

「はい?」

 突然の質問に反射的に疑問符で返してしまう。


「私の環境ですか?」

「その通りです」

 しかしこれはありがたい、彼女が話題を作ってくれた。

「とても満足していますよ?仕事も充実していますし人間関係でもトラブルはありませんし。」

「そうなのですか」

 強いて言うのなら、ギルマスがもう少し人使いが荒くないと文句はないのだが。


「私は今の環境がとても辛いです」

「意外ですね」

 肩書から考えれば、この国一番といっても過言ではないほどの待遇を受けているはずだ。


「もちろん不満があるわけではないのですよ? みなさん私に優しくしてくれますし、食事も住まいもとても素敵なものです。勇者としての訓練も順調ですし、毎日が充実しているといってもいいくらいです。」

「羨ましい限りです。」


「……それが不安になってくるときがあるんです。」

「……と言いますと?」


「たまに思うことがあるんです。

 私たちが今現在、このように日常を謳歌できているのはひとえに神聖ルべリオス王国が守ってくれるからだって」

「当然です、勇者様方は国の宝なのですから」


「……これが本当に勇者として正いのでしょうか?」

「正しい、ですか……」

「私が読んだ物語の中に『勇者サトウの冒険』というものがあります」

「はい」

「物語の中で彼は様々な困難に立ち向かいながら、頼れる仲間とともにそれらを打破し。

 自身の迷いと葛藤の末に魔王を打倒したと記してあります」

「そうですね」

 それなら自分も読んだことがある。


「私たちは困難に立ち向かったでしょうか?」

「……」


「何か問題が発生し、紆余曲折の果てに解決したことがあったでしょうか?」

「……」


「自分たちが窮地に陥り、それを一致団結して無我夢中に解決したことがあったでしょうか?」

「……」


「最近自分たちのたどる道すじが、まるで道路を敷いたかのように御膳立てされているように感じることが多々あります。

 勇者たちの雰囲気も、まるでこの道路を迷わず進んでいけば、魔王を倒すことができるのではないかと思ってしまっているところがあります」

「……」


「私は思うのです。このまま王城でぬくぬくと暮らしていていいのか、と」

「なるほど……」

「……それに私自身、最近悩みを抱えています。」

「悩みですか」


 彼女は息をのんで言葉を続ける。

「少し前に私には仲のいい友達がいました。」

「いました……ですか」

「ある時、友達に不幸が襲い掛かったんです。」

「それはまた……」


「その時私は、友達を救える立場にありながら自分が巻き込まれることを恐れて何もすることができませんでした」

「……」


「その後、私はその友達に会うことが出来なくなってしまいました。

 ……その時から考えているのです。

 友達が酷い目にあったのに、恨まれて当然の私はこんなに何不自由のない生活が遅れていていいのかと。

 私にもそれなりの罰があるべきではないかと。」

 まるで懺悔をするかのように言葉を紡いでいく。

鑑定眼力サーチアイ】を使うまでもなくその一つ一つが本音であるということが理解できた。



「……愚見ですが」

 さすがにこのまま話を終わらせるのはまずいだろう。


「恐らくですがその友達はあなたを憎んでいないと思いますよ?」

「そうでしょうか?」

「はい、そのような場合は大抵自身が疑心暗鬼になっているだけで、本人に聞いてみれば意外となんとも思っていなかったということが多いです」

 己の危機はあくまで己が解決すべきもの、他人に助けてもらえないから恨むなんてものは筋違いもいいところだというのが持論であった。


「それに、まだ再会もしていないのにあれこれ考えるよりは、『会ったら真っ先に自身が謝ろう』と考えて、今を進んだほうが友達のためになります」

「……そうですね」

 彼女の声色を聞く限り、余計な一言にはならなかったようだ。


「ありがとうございます、クロードさん。少し気が楽になりました。」

「それは良かったです」





「ようやく私も決心がつきました」

「決心ですか?」

 水がざばぁと流れる音と共に彼女の気配が動くのが分かった。温泉から上がるのだろう。


「クロードさん。」

「はい」

「『銭湯』って何ですか?」

「……!」

 温泉の近くにいるはずなのに、体の温度が数度下がった気がした。


「ルべリオス王国では、町中も山奥も含めてすべて『公共浴場』と言われています。」

「……」

「『銭湯』なんて言葉、ルべリオスには存在しないのですよ?」

 彼女が丁寧に解説してくれるが今はそれどころではない。


 いったい何時からだ?


 彼女が『日本語』で話しかけていたのは。


 もしこのまま話を進めていけば、この先の結果なんておのずと見えてくる。


「『日本人』でもない限り。」

 後ろから衣ずれの音が聞こえてくる。

 おそらく服を着ているのだろうが、そんなこと今はどうでもいい。


「賢者様、それはですね……」

「そんな余所余所しい言葉を使わないで下さい。

 声を変えても、顔を隠しても、その身に纏う雰囲気は隠せませんよ?」

 話の主導権を握ろうと必死に努力するが、それを一笑に付すかのように次々と先手が打たれていく。


「雰囲気……ですか……」

「はい、感情をあまり表には出しませんが時折見せてくれる気遣い、とても隠せているとは言えません」

 そんなところを見られていたとは。

 さすがに特殊エクストラスキル【変装】でも、そこまではカバーできなかったということか。


「この場にいるのは私とあなただけです、もうこれ以上言い訳する必要はないと思いますよ?」

 そう宣言して彼女は岩陰から自分の目の前に現れた。


 昨日から飽きるほど見てきた賢者専用の法衣、その荘厳な雰囲気を保ちながら機動性に優れたルべリオスの服職人たちの最高傑作。

 その上から簡易な鎧をつけ、長い髪は邪魔だという理由で後ろに一つに纏めている。


 温泉に入る前と同じ服装、同じ姿。

 しかし決定的に違うのはその瞳に宿る光、何かを強く決意した覚悟の色をしていた。


「実は旅を始めた時から気付いてはいたのです。」

 話しながら彼女は自分に一歩、また一歩と迫ってくる。


「ですが今まで言い出せなかったのは、私に覚悟が決まっていなかったからなんです。」

 自分は思わず後ろに下がってしまい、背中を岩に張り付ける。

 実力において、彼女は自分よりはるかに下だ、下のはずだ。


 しかし現に今、自分は彼女に逆らおうと思うことができない。

 他でもない、彼女の気迫がそうさせているのだ。


「いろいろと話したいことはあるのですが、まず一言だけ言わせてください。」





























「お久しぶりです、とおる君」

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