第十三幕 地曳富と血眸さまと近衞一可の――

36 小坂柊人の真意と山狩りと

 元家祢津朗から、近衞一可が玖契村に舞い戻った聞かされたとき、小坂柊人は、いよいよ腹を括らなければならないのだと重い息をついた。

 傍流ぼうりゅうとして生まれたとはいえ、彼にもまた、始祖三家の呪いはあった。

 告げ口のように連絡を寄越した祢津朗が、もはや村に、己に、そして地曳富に見切りをつけたことを悟っても、彼は近衞家の人間として、動かなくてはならなかった。

 本来なら、動かない訳にはいかなかった。

 それでも彼が、柊人が美千代の遺言を聞き届け、半日近く状況を放置したのは、ひとえに甥を可愛く思ってのことである。

 たった一言で表すのなら、柊人は一可を溺愛していたのだ。

 ゆえに、美千代が死に、一可の命を奪う方向からその魂を救済するように遺言を残したとき、誰よりも精力的に村人たちに働きかけたのである。

 一可にあえて、自ら知り得たすべてのこと――姉夫婦の死因や久世悠莉の消滅の理由――を話さなかったのも、思わしげなことを口にして、その思考を縛ったのも、すべては彼を村から遠ざけるためであった。

 一可が地曳富の近衞となることは、ほぼ確定事項として美千代から柊人に伝えられていた。

 彼は愛する甥を、なんとしてでも救わねばならなかったのである。


(だが、それも限界か……)


 柊人は瞑目する。

 美千代の遺言には多くのことが認められていた。

 彼女もまた、一可を憎からず思い、しかし、玖契村から遠ざける以外の方法がなかったこと。

 地曳富の近衞という宿命から逃れる唯一の方法は、己の肉体を火葬すること。

 その荼毘という儀式によって呪いから逃れながらも、一可を残していく苦悩などが、遺書には柊人に宛てて、ありありと書かれていたのである。


(姉さんたちを焼き殺したのも、呪縛から救うためとあった……だが、一可だけが生き延びた。


 すべてを知った柊人は、必死になった。

 傍流であるからこそ、地曳富の影響を受け、ほとんどを忘却してしまうというハンデを背負いながら、それでも彼は、村の論調が一気に流れることがないよう、少しずつガス抜きをし続けた。

 元家一寿が動き、木戸晴美が死に、その隠蔽いんぺいを図らなくてはならなくなったときも、彼はなんとか甥である一可を巻き込まぬよう尽力した。

 本来は血眸さまを守らねばならない身で、一可を守り続けた。


(しかし、この日は来てしまった。事実が知られてしまう日が……)


 近衞一可は村に戻り、元家祢津朗から多くの事柄を聞き知ったに違いない。そのぐらいのことは柊人にも見当がついた。

 重い息が、ふたたび彼の口元から零れる。

 短く唸り、柊人はそれまで手を合わせていた仏壇の前から立ち上がる。

 彼の姿は、いわゆる白装束であった。

 襟は、左前になっている。


「小坂さぁん!」


 家の外からは、ひっきりなしに彼を呼ぶ声が聞こえる。もう夜も随分と更けているのに、である。

 覚悟を決めた柊人が顔を出すと、近衞家に集っていた一同もまた、白装束を左前に身にまとっていた。

 一可たちを元家の屋敷から引きずり出そうとする勢力である。

 万が一、近衞の血筋が絶え、地曳富が倦怠のなかに朽ちゆけば、玖契村もまた消滅する。

 それを知る一部の村人たちが決起した状態であった。

 ただし、誰の目にも敵意、悪意の類はない。

 彼らもまた、幼いころから知る近衞一可のことを、嫌ってはいなかったのだ。

 同時に、このままなら自分たちに訪れる、逃れえぬ運命についても知っている、それがゆえの白装束、その覚悟であった。


「……これが、たった一人の女が描いた図面だと思えば……これほど恐ろしいものはないな……」


 柊人はそう、ひとりごちる。

 しかし、もはや決意が揺らぐことはなかった。

 彼は一団の中に混ざっていく。

 そこで、ちょうど元家の方へ向かっていた伝令の者が、血相を変えて戻ってきた。


「大変だ柊人さん! 一可の坊ちゃんが、山へ逃げた!」

「なに?」

「それに、元家の連中が! !」

「――っ」


 思わず奥歯を噛み締め、柊人は唸る。

 元家祢津朗が、そのすべてを記録するという役目に疲れ果てていたことを、柊人は漠然と感付いていた。

 なにか重大な事柄をかの老人が放置し、その結果として宿、柊人の頭脳は即座に思い至ったのだ。


(取り返しがつかないことになる)


 恐ろしい直感が柊人に走る。

 追い打ちをかけるように、その場にいたものが声を上げた。


「柊人さん! ここにいるもんは覚悟ができちょる。古くから近衞家に仕えてきた者たちだからだ! だが、そうじゃねえもんたちもいる。一可坊がいれば、なんとかなるかもしれねぇ! なにも知らん子どもらが、女どもが、生き永らえることができるかもしれねぇんだ」

「――――」


 ここで。

 ここで一瞬だけ、柊人は迷った。

 甥と、村人の命を天秤にかけてしまった。

 天秤は揺れ動き、その曖昧な心持の中で、柊人は夢想する。

 一可が逃げ延びてくれるのならと。

 このまま、玖契村とは関係のないところまで逃げてくれればと、刻一刻と喪われていく時間の中で、彼はそう考えていた。

 だが――


「逃げたのは裏山だ」


 その言葉を聞いて――おのれの願望がいかに儚いものであったかを、柊人は痛感することになった。


(――いる。いるのだろうな、そこには。あのときはとぼけたが、に居なかったのだ、ご先祖様は、もはや近衞の役目を果たせなくなったあの男は、近衞継嗣はそこにいるんだろう。だったら)


 もはや、逃れえない。

 すべてを悟った彼は、柊人は、一同を見渡した。

 全員の眼に、決意と、悲壮なまでの覚悟がにじんでいるのを見て取っては、いかなる柊人も最後の一歩を踏み出すよりほかなかった。


「一可を探す。あれを次の〝地曳富の近衞〟に据えて、村をまもる。余所者がいれば口を封じろ、なんとしてでも一可たちを探し出し――連れ戻せ!」


 応! と、村人たちは短く答えた。

 すぐに全員が走り出す。

 旧式の懐中電灯と、出来合わせのたいまつを手に、人々が夜の山へとはいっていく。

 柊人にはそれが、自ら死地に向かう愚者の群れに見えて仕方なかった。


(そう、おいは、この村の人間はすべて愚者だ。一可、真っ当なおまえには、たまらなく愚かに見えるだろう。おまえはおいを憎むかもしれん、おいを敵だと思うかもしれん。なぜなら村を救いたいと思ったおいは、間違いなく愚者じゃから。だが、どうかこれだけは解って欲しい。一可、おいは――)


 おまえにだけは、幸せになって欲しかったのだと――小坂柊人は苦渋に満ちた表情で嘆き悲しんだ。


(姉さんみたいには、なってほしくなかったんだ。それだけは、真実やったんだぞ、一可……?)


 すべての思いを、寂寞せきばくの情とともに胸の奥へと封じながら、柊人もまた、山に入る。

 自分たちがそのあと、どうなるか。

 すべて、すべて知悉ちしつしながら――

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