28 不穏な夜と友の暗躍
一可たちは、そのまま元家の屋敷に滞在することになった。
祢津朗の計らいによるものだった。
「ぬしらが何を望んでおるか、大体わかっちょる。で、あれば。この屋敷から出ることの危うさも、解ろうというもんじゃ」
祢津朗が言外に言わんとしていることが、一可にはなんとなく解った。
現状、なぜか元家祢津朗は協力的ではあるものの、血眸さまという怪異の正体を暴きに来た一可たちは、当然その怪異によって成り立ってきた玖契村全体の敵であった。
祢津朗がそれを口外し、吹聴すれば、あっという間に一可たちの身は危うくなる。
だから、彼らは元家の屋敷から出るという選択肢を選べずにいた。
一可には解っていた。
解かることがつらかった。
(そうだ、たぶん柊人叔父さんも、このことを知っていたんだ。知っていて、黙っていたんだ。だから、もし、いま俺がなにを考えているかを知れば、黙ってない)
身内が自分の敵になるだろうこと。
それが真実の一端を知ったいま、一可には容易く理解できてしまうのだ。
夕食を祢津朗とともにしたあと、あてがわれた部屋に通された一可は、ただひたすらに思考を重ねていた。
紀一郎や玄司とは別の部屋にされてしまったため――同じ部屋にすることを祢津朗が頑として認めなかったための一人部屋ではあるが、それが逆に、混乱の極致にある一可には有り難かった。
ただっぴろい和室の中で、座椅子に腰掛けながら、一可は今日一日で齎された情報と、これまでの推論をすり合わせていく。
(人の記憶を喰らうバケモノ。人が存在したいう事実さえ消してしまうような恐ろしい存在。だけれど本当に、そんなオカルトめいたものが存在するんだろうか? そんなものがいるなんて、あまりに現代日本には相応しくない。だけれど仮に、俺なんかの狭い見識を取り払って、いると仮定するなら)
ひとつの結論が、どうしようもない推論が、彼の脳裏に描き出される。
(――ゆーりのことを誰も覚えていないのは、その所為じゃないのか? その化け物が、ゆーりを喰らったから。やっぱり、あのとき見た鮮血のような瞳の色をした少女は、血眸さまで)
紀一郎が提言したような幻ではなく、あれ自体が血眸さまだったのではないかと、一可は思う。
しかし、そうなると一可は、不思議に思わずにはいれなかった。
いったい何故。
(何故、ゆーりはこのことを知らないふりをしていたんだろう?)
久世悠莉は、久世家の娘である。
彼女は一人娘であり、先に兄弟がいたという事実もない。また、悠莉の母の年齢を鑑みれば、今後、跡継ぎが生まれるということも考えづらいだろう。
つまり、悠莉はいずれ、久世の家を継ぐことが確定していたことになる。少なくとも一可は、そのように教えられて育ってきている。
ならば、彼女が祢津朗の知っていたことを、完全に知らなかったとするのは、あまりに不自然で、統合性のつかないことだった。
(あるいは、一寿みたいに知らなかったのかもしれない。……いや、でも、じゃあ一寿は、どうしてああなったんだ? あんな魂を抜かれたみたいに。祢津朗じいちゃんはなんて言ってた? たしか、九つの契りを知らなかったから――)
――と、そこまで考えを巡らせたところで、彼の思考は遮られてしまった。
おそらくここでその答えにまで至っていれば、一可の辿る未来は、大きく変わっていたであろうに。
「ちょっと、いいか?」
三度の軽いノックの後、湯上りと思わしき姿の紀一郎が、部屋のふすまを開け顔を出した。
もちろんと、一可は二つ返事で応じる。
紀一郎の顔色は、湯上りだというのにあまり芳しくなく、一可は少し不安になった。
「だいじょうぶか、船越?」
「だいじょうぶではないのは、おまえのほうだろう、近衞」
「俺は」
「幼馴染を化け物に殺され、恋人をこんなわけの解らない村のはかりごとで殺され、大丈夫なわけがあるか。そのくらい、俺でも解る」
言って、紀一郎はくいりと眼鏡を押し上げる。
しかし、一可は彼の言葉に、わずかな違和感を覚えた。
それを、彼はそのまま口にする。
「船越」
「なんだ?」
「……本当に玖契村の誰かが、晴美を殺したのか?」
「…………」
「それに、いつからおまえ、血眸さまを信じるようになったんだよ?」
一可の訝しむような言葉に、紀一郎は沈黙を貫いた。
だが、眼鏡の奥で彼の瞳が、小さく揺れていることを一可は見逃さなかった。
(船越、まさか……なにか知っているのか? なにか、勘づいたことがあるのか? だったら)
「なあ、なにか解ったんなら俺にも」
「まだ言えない」
紀一郎はきっぱりとそう言った。頑迷なまでの決意がにじむ表情できっぱりと。まるで、一可にそれを知らせるわけにはいかないというように。
それだけは、伝えられないというように。
「近衞。それはまだ言えない。あのひとと相談して決めた。まだ言えない。おまえには教えられないんだ」
「あのひと?」
それが誰であるのか、玄司か、それとも別の誰かか、一可が問い質そうとする前に、紀一郎は彼に質問をぶつけてきた。
「近衞、正直に答えてくれ」
紀一郎の表情は真剣そのものであり、一可も思わず居住まいをただし聴く体制に入る。
「教えてくれ。近衞一可は」
「俺は?」
「木戸晴美と、久世悠莉。本当はどちらを、愛していたんだ?」
「…………?」
紀一郎の問いかけに、一可は首をかしげた。
傾げるしかなかった。
何故ならば、答えはひどく自明で、ひとつきりしかなかったからである。
「晴美だよ? 俺は晴美を愛していた。でなければ子どもなんて――」
一可がそこまで口にしたところで。
ちょうど紀一郎の尻ポケットから、独特のメロディーが鳴り響いた。
どこかノスタルジックなそのクラシックは、ビョートル・チャイコフスキーの『1812年』の序曲だった。
「もういい……。解った。すまないな、邪魔をして」
手を突き出し、もはや問答無用と会話を切り上げた紀一郎は電話に出た。
そしてその表情を、すぐさま苦虫をかみつぶしたようなものにすると、そのまま一可の部屋から、すたすたと立ち去ってしまった。
「……?」
友人が去っていく姿を、一可は困惑とともに見送る。
(なんだあいつ? いったい、なにを言いたかったんだ……?)
退出劇はあまりに突然で、一可は、終始首を傾げていることしかできなかった。
それは、
(晴美は恋人だったんだ。そしてゆーりは、俺の恩人だった。そんなの、比べるまでもない)
その、あまりに残酷な事実ゆえ。
どうしようもないほど決定的に、彼のなかで天秤は傾いてしまっていたからである。
紀一郎がたとえ訊ねなかったとしても、それは彼のなかで不動の不文律たりえていたのだ。
そうして、いまや全てが死者であるがゆえに、思い出は美しく彩られ、その天秤の傾きが変わることも、二度となく。
だからこそ、のちの悲劇はこの瞬間に確定したのだった。
そのことに一可は、まだ、気付きもしない――
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