第十幕 地曳富と正気の狂気と赫眼の――
27 地曳富と九つの約定
「そいは、たいそう昔に、空より落っこちてきよった。お空の上の、そのまた上から、真っ赤に燃えながら、轟々と喚きながら、腹をすかして
おもむろに、気が違った孫と座敷牢を背後にしながら、元家祢津朗は語り始めた。
船越紀一郎は、その場の誰にも気が付かれないようにそっと、尻のポケットへ手を伸ばし、そこに滑り込ませていたスマートホン、その録音機能を有効にした。
それは自動的にある人物に――彼が伝手としか告げず、親友にも明かさなかったひとりの男性のもとへと、録音データと、そしてそれ以外のすべてを送信していく。
紀一郎には、予感があった。
だから、不十分だと解っていながら、いまある情報のすべてを、その人物へと託したかったのだ。
紀一郎のその振る舞いに、祢津朗が
「こん村ば語る書物じゃ、三人の修験者が必ず出てくる。こいらは地曳富ば封じたと語らるが、じゃっどん実際は違う。あいらは、おいどもの先祖は――天に帰らんとす地曳富ば、無理矢理この世界に縛り付けたんじゃ」
「縛り付けたって……祢津朗じいちゃん、それは」
「近衞一可。ぬしは知らねばならぬ。近衞、久世、そして我が元家。この三つの家は、罪ば犯したのだ。私利私欲のために、災厄をこの世に繋ぎとめたのだ」
静かに、しかし圧力すら伴う威厳とともに放たれる、祢津朗の方言混じりの言葉に、その場にいた全員が一歩後ずさった。
それほどまでに彼の声には、
「地曳富はただ餓えちょった。腹が
「それが」
三条玄司が、滝のような冷や汗をハンカチでぬぐいながら、尋ねる。
「それが、ひとの魂や記憶を喰らうって、もんですか?」
「そうじゃ」
翁は頷く。
苦々しげな色が、笑みすら消えたその口元に刻みついていた。
「地曳富の餌はものの在り様よ。それがそこにあって、なにをしたかという〝それ〟が奴の唯一口にするものよ。伝承では山野が七日七晩燃えたとあるが、それは違う。七日七晩かけて血色の洪水、血色の津波がすべてを
「その、地曳富をつなぎとめる手段とは?」
紀一郎がそう問うと、祢津朗は彼を一瞥し、短く「知らん」と、吐き捨てるようにそう言った。
紀一郎は
(嘘だ。この男はいま、嘘をついている。知らないはずがない。知らないわけがない。教える気が端からないだけだ。だけれど……)
めまぐるしく思案を重ねながら、しかし紀一郎はどう切り出せば眼の前の
その悔しさが顔に出ていたゆえか、祢津朗は、嘲るような口調で言った。
「不服か、近衞の腰巾着」
「俺は――っ!」
カッと、紀一郎の頭が沸騰した。
なによりも先に、その言葉が口を突く。
「俺は腰巾着じゃない! 近衞の、近衞一可の、友人だっ!」
「……ほう?」
怒りをあらわにした彼に、祢津朗は意外そうに目を剥き、それから少しばかり嬉しそうに微笑む。
しかしその微笑みもわずかな時間で消え去り、名残を残すこともなく酷薄な表情へと塗り替えられていった。
祢津朗が再び口を開く。
その瞳は、もはや紀一郎を視てはおらず、一可だけを見つめていた。
「地曳富をこの地に
翁は指を一本立てる。
節くれだち、皺だらけの指は小刻みに震えていた。
「第一家、我が元家に課せられたのはみっつの呪い。ひとつ、村を維持し、繁栄させるためにあらゆる手段を尽くし、地曳富が巣所を確保する。ふたつ、忘れ去られる真実を後世に伝え続ける。そしてみっつ、そのどれも果たせなくなったとき、元家は真っ先に地曳富の餌となる」
二本目の指が立つ。
震えは一層強くなる。
なにかは言わなくてはならないと、衝動のように紀一郎をせっつくものがあるが、老人の鬼気迫る迫力に気圧されて、彼はなにも言えずにいた。
「第二家、久世の呪いも同じくみっつ。ひとつ、地曳富に捧ぐ生贄の選定――権力者どもが消して欲しい人間、その振る舞い、過去を選ぶ汚れ仕事じゃ。ふたつ、血脈の維持。血を絶やせば地曳富は消える。始祖どもの術はそういったものじゃ。故に子を為す、すべての家が絶えぬように計らう。みっつ、地曳富を操ること。言うまでもなく不完全、じゃっどん、その表層を幾らか操り、そしてすべてを蝕まれる。それがあやつらの呪い」
三本目の指が立った。
もう、指を震えてはいなかった。
祢津朗は真っ直ぐに、哀れむように一可を見詰め、最後の呪いを告げる。
「第三家、近衞。みっつの呪いはすべてキワモノよ。ひとつ、地曳富に纏わるすべてを護れ。物事も、人もじゃ。すべてを護らねばならん、秘密さえも。ふたつ、地曳富の無謬を慰めよ。滑稽に踊れ、選ばれたものはなにも知らず、なにも忘れられず、道化として振る舞うよりほかはない。そうして――みっつ」
翁は、青年へと、言い放った。
「死したのちも地曳富のそばにあれ。近衞一可、ぬしの家は文字通りじゃ、地曳富のための近衞――化け物を守る化け物になるため、ぬしらは生まれて死んでいくものぞと知れ」
ぽたりと、血のしずくが滴った。
船越紀一郎は、己の推測が当たったことを悟り、悔しさからその唇を噛み切っていたのだった。
そう、彼の親友は。
「近衞一可は、血眸さまに狙われておる――」
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