24 宴と血眸さまの謎

 一可たちが屋敷に入ると、まるで旅館の仲居達のように――下手をすれば前日宿泊した旅館などよりよほどたくさんの――元家の家人たちが、廊下の左右に並んで出迎えた。

 困惑する彼らを、祢津朗は言葉巧みに誘い、一可はあれよあれよという間に奥の間に通されてしまった。

 そこには、歓待の席がすでに設けられており、とても山奥の寒村とは思えない贅の限りを尽くした食事が並んでいるのだった。


「酒もかとば用意させたけん、遠慮せんでけちくれんね」


 むりやり席に付かされた一可たちのまえには盃が置かれ、そこになみなみと日本酒が注がれる。


「えっと、祢津朗じいちゃん。俺たちはこういうことをしてもらいに来たんじゃなくて」


 小さい頃の癖で、なんとなく〝じいちゃん〟と呼んでから、一可は失敗したと顔をしかめた。そのような気安い呼び方は、あまりに彼がこの村を訪れた理由にはそぐわず、また権力者を相手に回した時は不適切だったからだ。

 だが、祢津朗は鷹揚おうようだった。

 一可のその言葉を聞くなり、彼は呵々大笑かかたいしょうし、一同を大いに驚かせた。

 ひとしきり、眼に涙が浮かぶほど腹を抱えて笑った彼は、一可に、


「おう、よか。よか若者にせに育ったもんじゃ。場の雰囲気にゃ流されん、芯の強さがある。こりゃあ、逃げ出した美千代も鼻高々じゃろうて」


 自慢の孫でも見るような顔で、言ってみせた。


「婆ちゃんが、逃げ出した……?」

「……おっと」


 不思議な物言いに一可がオウムのように言葉を繰り返すと、口が滑ったとばかりに祢津朗は口元を隠す。しかしその所作はいかにもわざとらしく、彼の眼はにやにやと、ひとを値踏みするように笑っている。

 その表情を見て、一可はようやく気が付いた。

 これは、歓待されているのではなく。

 祢津朗も、元家の人間たちもまた、自分たちに探りを入れているのだと。

 いわばこの場は、既に戦場であるのだと、そう理解し、その気付きがあまりに期を逸したことで、一可は悔しげに歯噛みをした。

 すでにイニシアチブは祢津朗にあって、一可は限られた範囲で質問することしかできなくなっていたからだ。

 しかし、その嫌な流れに刃向うように、口火を切ったものがいた。

 紀一郎だった。


「単刀直入に聞きたいのだが」

「なんじゃ、近衞の腰巾着こしぎんちゃくが口を利きおったか」

「俺は近衞の友人だ。断じてあんたが言うようなものじゃない」

「……愉快よなぁ。遊興の場じゃ、よいよい、許しちゃるわ。好きに尋ねい。で、なんじゃ? なにを聴きたいか、坊主?」


 にやにやと、ニタニタと笑い、いたぶるように言葉を弄する祢津朗に、しかし紀一郎は臆することなく、一歩も引かずに討論を開始する。

 譲る気はさらさらに無いと、その眼鏡の奥の眼光が物語っていた。


「聞きたいことは三つだ。ひとつめ、あんたは久世悠莉という女性を知っているか?」

「さて、だいのことかの? いっちょん聞かん名じゃが」

「久世の名字を知らないわけがないだろう」

「……ふん。むろん、むろん久世は知っちょるわ。じゃっどん、娘がいたことは知らん」

「――。いま、そう言ったな?」


 それは間違いないか?

 そう、紀一郎は追及した。

 祢津朗は、愉快そうに笑うだけで、答えない。まるで、答えない方がより可笑しくなるからといった様子で。

 それが、一可には不気味だった。

 彼の知る祢津朗とは、どこか違うものを感じていた。あるいは、それが彼の本性だったのかもしれない。

 だから、紀一郎の次の言葉に、祢津朗は即答した。


「……では、ふたつめの問いだ。血眸ちまなこさまとは」

「――まずなぁ、その呼びかた自体が、間違っちょるのよぅ」


 紀一郎が眉間にしわを寄せ黙る。

 かわりに一可が、祢津朗へと訊ねた。


「それは、どういうことなんだ、祢津朗じいちゃん?」

「ふーん? 近衞のおまえがそーゆー顔ばするっちゅうことは、誰ぞ悪知恵を働かせたもんがおるね? だいかねぇ、こげんこつ憎たらしかことばすっとわ……まあ、たいがい見当はつくけん、あとでどーとでもなろうがねぇ」

「なにを言って」

「血眸さま」


 祢津朗が笑みを消し、はっきりと、その名を呼ぶ。


「もとからして、それはそう呼ぶもんじゃなかったい。チマナコさまなんち呼ばん。本来は、血眸ちひとみさまっちゃ、いうけん」

「ちひとみ、さま……?」


 そうじゃ、と、翁は厳かに頷いた。


「あれは恐ろしかもんよ。ものが記憶――んにゃ、ものが実在した証そのものば喰らうバケモノぞ。記憶じゃ、魂じゃ、。そういうもんば貪り食うけん。あれに喰われたもんはもう見つからん。神隠しにうたようにいなくなるんじゃなか。はじめっかららんかったことになっちょる。。じゃけん、いつからかこの村のもんは、アレの本来の名に読みを宛てて、血眸ちまなこさまと呼んだんじゃ」


 じゃけん、本来の名は、チヒトミさまっちゅうんや。

 険しい表情で、語るべきではないことを語るような口調で、祢津朗はそう語ってみせた。

 一可は、またもオウム返しで、その名を呼ぶ。

 「ちひとみさま」――と。


「そうじゃ。いまの字で書けば――こうなるか」


 控えていた家人を呼びつけ、準備していたのであろう半紙に、すずりの墨をたっぷりとつけながら、祢津朗は書をしたためてみせる。


 地曳富――と。


地曳富ちひとみ。地にかれし富の産物。災厄で金づる。そいば繋ぎとめることで、権力者どもから協力ば取り付け、この村を潤し、今日まで存続させたそのものを現す名がぞ」


 それが自分たちを反映させたのだと、祢津朗はそう語る。

 だが、彼の表情に誇るような色はない。

 ただただ、ひたすらに忌み嫌うような、呪いを目の前に置かれたような名状しがたい苦悶だけが、その言葉からは滲みだしているように一可には感じられた。

 祢津朗の放つ言外の気配、その不気味さに圧倒されて一可と紀一郎は口をつぐむ。

 血眸さまという謎の存在の、その背景のが明かされただけで、彼らは飲まれてしまっていたのだ。

 しかし、玄司だけは違った。

 もとより海千山千を称する彼は、祢津朗の意図にひとり気が付いていた。

 だから、彼が最も踏み込まれたくない場所に、踏み込まれぬよう物事を大盤振る舞いする彼の急所に、無遠慮にあえて踏み込んだ。


「では、最後の質問です、ご老体」


 玄司は、ニヤリと笑い、問い質した。



「殺人犯――元家一寿さんは、?」



 その場にいた全員が、沈黙する――

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