25 三年前の事件と元家一寿
三年前から、三条玄司には追い続けている事件があった。
数えて三年、厳密には42か月と17日前。
玄司は、その事件を担当することになった。
火災事故だった。
夜中、突如閑静な住宅街で起きたその火災は、瞬く間に周囲の家を飲み込み、燃え上がり、延焼の中心であった家屋は完全に焼け落ちてしまった。
9戸の家屋が炎上し、延べ死者数18人にまで及んだ放火事件であった。
(否。上層部はそれを、放火だとは思わなかったんですよねぇ。なにせ酷い火災で、もっとも火勢の強かった家の住人は骨まで焼けて、遺体のほとんど欠損してしまっていた。明らかに不審な場所で、ガソリンの燃焼反応が出たにもかかわらず、それは証拠として扱われなかった。そう、証拠はなかった。けれど――)
玄司は、ちらりと自分の先を歩く青年に視線を移す。
(この青年が、生きていた。火災の中心――
一可本人に、その記憶はないと玄司は知っていた。
彼は火災が起きる前に就寝しており、気が付いたときには病院だったというのだから知るはずもない。
ゆえに一可は、被害者の――両親の死に目にはあっていない。
そして、いまだその事件が、ただの事故だと思い込んでいる。
(――もし、それが彼の家からの出火であって、しかも不審火でなかったのなら、いま彼は莫大な賠償金を負っているはずなのに、ですよ)
不安げな表情で歩く青年に、そんな借金などない。
出火元の滞在人としてマスコミから心無いバッシングを受けたことも、またない。
或いは、無理心中の犯罪者として、警察からマークされたことも。
(あたしには、あまりに不思議でした。だれも、彼が怪しいとは思わなかった。あたしもそうだった。放火であるという状況証拠がそろっていたから、逆説的に、です)
事件当時、近辺で不審な人影を見たという目撃証言は上がっていた。
黒い喪服の女性。
それに、恰幅のいい少年。
その二名が、近衞家に侵入していく様を目撃した人間がいたのだ。
(……ですが、その人物は目撃証言を取り下げた。そして、上層部は捜査まで打ち切った。不思議だった。あれだけ人が死んでいながら、誰もが無関心だった。この青年すら、両親の死を嘆けども、その原因を調べようとはしなかった。不思議でした)
玄司は、ごま塩の頭をバリボリと掻く。
首許にそっと手を当てる。
誰にも悟られぬよう、小さな小さな息をつく。
(彼以外、事件などなかったように振る舞うすべてが不思議でした)
だが、しかし――と。
玄司は奥歯を噛む。強く噛み締める。
(それは今回の木戸晴美殺人事件と同じなんです。ろくに証拠が挙がらない。あるはずの情報が消えていく。まるで虫食いみたいに記憶があやふやになる。その理由が、いま掴めるところまで来ている。そうだ、細い細い糸が、今ようやく繋がろうとしているんです)
その糸は、いま一同が歩く廊下の先に繋がっているのだと、彼は確信していた。
元家一寿。
その名を、三年前、玄司は聞き知っていた。
情報が、調査が途絶える寸前、その名前は明らかになっていた。
近衞家に侵入した片割れとして、確かにその少年の名前は捜査線上に上がっていたのだから。
(逃げ続けたホンボシ。それに今、ようやく手が届く。少なくとも、木戸晴美殺しはこいつだという所感がある。事件当日、彼女の職場を訪ね会話を交わした外部の人間はひとりだけ。近衞一可の友人を名乗って近づいたらしい元家一寿だけなんですから!)
だから、祢津朗が素直にその人物――一寿のもとに一可たちを案内したことが、玄司には不思議でならなかった。
祢津朗は一寿の祖父にあたるという。
祖父が孫を警察に――明らかに怪しんでいる刑事に引き合わせるというのはどういう心の機微によるものなのだろうかと、玄司は困惑しもした。
或いは観念したのかとも。
けれど、その想像は、
「ここじゃ。一寿はこの中におるわ。自由に話せばよか」
――祢津朗が廊下を進み切り、突き当りのふすまを開けた瞬間に霧消した。
玄司は、自分がとんでもなく的外れな推理をしていたのだと、いやがおうにも理解するしかなかった。
彼は。
容疑者、元家一寿は――
「――――――――」
そのふすまの奥、座敷牢の中で、虚空を見つめ、陶然としていた。
その口元から、だらだらと涎をたらし。
明らかに、正気ではない顔つきで。
うっとりと牢屋の天井を見つめているのだった。
祢津朗が、悪意に塗れた顔で
「こいが我が家の末孫、一寿の姿じゃ」
玄司は、呆然と眼を見開くよりなかった。
血眸さまは人の記憶を、魂を喰らう――祢津朗の言葉が、彼の脳裏で何度もこだまする……。
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