21 調査結果と、残酷な夢

 いくつかの情報を有島真から得た一行は、郷土資料館を出て、その日の宿泊先である旅館へと向かっていた。

 車の運転をしているのは三条玄司であり、助手席には船越紀一郎が座り、彼らは入手した少ない情報から議論を重ね推論を積み上げていく。

 玄司は警察の部下に、紀一郎は伝手つて以上のことは説明しない誰かに連絡し、みのりは乏しいものの情報を詰めていく。

 そのふたりの様子を、後部座席で伺いながら、近衞一可はぼんやりと本を読んでいた。

 それは、紀一郎が働いている出版社から出ているミステリー小説で、菫色とうしょくの探究というタイトルだった。

 筆者の名前は、花屋敷はなやしき統志郎とうしろう。一可には聞き覚えも見覚えもない名前の作家だった。

 内容は専門用語や造語が飛び交う難解な代物で、ミームや生命の種子、不完全既視感ミッシング・デジャヴなどという単語が踊っている。

 ただ、難解ではあったが、それは一可にとって、あまり意味をなさない物事だった。


(たぶん、俺は、ただ少し頭を整理したいだけなんだ……すまないな、紀一郎。まったく内容は頭に入ってこないや)


 茫洋とした彼の眼は文字の上を滑り、まだ整理のついていない胸中と向き合い始める。

 物事の元凶であるように思われる血眸さまについては、まだなにもわかっていないに等しかった。

 だから、彼が思いをはせるのは、愛したひとと、大切な幼馴染について。

 木戸晴美は、惨殺された。

 顔の形が変わるほどの殴打ののち、くびり殺され、そして腹を裂かれて、その胎児をも殺された。

 許せないことだと、一可は奥歯を噛む。

 木戸晴美の死も、母体とともに失われた子どもの命も、一可には背負いきれるものではなく、ただただ怒りに震えていることしかできなかった。

 しかし、彼は目撃してしまっていた。

 それは幻覚かも知れない。

 妄執が生んだ脳の誤作動かも知れない。

 それでも、彼はあのマンションで、白い猫と、変貌した久世悠莉を見てしまっている。

 そのふたつが、なにか事件に関係があるのではないかと、彼には思えてならなかった。

 初老の刑事や、一可の親友は、この事件は大きな権力によるものだと思っているようだが、一可には――それが現代的ではなかったとしても――オカルトによるものであるようにさえ思えてきていた。


(解らないんだ、いったいなにが起きているのか。俺はどうしたらいいのか。いったい、俺はなにを憎めばいいのだろうか……?)


 怒りはある。

 腹腔のなかを焼き尽くす、どろりとした醜い感情も滾っている。

 だけれど、それを向ける相手がいないのだ。

 木戸晴美を誰が殺したのか、それはまだ、警察ですら掴んでいない。

 一可を含む三人は、玖契村全体の陰謀だろうと踏んでいるが、それも確証はない。

 だからこそ、一可はどうしたらいいのか解らなくなってしまっているのだ。

 故に、彼の脳裏をよぎるのは、幼馴染がいつかみせた、あの儚い笑顔なのだった。


(俺の、晴美との結婚を願う気持ちを祝福してくれた、あの笑顔だけ……)


 考え込んでいるうちに、本を手にしたまま、一可はいつしか眠り込んでしまった。

 ここ数日、ろくに休息を取っていなかったからである。

 彼はその眠りの中で、とても残酷で、やさしい夢を見た。


『あのね、いっちゃんのおばあ様はね、この村の人たちにとって、すっごくトクベツなんだよ!』


 こぼれるように大きい目を、いっそう見開いて、幼い少女は、一可にことの重要性を示すため、全身を使って説明する。

 両手をひろげて『このくらい! もーっと!』と、なんどもなんども、アピールを重ねる。


『選ばれているの、それはメイヨなことなの、約束なの! でも、美千代おばあ様はあたしにだけ教えてくれたんだよ、ほんとうはそれがイヤなんだって、誰かになすりつけてしまいたいって。あたし、よくわからなかったけど、こう思ったの――


 少女はキラキラとした眼で一可を見詰め、眩しい笑顔でそれを告げる。


『トクベツになったら、いっちゃんはゼッタイ歓迎されるよ! 村のみんなが、いっちゃんを認めてくれる、なやつも近づけない、いまみたいにいじめられたりしないよ! だから』


 だから、と。

 その少女は。

 幼い日の一可の幼馴染。

 久世悠莉は、まだ無事だった五体を広げ、笑顔で提案した。


『森のお社にいこう! 選んでもらおう! あたしが――先に行って、準備しているから!』


 それは、一可にとってとても遠い記憶。

 優しく、残酷な想い出の1ページ。

 このあと彼女は右足に怪我を負い、結果として、一可は玖契村の人々に認められることになる。

 久世の娘を救ったヒーローとして。


(……だけれど)


 一可は、ゆっくりと意識を覚醒させる。


(だけれど、ゆーりのことを皆が忘れてしまったいま、俺は玖契村のなんなんだろう? 彼女のしてくれたことは、どうなってしまったのだろう? 俺は――)


 自分はいま、その玖契村の人々を、恋人を殺した殺人者の集団であると疑っている。

 そう自覚するとともに、彼の口元から渇いた笑声が零れた。

 目を覚ます。

 彼の前にいるのは、優しい幼馴染ではなく、射すくめるような眼光をした眼鏡の親友と、初老の刑事だった。


「つきましたよ、近衞一可くん。ここが、今日の宿です。あっはー、お化けでも出そうですね!」


 車から降りながら、こじんまりとした旅館を背にして、玄司がそう笑った。

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