第五幕 旧友と、過ちと、深夜のエレベーターの――

11 空腹と旧友と再会

 玖契村から自宅まで、近衞一可は真っ直ぐに帰った。

 ほとんど丸一日かけて自室に辿り着くなり、彼は着替えることもなくベッドに倒れ込んだ。

 疲弊した精神が、ただ惰眠だみんをむさぼることを願っていた。

 沈み込むように眠りに落ちた一可が、目を覚ましたときにはどっぷりと日は暮れ、真夜中になっていた。


「……こんなときでも、腹は減るんだな」


 くうくうと鳴る腹を右手で抱えながら、しばらく一可は虚空を見上げ、それでもやがて空腹に耐えきれなくなって、冷蔵庫へと向かった。

 しかし、法事のまえに整理していたそこには、食材のひとつもなく、保存のきく調味料だけがうすぼんやりとした内部灯に照らされているだけだった。

 室内をくまなく探しても、出てきたのはミント味のガムだけで、彼の空腹を癒してくれるような温かいものなど、望むこともできそうになかった。

 溜息をひとつ吐き、一可は立ち上がる。

 財布とスマートホンをポケットに押し込むと、上着を1枚羽織って、自宅を出た。

 近所にある、24時間営業のファミリーレストランへと行くつもりだった。

 夜の町並みは暗く、しかし玖契村の深い闇と比べると、まるで昼であるような錯覚を一可は覚えた。


(暗い……そう、あの屋敷は、昏かった……凍えるように、真っ暗だった)


 ぶるりと、一可の背筋が震える。

 寒さを思い出したように、彼は衣服の前を掻き抱く。季節は夏だというのに、一可の腕には鳥肌立っている。

 彼の中で、あの日起きた原因不明の事態は、まったく整理がついていなかった。

 それでも、逃げ出すように玖契村を出た以上、日常に戻らなければならないと、一可はそう思っていた。

 だが。


「ゆーり……」


 彼の脳裏を、寂しげな微笑みがよぎる。

 消えてしまった幼馴染。

 大切な友人。

 なによりも、


(どうして、だれもあいつのことを、覚えていないんだ……)


 砂を噛むような虚無感が、彼の胸中を蝕んでいく。

 重油のような重くのったりとした粘着性の泥が、生きる気力のようなものを苛んでいた。


「…………」


 胃が重く、頭も重い。

 街中特有の絡みつくような生温さがそれに拍車をかける。

 だんだんと食欲も失せ、一可が帰ろうかと思い始めたころ、それは見えてきた。

 黄色く輝く看板に、赤い文字のファミリーレストラン。

 その店名が、まるで皮肉のように一可に突き刺さる。


「……帰るか」


 そっと、なにもかもに嫌気がさして踵を返そうとした瞬間だった。


「……ん」


 そんな息遣いとともに、ポンと一可の肩に誰かの手が置かれた。

 緩慢な動作で振り返ると、一可よりも頭ふたつは背の低い眼鏡の青年が、彼の肩に手をかけていた。

 眼鏡の奥の目付きは鋭く、頬骨の浮いた、抜け目のなさが見え隠れする相貌。

 その青年に、一可は見覚えがあった。


「……船越ふなこし?」


 戸惑いながらもその名を呼べば、その青年――船越紀一郎きいちろうはゆっくりと頷いてみせる。

 そして、見た目相応の低い声を絞り出すようにして、


「おまえ、顔色が蒼白だ、よくない。こっちに来い、飯をおごってやる」


 そう、言った。


「いや、だけど俺は」

「近衞」

「?」

「なにか、あったんだろ?」

「…………」


 紀一郎が、その貫くような眼差しを幾分和らげ、そう問いかけると、一可は答えることもできなかった。

 ただがっくりと脱力して、彼の言うがままになってしまう。


 一可は、そのまま紀一郎に連れられて、ファミリーレストランに入った――

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