10 絶望と血眸さまと帰り路の――

 玖契村に、まだ名前がなかったころ。

 まだ、誰もその場所に住むものがなく、山間やまあいでしかなかったころ。

 ある日、夜空が、赤銅色に焼けたことがあったのだという。

 融けて流れる銅のように、赫々ともえあがる空を、ふもとの人々は、天変地異の前触れだと、怖れて見上げた。

 雷のような音と、とてもつもない地揺れ。

 なにかが山に落ちてきたと住民たちが理解したとき、それはすでに周囲の山々を燃やし、ついには七日七晩燃え上がらせた。

 天変地異の前触れだとする人々の不安は、はたして的中した。空と森が焼けた夜から、一帯では奇妙な流行り病が蔓延することになったのだ。

 倒れるものが相次ぎ、混乱が生じた。

 村というのは細分化された役割社会である。気が付けば、多くの村は、共同体としての体裁を保てなくなるほどのに陥っていた。

 これを、その赤い夜の――落ちた〝星〟の所為であると判断した村の有力者たちは、ときの権力者に懇願。ついに認められ、調査のために都から役人が派遣される。

 役人たちは、70余名の醜男しこおと、三人の修験者とともに、その山へと登った。

 星が落ちた場所を見ると、そこは大きくくぼみ、その中央で煌々となにかが、昼夜を問わず燃えていた。

 それに近づくと、何名もの屈強な男たちが、真っ青になって倒れたという。

 カラカラに、干からびてしまったものもいた。

 役人が修験者に命じると、修験者たちは口々に異なる祝詞を唱えはじめた。

 彼らが三方から近づくと、徐々にその星がおちた場所に燈る焔のような光はおさまりはじめ、やがて、その修験者たちの身体に吸い込まれるようにして消えていったという。

 以降、流行り病はパタリとおさまり、裾野の人々は修験者を崇め、その地を神聖な場所として祀った。

 役人にあとの始末を任された修験者たちは、それぞれ久世くぜ元家もといえ、そして近衞このえという名を名乗り、山々を元に戻すため、植林に賑わうその地を治め続けた。


「――と、これが玖契村の成り立ちだ」


 ポンと膝を打ち、小坂柊人は一可にそう語ってみせた。

 しかし、一可は眉をひそめる。

 彼が求めたのは〝血眸さま〟という存在についての説明であり、玖契村の説明ではなかったからである。

 それをありのまま柊人に告げると、彼は苦笑し、


「待て待て。なにごとにも順序がある。この話をしておかんと、血眸さまの話はこじれるんだよ」


 そうして、今度こそ柊人は、血眸さまについて、語り始めたのだった。



◎◎



「血眸さまがなんなのか、じつは俺達おいどんにもよく解っていない。だけれど、玖契村というものが成立したときには、それはもうあったんだ」


 柊人は神妙な表情で、そう切り出した。

 そうして、少し悩むようにして、こう口にする。


「一可、おまえはこの村のうまれじゃあない。だけれど近衞の家に連なるもんだから、血眸さまのことを、知らないはずがない。もっとも、一番よく知るのは元家の連中だが」

「知らないはずがないって言ったって、俺は知らない。叔父さんが――」


 ――ゆーりを知らないように。

 そう続けようとして、一可は押し黙った。

 すでに一可と柊人はその話を何度もしており、いまさら不毛だと解っていたからだ。

 しかし、それに対して柊人が告げた言葉は、一可の度肝を抜くものだった。


「え?」

「血眸さまも、みんな知ってるはずなのに、その名前だけは知っているのに、なんなのか解らない。そういうものなんだ」


 そこにいるはずなのに、村の中にいるはずなのに、だけれど誰も、それがなんなのか解らない。


「そういうものなんだよ、一可。例外は元家だけだ」

「ちょ――ちょっと待てくれよ、叔父さん!」


(その言い方だとまるで、まるでその〝血眸さま〟ってのが実在してるみたいじゃないか!)


「みたいじゃない。実際にいるんだよ、血眸さまは」

「ここは現代日本だぞ、ありえるかよそんなの!」


 思わず。

 思わず一可は、そう叫んでいた。

 彼にはとてもではないが信じられなかった。

 なにか、得体のしれないものが、自分が幼いころから入り浸っている村には住みついていて、しかもその正体を、姿かたちを、なにひとつ誰も知らないのだという。


「信じられない! 例えそんな化け物がいたとしても、ゆーりはそれを知っていたことになる! だって、だって久世悠莉は、あの爺さんを助けようとして――」

「一可」


 激昂する一可を冷静に見つめながら、難しいお面持ちで、柊人は言う。

 告げる。


「あの家には誰もいなかった。誰かが生活していた跡もなかった。当然だ、だってあの家は――血眸さまを祀るために、おいどんが作ったものだから」

「?」

「血眸さまは何処にいるのかわからない、どんなものなのかも解らない。だけれど粗末にすると人を祟るという。――いや、それはいい。だから、おいどんは昔から棲む場所を作ってきた。そこにいるんだと、押し込めているんだと、おいたちが思い込むために、安心するために」

「…………」

「その家を管理してきたのが――久世の家だよ」

「――――」


 その言葉の意味が、一可ははじめ、飲み込めなかった。

 しかし、柊人が言葉を重ねるたびに脳が理解しはじめ、やがて叫んでいた。


「なんだよそれ!? それじゃあ、それじゃ、まるでゆーりは!」


(ゆーりは、供物に――生贄にされたみたいじゃないか!)


 生贄。

 そんな言葉が、一可の脳内で渦巻く。彼の信じる現代日本において、それはあり得ない概念だ。しかし、なにより一可が認められなかったのは、もっと別のことだった。


(じゃあ、ゆーりのお母さんは、あのひとはあいつがこんなことになるって解ってて、それでゆーりになにも教えなかったって言うのか? あの日のゆーりの口ぶりからして、あの家のことはなにも知らなかったはずなのに。いや、いや、それよりも、じゃあ――)


 一可の脳裏をよぎる、


     赤い/昏い


 右目だけが血の色をした、少女のような姿の、ものは。


「あれが、血眸さま……なのか?」

「……一可」


 呆然と呟く一可に、柊人は短く、だけれどきっぱりと、こう言った。



「忘れろ。なにも考えるな。それが、血眸さまに祟られない方法だ」



「…………」


 一可は、もうなにも言えなかった。

 ただ、ただ打ちのめされて、どうしようもない気分になって、しばらくのあいだ自失していた。

 そんな一可に柊人はなんら言葉をかけることはなく、むしろその様子を歓迎するような向きさえ見せ、やがて彼の前から姿を消した。

 一可はずっと縁側で虚空に視線を向け続け、やがて立ち上がると、荷物をまとめ始めた。

 そのまま、誰にあいさつをすることもなく、唯一、祖母の遺影にのみ参って――矍鑠かくしゃくとした表情の美千代が、額縁のなかから一可に厳しい視線を向けていた――そうして、この村まで乗ってきたミニバンに乗り込むと、そのまま帰途に就いた。

 まだいくらか水気を帯び、柔らかい土の上を、のろのろと走る。

 玖契村は、そんな速度でもすぐに見えなくなり、やがて山間の盆地からも出てしまった。

 なにもかもが背後に流れていく様を見ながら、一可はただ、ひとつのことを考えていた。


「帰ろう……晴美が、待ってる……」


 彼の脳裏に、婚約を考えている女性の姿が浮かぶ。

 だけれどそれは、すぐにある人物の笑みで、掻き消されてしまった。

 久世悠莉の、儚い笑顔に。


「ちくしょう……!」


 ハンドルを、彼は力いっぱい殴りつける。

 それが、いま一可ができる精いっぱいの八つ当たりだった。

 近衞一可は、そうして玖契村を後にする。




 赤い眼差しが、それをジッと見詰めている――

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