第四幕 失意と絶望と帰り路の――

09 失意の底と失われた幼馴染

 あの夜から、二日が過ぎた。

 一可は美千代の屋敷の縁側に、大の字になって横たわり、茫洋と空を眺めている。

 それは、どこまでも抜けるように蒼く、快晴であったが、一可の心には、酷い暗雲が立ち込めていた。


(ゆーりが、消えた)


 あの日から今日まで、常に彼の頭の中を支配しているのはそのそれだった。

 久世悠莉。

 近衞一可の幼馴染であり、彼の人生において、なくてはならなかった存在。

 それが、いまはいない。

 ただいないのではない。


 


 あの日、あの夜、柊人に助けられたその瞬間から、一可は悠莉を探し続けた。

 あの奇妙な屋敷のなかも、そしてそれ以外も。

 村のなかも、村の外も、山々も。

 走り回り、駆けずりまわって一可は彼女の姿を追い求めた。

 そんな彼を、村人たちは気狂いでも見るような目で見ていた。

 いつかの彼を称賛する眼差しなどそこには無かった。

 あるのはまるで憐憫のような生温さだけであり。或いは納得するような目つきだけ。

 何故なら、誰も久世悠莉を知らないからだった。

 村のなかを探し回っているあいだ、当然一可は、村人たちに悠莉の姿を見なかったかと訊ねた。

 だが、彼らの返答は、一可の予測し得るものではなかった。


「知らない」

「誰だ?」

「聞いたこともない」

?」


 そんな言葉ばかりが、踊っていた。

 彼女の母親を一可は訪ねた。

 自分は生涯独り身で、娘を持ったことなどないと、無碍もなくそう断言された。

 彼女の友人たちを、かつて一可を仲間の輪に入れてくれた者たちを訪ねた。

 一可は美千代の子だから、仲間に入れたのは当然で、悠莉なんて知らないと、そう笑われた。

 小坂柊人に一可は尋ねた。

 柊人は言った、見たことも聴いたこともないと。

 一可は、叫びだしたい衝動を堪え、それでも悠莉を探してあちこちへと出かけた。まだ雨上がりでぬかるんだ山々も走った。

 それでも、彼女の姿はどこにも、何処にもなかった。


(俺は、気がくるってしまったんだろうか……)


 疲れ果て、縁から雲一つない空を見上げながら、一可はそんなことを思う。

 久世悠莉の痕跡は、この村のどこにも存在しなかった。

 彼の記憶の中にだけ、悠莉はいる。


(まるで、イマジナリーフレンドだ。幻の友達を生みだしてしまう、精神病の――)


「――いや、違う」


 違うと、一可は繰り返す。

 悠莉という存在は、決して幻ではないと、彼は自らに言い聞かせる。

 あのとき見た恐ろしい光景。

 真っ赤な瞳の、血に塗れた虚ろな眼窩の久世悠莉。

 その姿を、確かに一可は覚えているのだから。

 そのほんの少し前に彼女がみせた、儚い笑みを覚えているのだから。

 だから、一可は――


「今日、帰るんだって?」


 そう声をかけられて、一可は身を起こす。

 叔父である柊人が、お茶を片手に、曖昧な笑みを浮かべて立っていた。


「うん、俺は帰るよ。なんだか、いつまでもここに居ちゃいけない気がするんだ」

「そりゃ、あれか、彼女さんのところが自分の居場所だ、みたいな」


(違う。あんたたちの誰もが、ゆーりを覚えていないからだ)


 内心で歯噛みしながら、しかし一可は笑顔で応じる。

 かわりに、こんな言葉を紡ぐ。


「ねぇ、叔父さん」

「ん? なんじゃ改まって? その……疲れてるなら知らんが……ああ、金なら貸さんぞ、俺はこれからこの家を切り盛りするのでせいいっぱいじゃけん――」

「血眸さまって、なんだっけ?」


 失意のどん底で。

 これ以上ない猜疑に包まれながら。

 気でも狂ったかのように懊悩しながら。

 しかし一可は、そう問うていた。


「俺――血眸さまのこと、なんにも知らないんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る