07 二階への階段と白い猫

 二階へと続く階段はすぐに見つかった。

 一階から、二階へとのびる階段。

 それを見上げ、一可は総毛立つ思いだった。

 ぽっかりと開いた魔物の口腔こうくうを思わせるその階段は、上へ上へと向かって続いているにもかかわらず、まるで地の底、地獄へと誘うような奇怪さを帯びているのだ。

 硬直する足を、それでも彼が動かすことが出来たのは、そうしなければ背後にいる幼馴染が、我先にと昇って行ってしまいそうだったからだ。


「――――」


 怖れを振り切るように一歩、彼は踏み出す。

 ギシリ――と、階段が、鳴る。


 ――ガサリ。


 なにかが蠢く物音がして、一可は慌てて飛退とびのいた。

 一可に押され、背後に続いていた悠莉が短い悲鳴を上げて尻餅をつく。


「ゆーり!」

「だ、だいじょうぶ……でも、いったい」

「――猫だ」


 一可は、冷や汗をぬぐいながら言った。

 彼の視線の先で、なにかが懐中電灯の光を反射している。

 それは、ふたつの眼。

 あか々と燃える細い瞳孔のそれは、なーご、と鳴いてみせた。

 いつか一可が見た、あの白い猫が、赤い目の猫が、階段の暗がりの中に、ひっそりと腰掛けていたのだ。


「猫? 白い、猫?」

「ああ、こいつは確か、この家にいた爺さんが、連れ帰った猫だった。だから」


 彼がその先を言うよりも先に、猫は身を翻す。

 とたとたと軽快に階段を昇り、そうして中ほどまで行くと立ち止まって、振り返り、


「なーご」


 と、まるで一可たちを誘うかのように、そう鳴き声を上げたのだった。

 ゴクリ。

 我知らず、一可の喉が鳴った。生唾を呑み込んだ音だった。

 指先が震えだしていることに、彼は今更になって気が付いた。


「いっちゃん」

「……解ってる。ここまで来て、引き返すのはなしだ。ちゃんと、おまえの足になる」

「うん、いこ」


 悠莉の手を掴み、引き起こして、一可は今度こそ階段を上る。

 手をつないだまま、彼らは階段を昇る。

 かぼそい懐中電灯の灯りだけを頼りに。

 猫の案内だけを頼りに。

 白猫の後を追う。

 息は自然と荒くなり、冷や汗がこめかみを滴り落ちる。

 ぎしり、ぎしり。

 音の鳴る階段を上って。

 昇って。

 登って。


 そして――二階へ。


「――――」


 吐き出した息が、生温い。

 恐ろしさが、絡みつく。

 そこは、まるで異界であるかのように一可には感じられた。

 人間がいてはいけない場所であるように、彼には思えてならなかった。それほどまでにそこは人を拒絶していた。

 階段を上り終えた瞬間から、そこはもう、彼の知るどこかではなくなっていたのだ。


(いままでの暗闇なんて生温かった。闇っていうのは、昏いっていうのは――


 指先ひとつ、ただの一歩さえ、一可は動くことができなかった。

 全身に絡みつくぬたりとした闇の濃度は、例えば深海の水などとも比較にならないほど彼の動きを、呼吸すらを封じた。

 絶息するそのさなか、ふたつの影だけが動く。

 白い猫が前へと進み、その後を――彼の幼馴染が追う。


(ゆーり? ゆーり!)


 彼は叫ぼうとした。

 ぼうっとした表情で歩き出す悠莉を、大切な友達を止めようとした。

 だが、声さえも、喉のふるえさえも闇は絡みとり、ついぞそれは音になりはしなかった。

 白猫は闇のなかへと進み、久世悠莉は暗黒のなかへと歩み去った。

 彼はただ、それを見ていた。

 見ていて。

 見ているだけで。

 やがて、気が付いた。


 身体が、動くようになっていることを。


「ゆーり!」


 咄嗟に叫び、駆けだす。

 がむしゃらに、ろくに光がとおらない、見通せない闇の中に駆けだす。

 走る。

 いくら屋敷と言っても、それほどの広さがあるわけがない。

 だというのに、いつまでも一可は走り続け、そして。



「――いっちゃん」



 見失った、幼馴染の声を、聴いた。

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