05 大雨と幼馴染と噂話の――

 一可は悠莉の住まいに訪ねて行って、そのまま夕食をった。

 柊人がそれを強く勧めたからだったが、一可ははじめ、難色を示した。


 気恥しさが、あった。

 ただ、悠莉も柊人と一緒になって、熱心に彼を説得するものだから、とうとう根負けしてしまったのである。


(あいつはいつもそうだ。のんきなようでいて、とても頑固で、絶対に譲らない。俺を仲間に入れてくれたときも、そうだったっけ)


 悠莉と、悠莉の老いた母親が作ってくれた野菜の煮しめを口に運びながら、そんなことを考える。

 まだ喪が明けていないからと、わざわざ作り直してくれた夕食は、わずかに味が沁みきっておらず、しかし気遣いに溢れていた。

 一可は感謝とともに、ほくほくとした揚げニンニクを頬張った。

 悠莉は匂いが強いからと、笑顔で食べることを拒否した。


(その辺りも、我が強いよな、こいつ)


 微笑ましい食事は、あっという間に終わり、一可は帰途に就く。

 付いてこなくていいと言ったのに、悠莉は見送りに行くのだと聞かなかった。

 僅かな時間でも無駄にしたくはないのだと、悠莉の眼がそう言っているように一可には思えた。

 名残を惜しむ悠莉の母に見送られ、外に出ると、雨はいつの間にか上がっていた。


 街灯などない田舎の村のあぜ道を、懐中電灯の明かりを頼りに、ふたり歩く。

 夜気に混じって、悠莉の匂いが一可のもとに届く。

 ヴァーベナという香水だと、一可は悠莉から聞いていた。


「……なあ、ゆーり」


 右足を引きずりながら歩く彼女の速度に合わせながら、一可は夜空を見上げ、問いかける。


「おまえのお母さん、今年で何歳だっけ」

「もう70近いかなー。若作りだけど、やっぱりごまかせないもん」

「そっか」

「だいじょうぶ。お母さんは、まだ死なないよ」

「っ」


 ドキリと、一可の心臓が跳ねた。

 視線を下げると、悠莉の眼差しとぶつかった。

 真っ直ぐで、柔らかで、強かな瞳――


「あたしも、まだ死なない。だから、ね。安心して、いっちゃん……?」

「――――」


 一可はなにかを言おうとして口を開き、鎖して、また開いて、なにも言えなくなって立ち止まった。

 彼の心中はことごとく、幼馴染によって正確に察せられていたのだ。


 声も出せず、喘ぐように息が詰まった彼を、そっと悠莉は抱きしめる。

 柔らかく、ぬくもりに満ちた抱擁が、一可を包んだ。


「だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、いっちゃん。これ以上誰も、あなたを置いていったり、しないもん」

「……ゆーり」

「あたしね」


 ゆーりが、言った。


「いっちゃんのこと、だーいすき――だよ?」


 みんなだって、そうだよ? と、悠莉はやさしく語った。


「――――」


 気が付けばぽろぽろと、一可の瞳からは涙がこぼれ落ち。

 いつしか、嗚咽が漏れていた。


 祖母が亡くなったこと。

 両親が燃え尽きたこと。

 それが、いまになって一可に実感として現れ、彼をひどく揺るがしていたのだ。

 それを、足の悪い幼馴染が、いつまでも支え続けた。


(これじゃあ、約束と逆じゃないか……)


 一可は己のふがいなさを恥じ入るとともに、悠莉の存在に、ただただ感謝していた。


「あのお屋敷は、この辺だったよね」


 泣き止んだ一可は、猛烈な羞恥心に晒されていて、はじめ悠莉がなにを言っているのかよく解らなかった。

 だが、その「あのお屋敷」というのが〝血眸さま〟が棲んでいるらしい謎の建物であることを、幾分かの時間をかけて理解した。


「えっと……そうだっけ?」

「そうそう。誰も住んでないんだけどね。でも、だから血眸さまがいるんじゃないかって噂に――」

「待て」

「んー?」

……?」


 そうだよーと無邪気に答える悠莉を見つめ、一可は表情を険しくする。


「どうしたの?」

「いや……」


(いや、俺は確かに、屋敷の中から老人が出てくるのを見た。この辺の訛りのキツイ、禿頭の爺さんだ。たしかに、確かにあの人を、俺は見知っている訳じゃないが――)


 いつの間にかあったという屋敷。

 いないはずの住人。

 そうして、血眸さま。


 一可の背筋を、這うような寒気が襲う。

 口を閉ざしていることが、彼にはできなかった。


「実は……」


 と、一可は悠莉に、ことのあらましを語ってしまう。

 火葬場で見た猫のこと。

 遠くにいたはずのその猫を、この村で見つけたこと。

 それが、あの屋敷に入って行ったこと。

 痩せぎすの老人が住んでいたこと。


 洗いざらい、一可は悠莉に話してしまっていた。

 なにか、そうしなければ恐怖に押しつぶされてしまう気がしたのだ。


 ただ。

 ただ一点。

 あのカーテンの隙間から見た赤い瞳のことだけは、一可は決して口にはしなかった。

 それだけは言ってはならないと、彼の奥深い部分が告げていたからだ。


「…………」


 一可の話を全て聞いて、聴き終えて、悠莉は表情を厳しくする。

 村に闖入者ちんにゅうしゃがいることを危ぶんだのだろうかと思ったが、悠莉が口にしたのはもっと別のことだった。


「そのおじいさん、危ないかもしれない」

「え?」

「血眸さまは〝選ぶ〟んだよ。ひょっとしたら、そのひとが〝選ばれちゃう〟かもしれない。そんなことになったら、おじいさんの人生は」


 台無しになる。


 酷く重々しい表情で、彼女は言う。


「時期が時期だもの。あんまりにも時機が時機だもの。……ううん。いまがそうだってことは、美千代さまが亡くなってすぐだってことは、たぶん、そういうことだから」

「……ごめん。なに言ってるか全然わかんねぇ。えっと、どういう――」

「いっちゃん!」

「!?」


 強い声で名を呼ばれ、悠莉の両手をとられた一可は、質問を呑み込んで彼女に視線を向ける。

 悠莉は酷く真剣な表情で、言った。


「付き合って」

「あ?」

「そのおじいさんを助けるの――これからすぐ、そのお屋敷に行くのに、手伝って」


 こんな夜更けになんの冗談だと彼は笑いそうになった。

 だけれど、悠莉の表情はどこまでも真剣で。


「……わかった」


(俺は、おまえの足の代わりだから)


「ついていくさ、何処までだって」


 一可は、幼馴染の頼みを享け容れ、そう言った。

 言ってしまった。

 そうして彼らは向かう。


 血眸さまと呼ばれる存在が棲むと噂された――その屋敷へと。

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