消費するもの、されるもの。

 ここに来るまでは、読まれること、そして版元さんに選ばれるのを待ちわびている膨大な数の作品、作者さんがこれほどおられるとは知りませんでしたが。


 書店で働いていた自分に、確かに言えることがひとつ。


 書籍化そこは、ゴールではありません。


 版元さんに選ばれて商品として書店に並んだ本の中から、本屋に来るお客様……読者に選ばれた本が売れる本になり、さらにその売れる本の中からも、やがて読まれなくなり新刊書店から姿を消す本と、時間が過ぎても新たな読者を獲得しながら売れ続ける本とに分かれていきます。


 娯楽として消費され、なくなってしまう本と、むしろなほど、長く愛される本。

 

 ライトノベルは、ほとんど前者です。


 自分が書店に勤めだしたころ、最初に上司に教わったことは、


 「雑誌や、コミックは、生鮮食品と同じ」


 つまり、鮮度が大事で、新鮮なうちに売ってしまわないといけないものだということです。ライトノベルは、児童書よりもむしろこちらの方に近く、棚の中身が入れ替わるのも早い。


 でも、それは悪いことではないです。本にはじめて出会う子どもさんにとっては、どんな本でも新しいけれど、そうでない読者さん……本屋に来てくれるお客様にとって、いつ来ても棚に同じ本しかないのはつまらないですし。


 時代が変われば、読者も変わる。読みたいと思う本がなければ、お客様はお店を離れてしまうし、本屋に来るお客様が求めるものに答えるのが、本屋の……いや、作家さんを始めとして“本”というものに関わるもの全ての仕事でしょう。


 もちろん、消費されてなくなってしまうからといって、その本が世に出たことに意味がないってことはありません。その本を手に取った読者が、読み終えて本を閉じたとき、その心に何かを残すものならば……それを“いいもの”と感じるならば、それはどこの誰がどう評価しようがしまいが、売れていようがいまいが、誰が何と言おうと”いいもの”なのです。断じて。


 

 翻って。


 タイトルの長い……ネット発の小説が、リアル新刊書店の四六判の文芸書の本棚のスペースを多く占めるようになったのは、ここ2・3年……自分が書店を離れてからのことなのですが。


 自分は、近所の書店でその棚を見て思うのです。


 今、ここに並んでいる作品が、これから10年、20年、30年……それ以上先ににどれだけ残っているだろう。


 もちろん自分は、本屋に来るお客様……読者が興味を惹かれ、読みたいと思うものが常に正しいと思うので、それがテンプレならば否定はしませんが。


 カクヨムで著者名の検索できないのは、実は怖いことなのかもしれない、と思うのですよ。


 作品を探すのに、作家さんの名前が必要ないというのならば。


 ○○という個性のある作家さんの生み出した独自の世界観や、魅力的なキャラクターや、丁寧に紡がれる物語を求める読者ファンは、いらないのでしょうか? 読者にとって大事なのは、その作品が”誰が書いたか”よりも、その作品が”テンプレであるかどうか”なのでしょうか?


 発売されてから長く時間が過ぎても本屋の棚に残るのは、読者に愛され続けるものだけです。


 読者に愛されるものが、○○という個性のある作家さんの生み出した独自の世界観や、魅力的なキャラクターや、丁寧に紡がれる物語よりも、テンプレやお約束だけだというのなら。


 きっと、“作品”も、“作家”も、ここには残らない。


 作品も、作家も、ただただ消費され続け、残ったのは物語の構造テンプレだけ……なんてことにならないといいのですが。



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