第4話
ドラゴン襲来という未曾有の危機が去ると、国民たちは自然と王室からの言葉を求めて沸き立った。
レビルの英断を嘉する者、騎士団の働きを褒めそやす者、リムの奇跡と持て囃す者。しかし、名も知れぬ功労者の名を口にする者はいなかった。
一方、屋上庭園では、もっと別のことについて説明するよう、無言の圧力がレビルに掛かっていた。
ネオモルトの遺体が見つかったという報せは、すぐ王のもとに入った。発見した騎士たちがレビルに好意的だったためか、騎士としての振る舞いを弁えてか、一般に広まることはなかったが、王の周りにいた者、とくにリムに対して叙説しないわけにはいかなかった。レビルがこの件について知るところが多いにあることは、その反応を見た誰もが理解できた。つまり現王レビルは、先王ネオモルトの死の真相について、四年間も口を閉ざし続けていたのである。
それを語らねばならない心証を皆、容易に拝察できたが、意外にもレビルがその重たい口を開くのに時間はかからなかった。その表情は険しいというより、清々しい。事ここに至って観念したというより、素直に語れることに不謹慎だと思いながらも安堵しているようだった。
その腹を括ったような、決意めいた相貌には、むしろ周囲が不安に駆られるような潔さがあった。
「お父上……」
リムは気遣うように声を掛けようとしたが、レビルはそっと首を振った。すべてを語る――そう告げるように。
「リム、私は王位をお前に譲ろうと思う」
ネオモルトに関する真相より驚くべき内容に、ざわめきたった。いや、実際ここにはレビルのことを少なからずよく思わない者もいくらかいるだろう。それでも、王本人からそのような意向が示されることに動揺は隠せなかった。彼らは多かれ少なかれ、今回の一件でレビルの王たる資質を認めざるを得ないと思っているからだ。
「お父上、突然いったい何をおっしゃるのです!」
ネオモルトの死に関するレビルの悪い噂がいくつも脳裏を掠め、リムはそれをかき消すように語気を強めた。
「私はお前に、いやアドルスタンの全国民に、明かせぬ秘密を抱えていた。それは先代の王にして我が友、ネオモルト・ストレンの死に関することである」
まるで演説のような話しぶりで、真相は語られ始めた。レビルの口から打ち明けられようとしている真実に、屋上庭園にいる者たちは残らず耳をそばだてた。それはイサミとて例外ではなかった。
「ネオモルトは脳がインロードしてきており、それに苦悩していた。知ってのとおり、脳のインロードは人間の個としての在り方を脅かす恐るべき事態である。自然に起きるインロードを、どれほど人類が有効に活用しようとも、それは変わらぬ。記憶障害、人格の変化、喪失……症状は様々であるが、最大の困難は自分が自分でないものに変わってしまうのではないかという恐怖心だ。それは、歴代の王と勝るとも劣らぬ秀抜なる人格者であったネオモルトとて、変わらなかった。私はネオモルトの側近騎士として、友としてその苦悩を共にしたが、ついにそれを解消してやることはできなかった。
そしてあるとき、ネオモルトは忽然と姿を消した。私にも、最愛の娘であるリムにも、何を告げることなく、ネオモルトは国を去った。私はそれを逃避とは考えていない。国の長たるネオモルトの言動には、つねに大きな責任と影響力が付き纏う。いずれ脳がインロードされ、別の何かにすり替わったとき、それに気づける者はいない。ネオモルトは、自分の肉体を持った、別の精神の手に、アドルスタンが委ねられることを怖れたのであろう。事が起きる前にアドルスタンの地を離れた。ネオモルトはその身を隠匿することで、アドルスタンを守るという決断を下したのである――以上が、私の知る、ネオモルトに関する真相だ。
このことを明るみに出さずにしておいたのは親友の名誉のためだというのも、言い訳でしかない。私は王の死について黙秘していた。もともと王の器ではなかったのだ。故に私は王の座を」
「ダメです」
「……」
演説の締め括りを突如打ち切られ、レビルは思わず言葉を失った。
「王位を退くなど、考えないでください。どうしてもと言うのなら、国民に是非を問うてください。お父上がいまも、アドルスタンの王位にふさわしいかどうか……。ですが、わたしは保障します。お父上は王にふさわしい」
「いや、そんなことは……どうして……」
レビルは決心していたはずである。義娘からの辛辣な批判を、手厳しい評価を、そして最後通告さえも。
しかし、そんな言葉は一切なく、それどころか無二の信頼を示した。
これほど残酷な真実を前に、どうしてそんな優しさを掛けられるのか。レビルは激しく困惑した。
誰かが手を叩くと、それはたちどころに聴衆全体へと広がり、屋上庭園は拍手で包まれた。その中心にいたレビルは混乱によって、いまだその意味が取れずにいた。
「これが答えです、お父上。ネオモルトの遺体は、お父上に掛けられていた悪い噂のすべてを否定しています。ネオモルトの死を押し隠すことは王位を汚さず、アドルスタンの政治的混乱を避けるために最善だったと理解しています。ドラゴン討伐に際した人員選定や作戦指示は例外を恐れぬ英断だったと賛嘆しています。それはここにいる方々だけではありません。賢明なるアドルスタン国民は、レビルの王たる資質を確信しているはずです――!」
「……………………」
「あなたはわたしが目指す王の鑑です。もっともっと、わたしにいろいろなことを教えてください……」
「…………そうか……」
「それと……」
リムはためらいがちに間を置いて、それから思い切って言った。
「それと、これからは一緒に墓所参りがしたいです……ネオモルトの眠る墓の前で、娘はこんなに大きくなったよって……立派に育っているよって……敬愛する父のもとで楽しく過ごしているよって…………そう、報告したいんです……」
「………………ああ、わかった」
レビルはそっと娘を抱き寄せ、宝石のような金髪を撫でる。彼にとって、それは世界の何よりも価値のある宝であった。ようやくそう認めていいのだと、レビルは穏やかな表情を浮かべていた。
× × ×
王から語るべき内容は定まった。となれば、次の話題は王女へと向く。
ドラゴンの襲来でごたごたになったが、もとはリムが十七歳を迎える生誕祭であった。そこでは、王位継承権を得るという節目を迎えた王女から、その成長ぶりを示す願い事が一つ示されることになっている。
「畏れながら拝聞します。リム様はいったい、何をお願いされるのでしょう?」
人々の関心を代弁したのは老執事のマインツベルだった。こすったせいで目元は少し赤くなっているが、リムは澄んだ笑顔を見せた。
「それがね、じつは全然決まっていなかったの。お墓参りに行ったときも、どんなのがいいですかって聞いて回ったんだけど、自分で考えろーって言われて。ついさっきまで、何を願うべきなのか、ずっと迷ってた」
「さきほどまで、ということは……お決まりになったのですか」
「まあね」
マインツベルが目ざとく言葉の端をつつくと、リムはいたずらっぽく笑った。長年彼女に付き添っている老執事は、背筋に悪寒が走ったように身体を固くする。聞きたいという欲望と、聞いたらまずいという直感が混ざって、判断しかねている様子だった。しかしリムはそんなことお構いなしに言い放った。
「イサミに側近騎士になってほしい――これがわたしの願い事」
そこにいた者たちは、残らず大きくどよめいた。
確かに、皆が動揺するのはイサミにもわかった。今日初めてアドルスタンにやって来た風来坊を側近騎士に指名するなど、おそらく前提はないだろう。聞けば側近騎士は騎士団の中でもとりわけ有能な者が登用されると言う。側近騎士に選ばれる資格を、イサミは一つ残らず欠いている。
「どうかな、イサミは?」
「いや、いくら何でもそれは無理があるだろ。前例もないし、資格もない」
「前例なんて、最初はないものよ。それに、イサミが優秀だっていう証明なら、もう国中にされているわ」
イサミの冷静な回答に胸を撫で下ろした衆目だったが、王女であるリムの無鉄砲さに、狂人を見るように驚愕している。
「さすがにその辺りは俺たちの一存じゃ決められないんじゃないか」
「そうかな? じゃあ、皆さまに伺います。彼は側近騎士に相応しくないと思いますか」
そんなはずないという調子で王女に問われて、否定を突き返せるほどの豪胆さを、誰も持ち合わせてはいなかった。それでも主の危機を感じた老執事は、唯一状況を変え得るであろう王に掛け合った。
「れ、レビル様っ! いいのですか、あんなどこの馬の骨とも知れぬ男を側近騎士など……! 言語道断! そうですよね!」
「いいのではないか。イサミは我が国と国民たちを救った戦士だ。その戦果を前に資格など無意味であろう。どうしてもというのなら、資格は与えてやればよい」
王はどこか緩んだ笑みで明後日の方を見やりながら答えた。もはや娘の好きにさせてやりたいと、完全に父の顔になっていた。
「ほらイサミ、お父上のお墨付きも得られた。あとはあなたの希望だけれど、やっぱり旅を続けたい?」
「俺のせいで尖塔も台無しになって、火薬もほとんど使い果たした。ドラゴン退治の名声は周辺国まで轟くとはいえ、アドルスタンの守備が手薄になるのは必定。俺でよかったら、迷惑かけた代わりに謹んで拝命するよ」
「あははっ。やった、ありがとう!」
無邪気に笑うリムに対し、顔面蒼白にしているのはマインツベル。彼はすがるようにして、レビルに最後通告をした。イサミはさっそく貴賓たちに囲まれ話をせがまれて、マインツベルたちのやりとりは耳に入らない。
「レビル様っ。よいのですか、このままではあやつの側近騎士就任が実現してしまいますぞ……!」
「何をそんなに取り乱しておる。お前にしてはみっともない」
「レビル様こそ、本当におわかりですかっ? 側近騎士といえばその……代々王女殿下とご成婚なされてきたのですぞ……っ!」
「確かにそのようなことが続いておるな……。マインツベルよ、リムが誰と添い遂げるのか、それは本人に決めさせればよいことだ」
「なっ……!」
マインツベルは驚愕して色をなし、リムに詰め寄った。
「まさかリム様! ゆめゆめそのようなお考えなどございませんなっ?」
「ど、どうしてそんなこと聞くのよ……!」
「どうしてもこうしてもありませぬ! お覚悟を持ってのご決断と、そうおっしゃるのですかっ?」
「ちょ、ちょっと待って! 確かに、いままではそういうことが多かったかもしれないけど、決まりがあるわけではないじゃない。そんなのもっと先のことよ」
「確かにそうですが……国民はどう捉えるか……」
「わたしはただ、この節目の年に願うべきこととして、アドルスタンを救った英雄を国に迎えることが相応しいと、そう思っただけ」
「ほ、本当ですな……?」
「ええ、もちろん」
リムの隙のない笑顔に、もはや追求の余地は残されていなかった。結局マインツベルは、行き場のない気持ちをイサミに向けるしかなかった。
もう一方の当事者はというと、すっかり側近騎士になるつもりなのか、貴賓たちとよろしくやっているのだった。
「なあ、それよりリムよ……」
改まった様子で問うレビルに、何かこの惨状を変え得る内容がないかと、マインツベルは聞き耳を立てる。何かイサミにとって不都合なことでもあれば、ハイエナも形なしの食いつきを見せようと、虎視眈々と狙っていた。その期待を背に、レビルは言った。
「また、お父様と呼んでくれないか……?」
「お、お父上……?」
「さきほど、お父様と呼んでくれたではないか。また呼んでくれ。いや、これからずっと呼んでくれ。何ならパパでも構わん」
「ま、待ってください……! そんな恥ずかしいこと、できません!」
「そんな……頼むリム。頼むぅ」
「い、いやです! そんなしがみつかれたって言いません!」
どこか側近騎士就任の件に身が入らないと思っていたら、こういうことであった。レビルときたら、いつ言おうかと、内心そわそわしていたのだ。まったく、どうしようもない王である。
ドラゴン襲撃という危機は去ったが、残念な王、お転婆な王女、そして軽挙な側近騎士と、老執事を悩ませる種はまだまだ消えない。
マインツベルは頭痛がするようにふらふらと欄干にたどり着くと、曙光に煌めくアドルスタンの街並みを、複雑な思いで見晴らした。
× × ×
国中のスクリーンに繋がれたカメラに向かって、王室の演説が始まる。
生誕祭の再開と、王女の願い事に皆が沸き立った。
国民の歓喜に応える王と王女の背中を、青年は距離をおいて眺めていた。演説に際して貴賓らも退出したが、落索をいただく気分ではないらしく、柱に寄りかかって空けていた。
名も知れぬ旅人は、アドルスタンの英雄となり、王女の側近騎士となった。
その当事者たる青年は、自らの名がコールされ続けられているのを聞いても、いまだ実感が持てずにいた。
騎士の制服に袖を通し、就任式を経たとき、ようやく自覚が芽生えるかもしれない。いや、彼にいたっては、いつまでも無自覚でいて、主に呆れられたり、老執事に苦言を呈されたりするのかも。
「いろいろな所を旅してきたし、そろそろ休んでもいいだろ?」
誰かに語りかけるような口調だったが、周りには誰もいない。
するとイサミはずるずると腰を落とし、ついには座り込んだ。須臾の後、寝息が立ち始める。
これは旅の終わりか。それとも終わりの始まりか。それとも――。
それは誰にもわからない。
けれど。
しばらくの間、彼の眠りを妨げる者は現れまい。
プラスチック・ワールド 秋津 遼 @akitsuryo
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