第八話 包囲

 逆に佐藤はその時、それ以外のことが出来ずにいた。

 夜間から早朝にかけては外線電話がすべて留守番電話に転送されるため、直接かけてきてもつながらない。従ってメールでの問い合わせが主となる。

 定例業務として『中学生・夢コンテスト』宛のメールボックスを出勤直後にチェックした加賀山が、

「佐藤さん、大変です!」

 と言いながらオフィスに飛び込んできてからというもの、佐藤は机の前から一歩も動けなかった。

 彼はまず、今起きている現象の概略を把握するところから始めた。メールの発信元からその多くが外国の報道機関らしいことを把握し、さらに留守番電話のメッセージからも同じ傾向を読み取る。

 そして、すべてが「プロジェクトC」という単語を含んでいたことから、次に佐藤は電話で雄太を捕まえた。雄太は既に異常事態は把握しており、サイトとメールの運用を佐藤に渡すことに同意した。

 続いて戦に連絡する。戦は全く状況を知らず、興味もなさそうだったが、一応の注意喚起をしておく。ウェンディについては、

「問題があればすぐに彼女から連絡が来る」

 と戦が断言したので、彼に任せることにした。欧米の動きのほうが先行しているので、この時点でウェンディから連絡がないということは、NASAもJAXAも事務方が対応に追われている段階だろう。

 そこまで連絡がついたところで、留守番電話への転送から通常回線への切り替え時間になる。それで今度は外部からの電話問い合わせ対応が本格化した。

「プロジェクトC」のサイトには『中学生・夢コンテスト』とは明記されていないものの、その時期に文部科学省が実施していたコンテストはそれしかない。

 そして、『中学生・夢コンテスト』のサイトには事務局の電話番号とメールアドレスが掲載されている。これは調べればすぐに分かることだ。

『中学生・夢コンテスト』のサイトは日本語にしか対応していないが、その辺は報道機関であればいかようにも対処できるのだろう。でなければ、世界中の主要なニュースをいち早くフォローできない。

 結果、『中学生・夢コンテスト』に関する外部からの問い合わせ、もっとはっきり言ってしまえば「プロジェクトC」が落選したことに関する問い合わせが、欧米系メディアからひっきりなしに入ってくる。

 佐藤も加賀山も、メールの文面をざっくり読むことと、留守番電話のメッセージを何度も繰り返し聞いておおよその話を推測するところまではなんとかなったが、話すことになると苦手である。

 受話器から外国語が流れてくるたびに冷や汗をかきながら対応したが、夜中に電話をしている相手はいらだっていた。話が通じないと分かるや否や電話を切ってしまう。

 ただ、その中には外国の報道機関が雇っている日本人からの電話もあり、それで佐藤はこの事態を引き起こしたものが何であるのかをやっと理解することが出来た。

 スイスで開催されていた国際人類学会で、発表者の一人が「プロジェクトC」について言及したという。

 その学者が『エチオピアのシンディ・ジョンソン』と呼ばれている有名人であったがために、発表内容が動画サイトに流れてこの騒動を引き起こしていた。

 それを聞いて佐藤は愕然とした。まさかこんな形で「プロジェクトC」が日の目を見るとは思ってもいなかったからだ。

 時差の関係で欧米からの電話が次第に収まってくると、今度はアジア地域のメディアが質問攻勢をかけてくる。こちらはさすがに、外国人記者でも日本語で話せる者が多い。

 しかも英語も佐藤たちと同じく外国語として学んだ者が多く、聞き取りやすかった。それでも四苦八苦しながらやりとりをしていた佐藤は、

 ――これはもう、公式見解をまとめて発表したほうが早いのではないか。

 と、頭の片隅で考える。

 そんな風に佐藤達が大混乱をなんとか乗り切ろうと躍起になっていた時に、今度は局長からの呼び出しが入った。

「佐藤君、これは一体何の騒ぎなのかね。説明したまえ」

 天下りが秒読み段階に入っていた局長は、そう言って露骨に嫌そうな顔をした。ここで問題が起きて、自分の経歴に傷がつくのが嫌なのだ。

 また、この騒動でせっかく決まりかけている天下り先が白紙撤回される可能性がある。その代わりに準備されるポストは格下のものになるだろう。それを恐れているのだ。

 緊急事態の真っ最中に当事者を呼び出して事情説明を求めている時点で、管理者としては失格以外の何者でもないのだが、そこまで頭が回らないらしい。

 しかも、佐藤が事の経緯をかいつまんで説明すると、

「それでは君、本件は文部科学省の問題というよりは、そのコンテストの問題であり、事務局長である君の問題という訳だね」

 と、露骨に佐藤の責任問題にすりかえてきた。ここで議論していても無駄なので、佐藤は即座に、

「はい。仰るとおりです。本件はコンテストの事務局長として、私が対応します」

 と答えて退出した。この時点で全責任は佐藤が負い、その権限の範囲で処理することが確定してしまったのだ。


 急いで部署に戻ると、佐藤は同じ部署の連中に事情を説明して電話応対を分担してくれるように依頼した。

 無論、全員が事なかれ主義の役人だから最初は嫌がったが、加賀山が闇の権力をフル活用したために最終的には渋々協力を了承した。要員を英語対応班、日本語対応班、文書対応班に分ける。

 とりあえず、

「本件につきましては現在、事実関係を確認している最中です。現時点で申し上げられることはございませんが、判明した段階で文書にて公表致します」

 という時間稼ぎの回答で、その場はしのぐことにした。文書による公表を約束したのは、そうしないとマスコミが黙ってくれないからである。

 そして佐藤は対外発表用のコメントの作成に入る。省クラスのキャリアは作文に慣れているから、そんなに時間はかからない。

「本件につきまして、確かに文部科学省が主催した『中学生・夢コンテスト』の応募作品であり、最終選考の前に落選したものであることをご報告します」

 という内容を、盛大に修飾してかさ増しした文章を作り上げると、それを公式声明として発表する。

 それで佐藤はいったん息をついた。これで少しは事態が沈静化するものと考えたからである。

「清宮君達は大丈夫でしょうか」

 と心配する加賀山に、佐藤は疲れの残る顔で微笑んだ。

「彼らは大丈夫だよ。『プロジェクトC』のサイトには個人を特定できる記載は一切ないし、『中学生・夢コンテスト』の入賞者の学校名と氏名はサイトに記載されているけれど、落選者だということがはっきりしている。戦やウェンディさんは私の個人的なルートで依頼した相手だから、そちらもつきとめるのは難しいんじゃないかな。後は、ウェンディさんがどこまでNASAの中で情報開示をしたかが不確定要素ではあるものの、最悪そこで止まるはず。彼らも大人だから、雄太達の素性を明かすことはしまい」

「そう、ですよね」

 加賀山も、佐藤の言葉を聞いて一応は安堵する。


 しかし、実は彼らは重大な点を失念していた。


 三月に行われた『中学生・夢コンテスト』の授賞式には、多数の報道関係者が文部科学省の広報のために呼ばれていた。そのため、当然のことながら授賞式の様子は彼らによって撮影されていた。

 同時に、彼らの中には「出席者の中に受賞者以外のグループがいた」ことを覚えている者がいた。従って、授賞式の写真が報道機関内に出回ることになったのである。

 しかし、それだけのことならば雄太達の素性まで特定されることはなかったかもしれない。

 ところが、報道機関内を縦横無尽に飛び回るその写真を見て、「あ、この子に見覚えがある」と言った記者がいた。

 彼はスポーツ担当の記者で、アマチュアであっても全国大会レベルのものであれば、取材対象としている。その中には高校生だけではなく、中学生の大会も含まれる。野球ならば尚更だ。

 故に、その記者は康一郎の顔を覚えていた。


 *


 アメリアから細かく経緯を説明されたセシールは、自分の置かれた状況を即座に理解した。

「つまり、私は世界中の人たちから映画の女性主人公と同一視された、ということなの? 考古学と文化人類学の違いは無視して?」

「一般の人には、そんなこと関係ないからね。いまや貴方は実在する『シンディ・ジョンソン』なのよ。アクションシーンの練習を始めたほうがいいんじゃないかしら? 次回作の主人公は貴方かもよ」

「からかわないでよ」

「あはは、ごめん」


 アメリアの笑い声でやっと落ち着きを取り戻したセシールは、まずメールボックスを確認した。五百件を超す未読メールを頭から読んでゆく。

 報道関係者からの取材依頼については、それと分かった時点で即座に削除する。中途半端に受けるときりがないからだ。これがメールの五十パーセントを占めていた。

 学会関係者からの連絡は、後で目を通すことにして保存ボックスに移動する。内容は講演依頼から単なる激励までさまざまだったが、これが三十パーセントを占める。

 そして残りは、どこから彼女のアドレスを手に入れたのか分からない一般のメールである。妬みや嫉みによる中傷は即座に削除し、激励や感動を伝えるメールは保存ボックスに移動した。


 そして、その作業の最中に三種類の興味深いメールを見つけた。


 まず、各国のNGOや企業から送られてきた「石を購入して井戸を掘る作業費としたい」というオファーである。

 これは当初の目的通りなので、さほど驚くことではないはずだが、なにしろ数が多い。同じ州にある周辺の村まで行き渡りそうな数だった。

 次が、インドのNGO団体からもたらされた「タイヤのような形状をした容器に水を入れて、持ち手を引いて転がす」用具の紹介である。

 これを使うと単純に労力が減る上、一度に運ぶことができる水の量が従来の三倍以上になる。キャップ付きなので移動中に異物が混入こともなく、付属品の蛇口をつければそのまま自宅で使うことができた。

 そして、一台あたりの価格は二十ドル程度。ツェガエの村の女性全員に二台ずつ配ったとしても大した金額にはならないが、それのモニターになってくれれば無償で提供するという。

 さらに、イタリアの研究者から「空気中にある微量の水蒸気を、電気を使わずに集める給水塔」の実験協力依頼があった。ちょうど彼は候補地を選考しようとしていたところだったのだ。


 世界の乾燥地域には、空気中の水分を集めて生き延びる植物や昆虫がいる。それからヒントを得て「空気中の水分を集めて水に変える技術」を考案した例は少なくはない。すでに実用化されているものもある。

 その研究者の考案したのもその一つで、エチオピアに自生している植物からヒントを得たらしい。セシールも後で知ったのだが、それはツェガエの父親達が酒を飲むために使っていた木と同じものだった。

 彼によれば、給水塔は三つの部品で構成される。

 まず、植物を格子状に編み合わせて八メートルほどの壺に似た外骨格を作る。

 その内側に日本のスーパーマーケットで見かける「みかん袋」のような目の細かいプラスティック製の網を、重ねて貼る。

 網が貼られた外骨格を、土台となるボウル上の容器の中に立てる。

 これだけである。

 そのまま放置しておけば、大気中の水分が網で捕らえられ、出来上がった露が繊維を伝い、ボウルに集まる。これまでの実験では一日に約百リットルの水を集めることが出来たらしい。

 研究者はまだまだだと言っていたが、それでも「二十リットルのポリタンクを持って五往復する」量であるから、いままでのような苦労はなくなる。

 材料は特殊なものではないし、外骨格とボウルは現地調達が可能であるから、実質この給水塔はプラスティックの網だけが購入品となる。

 それが約五百ドル。井戸を掘るよりも、一家に一台「給水塔」を設置したほうが安上がりである上に、実験費用として国の助成金から支出されるという。  


 本来の目的であるところの井戸。

 加えて作業を楽にする道具。

 さらには電力なしで水を生み出す給水塔。

 そのすべてが「ツェガエの石」で揃うのだ。もう彼が悩む点は何もなかった。


 セシールはしばしの間、呆然とした。

 こんな形で実現してみると、彼女にとっては「奇跡」と呼ぶのがはばかられるほどに、あっけない出来事だった。学会で話をした後、疲れて寝ていただけである。

 それでも、ツェガエとマスカラムの目には「奇跡」と映るに違いない。

 ――えっ、奇跡?

 そこでセシールはやっと思い出した。

 先日、彼女は「神様がプロジェクトCに奇跡を起こすのであれば、ついでにツェガエの夢を叶えてほしいものだ」と考えた。では、その大元の「プロジェクトC」は、今どうなっているのだろうか。

 セシールはパソコンで「プロジェクトC」のサイトを呼び出してみる。


 そして、目の前に展開された惨状に愕然となった。


 サイトへの来訪者を計測するために設置されたカウンターは、すべて「九」の状態になっていた。リロードしても数は変わらないので、上限を超えているらしい。

 新着欄の一番上には、今日の日付で「申し込み多数につき、対応に時間をかかります」という簡単なメッセージが載せられている。そのことが彼らの驚きと戸惑いを物語っていた。

 そして、募金金額を示す数字は六千五百十から変わっていなかった。正確には覚えていないが、これは恐らく前日と同じままではないだろうか。

 ――どうやら私は、彼らを混乱の渦に叩き込んでしまったらしい!

 セシールは青ざめた。

 確かに彼女は「プロジェクトC」を利用しようと思いはしたものの、それでも互いの利害が一致した「ウィン・ウィン」の関係であると考えていた。

 しかしアメリアから聞いた話では、世間が彼女を『エチオピアのシンディ・ジョンソン』と認識したのは、学会発表以前である。研究発表の際に覚えた違和感からも、既に注目が高まっていたことが分かる。

 であれば、ツェガエの夢の話だけでも目的達成には十分だったに違いない。「プロジェクトC」は完全に余計である。

 むしろ、「プロジェクトC」の側から見れば、『エチオピアのシンディ・ジョンソン』という虚像によって想定外の過剰な反応が引き起こされ、それに巻き込まれたといえる。


 セシールは急いでスイスと日本の時差を調べてみる。七時間だった。

 昨日、セシールの研究発表が終わったのは十一時頃だったから、その時点で七時間進んでいる日本は、十八時である。

 スイスの現在時刻は十五時。従って、セシールが目を覚まして状況に気がついたのは十三時頃だろう。その時点で日本は二十時になっている。

 となると、セシールの研究発表が世界中に拡散してゆく最中の日本は、真夜中だ。彼らはまったくその事実を知らぬまま、朝になって事態に巻き込まれたに違いない。

 セシールに対して向けられた関心だけでもかなりの量があった。

 ――自分は大人だから対処方法も知っているし、自分自身がまいた種でもある。

 しかし、日本の中学生はどうだろう。現時点では何故こうなったのか理由すら分かっていないかもしれない。セシールが暢気に寝ている間中、彼らは混乱の中にいたのだ。


 彼女は震える指で、スマートフォンの電話帳を呼び出す。

 もう五年以上も前になるのだが、彼女の活動を取材するためにCNNのスタッフがエチオピアにやってきたことがある。その後も何度か番組制作のことで問い合わせを受けたので、連絡先は登録してあった。

(はい、エリザベス・オルコットです)

「セシール・アントネッティです。お久しぶり」

(セシール! 有難い、貴方のほうから連絡を貰えるなんて、昨日の晩から何度連絡しても――)

「エリザベス、ちょっと待って。聞いて欲しい話があるの」

(――どうしたの?)

「貴方の取材なら喜んで受けたいのだけれど、そのためには条件がある」

(今、貴方に話を聞くためならば、世界中の報道機関が悪魔に魂を売り渡すと思うけれど――どんな条件?)

「至急、日本の子供達を捜して欲しい――」

 セシールの瞳から涙が零れ落ちる。

「――私は一刻も早く彼らに謝らなければならないから」

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