第五話 夢

「まさか! 私もこんなことになるなんてまったく予想していませんでしたよ」

(記者に質問された際の、セシール・アントネッティの第一声)


 *


 今年で十歳になるツェガエは、いつも怒ったような顔をしながら走って学校にやってくる。

 席に着くと急いで鉛筆とノートを鞄から出し、授業中は周囲にはまったく目もくれず教師の話を聞き、怒ったような顔で黒板の文字を写し取る。

 休み時間も外で遊ぶようなことはせず、ノートを広げて読み方を何度も口の中で繰り返し、内容を復習している。

 そして授業が終わるやいなや、怒ったような顔で走って自宅へと帰る。

 この地方では十キロ以上の道のりを歩いて学校までやってくる子供は珍しくない。ただ、その距離を走ってやってくる子供は彼ぐらいだろう。

 もともと小さい背中がさらに小さくなってゆくのを見送りながら、担任のマスカラムは溜息をつく。

 彼は九歳になる前に学校に通い始め、そろそろやっと一年になる。始めのうちはまったく文字が書けなかったが、最近では簡単な文章が作れるようになっていた。

 それだけでも目を見張るほどの進歩である。授業中も他の子供達とは違い、無駄話や余所見をすることはない。しかし、笑いもしない。

 最初は他の子と同じだったような気がするのだが、いつそうなってしまったのかマスカラムには分からなかった。今では最初からそうだった気さえする。


 マスカラムは、エチオピアの首都であるアディスアベバの大学を卒業し、首都から車で約七時間かかるこの地方に教師として赴任した。

 国の公用語であるアムハラ語と英語に加えて、この州の公用語を習得していたことが派遣された理由だったが、彼女自身はここの生まれではない。アディスアベバの役人の娘である。

 だから、ツェガエが学校にやってくるようになってから一ヵ月後、彼と初めて会話した時に、彼が口にした言葉の意味が分からなかった。

「あなたは水汲みをしなくてもいいのか」

 そういう意味のことを、ひどいなまりでツェガエは言った。

 マスカラムは何か別の内容と聞き間違えたのではないかと思い、

「ごめんなさい、もう一度言ってもらえますか」

 と尋ねたが、すぐには通じない。何度か繰り返した後、ツェガエはやっと理解したらしく、

「あなたは水汲みをしなくてもいいのか」

 と、同じ言葉を口にした。

 ――さて、どうしたものだろうか。

 と、マスカラムは考える。複雑なことを言っても通じないだろうから、簡単な言葉で答えなければならない。しばらく頭をひねった後、彼女はこう答えた。

「私は教えることが仕事なのよ」

 それでも何度か繰り返さなければならなかったが、最後にツェガエは理解した。そして、その上で彼はこう呟いたのだ。

「そうか。教える女は水汲みをしなくてもいいのか」

 その時、マスカラムは彼がどうしてそんなことを言ったのか、理由が分からなかった。

 エチオピアは貧富の差が激しく、民族も入り組んでいる。多数派であるオモロ人の恵まれた家庭に生まれたマスカラムには、少数民族の出身であるツェガエの村の事情は海外の現地事情とそう大差ない。

 それでも学校に出入りしている人に話を聞いているうちに、彼の村近くからやってくる男を見つけた。その男からの情報で、やっとツェガエの事情が分かったのが半月前のことだった。


 アフリカ東部のエチオピアは世界でも最も給水率の低い国のひとつで、人口約一億人のうち、安全な水を手に入れることができるのは二割程度である。

 特にツェガエが住んでいる南西部の小さな村は、水道なぞ望むべくもなく、生活に必要な水は川へ汲みに行かなければならなかった。

 いまだ太陽が昇らない時間に、岩だらけの急な坂道を下りて川へと向かう。

 行きは空のポリタンクしかないので身軽だが、目の前にはっきりとした道はなく、星を頼りに方角を見定めなくてはならない。

 川で水を汲み、重さ二十キロ以上になったポリタンクを背負う。帰りは上りだから慎重に歩かなくてはいけない。転んでポリタンクを壊したら、それこそ水の泡となる。

 それを一日に三回を繰り返している。往復で二時間半かかるから、合計で七時間半だ。

 そして、水汲みは村の女の仕事だった。

 マスカラムは、それでやっと学校に男の子しか通っていない理由のひとつを理解した。

 理解はしたが、だからといって「ツェガエがどうしていつも怒ったような顔をしているのか」という点の理由は分からない。

 しばらく逡巡した後、彼女はツェガエに直接聞いてみることにした。


 *


「先生が呼んでいると聞いた」

 相変わらず渋い顔をしながら、ツェガエがやってくる。

「まあ、そこに座って頂戴」

 マスカラムは目の前にあった粗末な木の椅子を彼に勧める。ツェガエは黙って指示に従った。

「教えてほしいことがあるの。貴方はいつも怒ったような顔をしているけれど、それはどうしてなのかしら」

「……」

「もう一度言いますが、貴方はどうして――」

「言っていることは分かる」

 ツェガエは大きな瞳をマスカラムに向けた。

「言い方が分からない。怒っていない」

 マスカラムはツェガエの硬い表情を見つめながら考える。

 どうやら勉強のおかげで言葉の理解は早くなったようだが、自分の考えていることを説明するまでには至っていないらしい。

「では、最初に会った時に『どうして水汲みをしないのか』と言った理由を教えてください」

 マスカラムは質問の仕方を変えてみる。無意識にやっていることの理由ではなく、意図的な行動の理由を聞くことにしたのだ。

 ツェガエは少しだけ考えてから言った。

「昔から水汲みは女の仕事だ。先生は水汲みをしない。村では水汲みをしない女は怠け者だと言われる。先生はそうは言われていない。なぜだか分からない」

「……男の人は何をしているの」

「畑で仕事をしている。昼には木陰に集まって酒を飲んでいる。母と妹が運んだ水で作った酒だ」

「妹は何歳なの」

「チォンピは二つ下」

「まだ小さいのね。それでも水汲みをするの」

「する。昔は村の近くに川があった。暑くなって、川は細くて汚くなった。だから遠くまでいかないといけない」

 マスカラムも干ばつの影響で川の水量が激減していることは聞いている。学校がある町にも影響が出始めているからだ。水量が減った川は水質が悪化するから、飲み水には使えなくなる。

「いつも走って帰るのは、その手伝いをするためなの」

「学校に来る前は手伝ったが、今は水汲みはしない。母が困るから。怠け者だと言われる」

「では、どうして走っているの」

「学校にいると遊ぶ。だから急いで来て、急いで帰る。畑仕事もある。暗くなる前に家で勉強するので時間が足りない」

 マスカラムはその言葉を聞いて驚いた。学校だけでなく家でもあの調子で勉強しているのだ。思わず彼女は聞いてしまった。


「どうしてそんなに勉強ばかりしているの」


 言ってしまってから後悔した。この聞き方ではツェガエは答えられないかもしれない。

 しかし、ツェガエは顔を伏せて何かを考え出した。マスカラムは黙って待つ。しばらくしてツェガエは顔を上げた。

「川が汚れてきた。もっと遠くなる。次の川が汚れるともっともっと遠くなる。どこまで行くことになるのか分からない。チォンピがどこまで歩くことになるか分からない。女が長い時間歩くのは危ない」

 そこでマスカラムは愕然とした。アディスアベバから出る時に友達から聞かされていたものの、学校がある町から外に出る時には車を使うので、すっかり意識の外に置かれていたのだ。


 エチオピアの一部にいまだ残る悪習。


 言葉を失ったマスカラムの顔を見つめながら、ツェガエは話を続けた。

「だから勉強する。チォンピに勉強を教えて、チォンピを教える女にする。父に言ったら笑われた。でも、する。そして――」

 彼は少しだけ言葉を強めた。

「――もっと勉強する。水があれば女が水汲みをすることはない。水はどこかにある。それを勉強して探す。それが……」


 そこで急にツェガエは口ごもった。

 彼は口の中でしきりに何かを言っているが、マスカラムには聞こえない。

 もどかしそうな顔でツェガエは口を動かす。

 マスカラムに出来ることは何もない。

 そして、やっとツェガエは言葉を思い出したらしい。

 顔を上げ、そして久しぶりに笑って言った。


「それが夢だ」


 *


 いつものように走り去るツェガエの後姿を見送りながら、マスカラムはいつも以上に大きな溜息をついた。

 ツェガエが「夢」という言葉を口にするためにかけた、時間。

 ツェガエが「夢」という言葉を口にした時に見せた、笑顔。

 それが、マスカラムの背中に重くのしかかってくる。

 彼は「夢」という言葉を、生まれてはじめて自分の心を表現する言葉として使ったのかもしれない。


 地方の学校に赴任する際、注意事項を説明してくれた老人から最後に言われた言葉がある。彼は引退した教師だった。

「本当は、新任の君に伝えるべきではないことなのかもしれないのだが、子供達のことを考えると言わざるをえない」

 そんな前置きをしてから、彼はこう言った。

「子供達に過剰な夢を与えるのは止めておきなさい」

 その時、彼女は黙って頭を下げたものの、内心では全く納得していなかった。子供達に夢を与えるのが教師の役割だ、と思っていたからである。

 むしろ、「すべてを諦めた老人の忠告だから気にする必要もあるまい」と考えていたのだが、この地で実際に教師を五年間続けた後で考えると、老人の言葉に真実が含まれていることを否定できなくなっている。


 子供達が直面している現実は、途方もなく厳しかった。

 ツェガエの村が抱えている水問題は、日ごとに深刻さを増している。干ばつによる水量の減少。それによる水質の悪化。これは自然現象の結果であるから、人間にはどうすることもできない。

 一方で水を飲まないわけにはいかないから、女達はいくら遠くの水源であっても、水を汲みにいかなければならない。その道のりの途中には略奪者の影がある。

 それを何とかすることが夢だとツェガエは語ったが、彼がいくら頑張ったとしても数年でなんとかなることではない。少なくとも十年はかかるだろう。

 その間も川は干上がるし、略奪者は消えない。


 マスカラムは彼の夢を聞いた時、「立派な夢ね。頑張りなさい」とは言えなかった。

 三年前の自分ならば、何の疑いも持たずにそう言っていたと思う。しかし、今の彼女はむしろツェガエの夢を否定しないことで精一杯だった。

 彼は確かに優れた生徒である。このままいけば上位の学校に行くことが出来るだろう。しかし、そのためには遠くの町に行かなければならないし、そこは徒歩で移動出来ないほどに遠い。

 さらに幸運に恵まれれば、ランナーとして外国の高校や大学に行くこともできる。そういうルートが存在することをマスカラムは知っていた。

 しかし、その間に彼の民族は移住を余儀なくされるだろうし、水汲みは相変わらず女の仕事のままである。彼女の妹は嫁にいくことになるはずだ。

 そして、遠くの町あるいは他の国から戻ったツェガエは、そこで現実を直視することになる。そして、夢を膨らませすぎた彼は現実に戻れなくなっているだろう。

 エチオピアでは、夢は自分のために見るもので他人のために見るものではない。

 彼自身が幸せになる方法はあるかもしれないが、村全体が幸せに暮らす方法を探すのは非常に困難だ。

 それに何も知らなければ不幸とは限らない。比較の対象がないからだ。もし「教師は水汲みをしない」という概念がツェガエの夢の発端だとすると、それを与えた自分にも罪がある。


 そう考えたマスカラムは、ツェガエの背中が見えなくなったところで、踵を返して町の中心部へ急ぎ足で向かう。

 ――運がよければ彼女に会えるかもしれない。

 咄嗟にそう考えて行動したのだが、その日のマスカラムは実に運が良かった。


 *


 フランス系アメリカ人の比較文化人類学者であるセシール・アントネッティは、街角にある「寂れた」という言い方すら控えめなカフェでマスカラムの話を聞くと、

「そいつは難儀な話だね」

 と、乱れた赤毛をさらに掻き乱しながら言った。


 セシールはエチオピアの少数民族の間を巡って、彼らの伝承文化を記録し、現代文明の影響による彼らの生活の変容を追いかけている。

 その町に部屋を借りていたが、部族を巡り歩いているから殆どそこにいることはない。ベース基地として荷物置き場にしているだけのことである。

 ただ、アディスアベバに戻る前には必ず部屋に立ち寄るから、その折に何度かマスカラムは彼女に呼ばれて調査の手伝いをしたことがあった。

 セシールにしても、英語と現地語を理解できるマスカラムは非常に得がたい協力者である。録音した内容で判別しがたい部分があると、彼女に聞き取ってもらうことがある。

 ただ、その時は学会での発表準備のために首都に戻る前日であったため、マスカラムに会う予定はなかった。

 もしこのタイミングを逃していたら、次にマスカラムがセシールに会えるのは半年先になっていたところである。


「マスカラムが悪いわけじゃないよ。貴方はツェガエの村のことを全然知らなかったんだから」

「それでも、実現しそうにもない夢を与えてしまったのは私だと思います。まだ今のうちに彼に現実を教えてあげれば、傷は小さくてすむのではないでしょうか」

「まあ、そうだと私も思うけど――」

 セシールはそこでコーヒーを口に含む。途端に彼女の顔が緩んだ。

「それにしても、ここのコーヒーは信じられないくらい美味しいねえ。パリのカフェでは小声で囁くお上品な淑女が、ここじゃあ情熱的な踊りで男を誘っている。いやあ、極楽だよ」

 マスカラムは、そんなセシールの様子を見て笑った。

「ごめんなさい。セシールさんを見ていると、なんだか悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなってしまって」

「そうかい、そいつはよかった」

 セシールも大きな瞳を細め、大きな口を豪快に開けて笑う。

 ひとしきり笑い声が続いた後、セシールは穏やかな顔で言った。

「その件、ツェガエに現実を教えるのを半年ほど待ってもらえないかな」 

「それは――確かに時間の余裕がある話ですから、今すぐでなくても構わないと思いますが、どうしてでしょうか?」

「いやね、そのツェガエの夢をただ壊していいのかなって思ったんだ。夢を現実化する手段は本当にないものか、考えてみたいんだよね」

「それはとても有難いことですが、宜しいんですか?」

「構わないよ。もちろん、私が何も思いつかなくて、結局は彼の夢を否定する結果になることもありえる訳だから、過剰な期待はしてほしくないけど」

「それは分かっています」

 マスカラムは、白目のところが青白く見えるほど澄んだ瞳でセシールを見つめる。


「この国では奇跡でも起こらない限り、夢は現実になりませんから」


 *


 翌日の晩。

 昼前から夕方まで、車の中に七時間近くも閉じ込められていたセシールは、アディスアベバにある外国資本のホテルで浴槽に身を横たえていた。

 日に焼けて褐色になった肌が、勢いよくお湯を吸い込んでいるように感じる。久しぶりに洗った髪は、シャンプーを三回繰り返すまで泡立つことがなかった。

 湯気の中で天井を見上げながら、セシールはマスカラムの最後の一言を思い出して、少しだけ罪悪感を覚える。しかし、それに根拠がないことは承知していた。

 目の前には蛇口があり、ひねれば水やお湯が自然に出てくる。

 出てこなければホテルに苦情を言うだけでよい。彼らがなんとかしてくれる。

 これが外国人であるセシール・アントネッティの現実である。彼女にとっては、ツェガエやマスカラムの世界を訪問している時のほうが夢なのだ。


 学生の頃、発展途上国の食糧事情を考える演習で日本人留学生が、

「食事の時に発展途上国の飢えた子供達のことを考えたならば、食べ残しがもっと減るはずだ」

 という主張をした時、セシールは、

「発展途上国の子供達は、目の前の楽しい食事とは全く無関係だ。それに、目の前の食べ残しを途上国に持っていけるわけじゃないし、出来たとしてもそれこそ失礼だよ。食べ過ぎで病気になる場合もあるんだから、残すことそのものが悪いわけじゃない。余り物を見て悲観している暇があったら、さっさと行動したほうがいいんじゃないの。考えても途上国の子供達のお腹は膨れないんだから」

 と盛大に言い返して、その日本人留学生を泣かせてしまったことがある。自分でも言い過ぎだったと反省してはいるものの、考え方は今も変わっていなかった。

 善人の行動化されない思いやりよりも、偽善者の打算に満ちた行動のほうが、どれだけ役に立つか分からない。思想では人は助けられない。

 しかし、ツェガエやマスカラムという具体的な名前を思い浮かべてしまうと、「自分だけ申し訳ない」という思いが拭い去れなくなるのも、また事実だった。

 ――これではあの留学生を笑えないよ。

 セシールは浴槽の中で苦笑する。

 彼女が言いたかったのは「名前も知らない発展途上国の子供達のことを、名前のある隣人のように考えてみたら、何か行動を起こしたくなるのが普通だ」ということだったのかもしれない。


 *


 風呂上りに、ミネラルウォーターをコップへと注ぐ。殺菌された綺麗な水。しかも冷蔵庫で冷やされている。それを飲み干しながら、セシールは問題について考えた。

 ツェガエが語った夢は、もちろんこのような世界を村に出現させたいという大それたものではない。水道を敷設したいという意味でもない。

 先行き不透明感を払拭したいというのが基本部分だろう。依然としてどこか水を汲みにいく必要はあったとしても、そこが枯れなければよいのだ。

 したがって、単純に考えれば「井戸を掘る」という案が最も有望になるのだが、エチオピアに限ってはそれはなかなか難しい選択肢だった。

 エチオピアの国土の大半は岩盤で出来た台地の上にあるため、五百メートル近く掘らないとその下には到達しない。つまり井戸掘り自体に多大なコストがかかる。

 さらに五百メートルを超える井戸となると、人力では水を汲み上げることが出来ない。水を汲み上げるためのポンプと、それを動かすための電源が必要になる。

 もちろん電線はないから、太陽光発電設備か風力発電設備も併設しなければならないし、それをメンテナンスする要員も不可欠となる。

 それでも、この方法が現時点では唯一の現実的な解決策であると、セシールには思えた。


 今後のことはツェガエに任せるしかない。

 最初の井戸掘りとポンプ及び発電設備の敷設――これがセシールの今回のテーマである。


 ツェガエの村が、自分達で建設費用を準備できるとは考えられない。出来るのならば、当の昔に水問題は解決している。

 州やエチオピア政府はどうか。こちらは人口密集地の整備が優先だろうから望み薄である。

 となれば、後は海外資本に頼るしかあるまい。金持ちの国は貧乏な国に援助をしたがるものだ。

 セシールはパソコンを立ち上げてネットに接続する。この点は外国資本のホテルに感謝しなければなるまい。

 エチオピアに対する各国の資金援助実績を確認すると、その上位に日本が含まれていた。公的なものから私的なものまで、結構な資金がこの国に注がれている。

 泣き出した日本人留学生の顔を思い浮かべて、セシールはまた苦笑した。彼女の母国は、ただ考えているだけではなく、具体的な行動も起こしていたのだ。

 しばらくそうやって援助関係の検索をしていると、長旅の疲れから眠くなってくる。そろそろ休息すべき時間だった。それに、無理をしても仕方がない。

 ただ、最後に彼女は気まぐれで「Child」と「Dream」という言葉で検索をかけてみた。

 当然、英語で作成されたサイトしか検索されないのだが、それでも膨大な数の子供の夢が検索結果となって現れる。それを機械的に上から開いていると、眠気が頭の奥のほうから湧き上がってきた。

 ――今日はもうこのぐらいにしておこうか。

 明日からは学会の準備に入る。一週間はそれにかかりきりだから、ツェガエの件に本格的に着手できるのはその後からになるだろう。まずは休息だ。

 そう考えたセシールがブラウザを閉じようとした時、それは突然目に飛び込んできた。


「Project C」


 英文のサイト名称。思わずセシールがそれをクリックしてサイトを開くと、英語の挨拶文が現れた。そしてその挨拶文を読んでいくと、実際は日本の中学生が作成したサイトであることが分かった。

 最初のうちは惰性で読んでいたに過ぎないセシールは、次第にその内容に興味を持ち始めた。一気に目が覚める。

 どうやら彼らは夢を実現するために、百億円の資金を必要としているらしい。

 ――百億円だって?

 セシールは驚きを通り越して笑ってしまった。ツェガエの夢はこれに比べると遥かに可愛らしい。

 マスカラムが「エチオピアでは奇跡が起きない限り、夢は現実にならない」と言ったが、日本の神様が日本人中学生の夢を叶えようと奇跡を起こす時には、ついでにツェガエの夢も叶えて欲しいものだ。

 こうなると「壮大」とか「非現実」とか「身分不相応」という表現を並べても足りない。正気の沙汰とは思えなかった。


 ところが、その一方で彼らの夢に何故か引かれている自分がいる。


 多分、彼らの夢が非常にビジュアル的だからだろう。なにしろ、太古の昔から人類の興味を引かずにはおかない存在を模倣しようと言うのだから。

 ――しかし、これは面白い!

 セシールは本気で、自分の計画に利用できるのではないかと思い始める。なにしろ相手は他人思いの日本人なのだ。これはもしかしたら上手くいくかもしれない。

 彼女は挨拶文の中にある「C」の由来を読みながら、うっすらと笑う。

 彼女の視線の先には次の英単語が表示されていた。


「Comet」

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