第12話 決着
「清国に仇なす逆賊! 大刀会の名にかけて、今日、貴様に引導を渡す!」
林が拳銃をハーバーへむけた。
「当たると思うかね、この風を受けて!」
声に続いてモーターが回転数を増した。これこそがロンドンとイルクーツクで3人の清国人を殺したドイツ軍の兵器に違いなかった。
「ううっ!」
風が目に刺さる。ハーバーは扇風機の奥だ。狙いが定まらない。
「ホームズ、窓を撃とう!」
「だめだ、あの扇風機は指向性を保つよう筒をそえてある。ガスが来たら防ぎようがない。下がるか、飛び降りるかだ」
ここで飛び降りたら無事ですむことはまずないだろう。しかし下がってもどうにもならない。機関車が動くかぎり羽根はまわる。ハーバーが狂気の笑みをうかべ、私たちに言いはなった。
「我々だけなのだ。我々だけがこの地に乗り込むことができなかったのだ。それを覆す救国の兵器を失ってたまるか。
祖国ドイツのため。ホーエンツォレルン家プロシア帝国のためならば、私一人地獄にも落ちよう。ホームズ。李書文。ここでくたばれ!」
ハーバーが鉄製のコンテナを開き、仕切り板をつかんだ。それを抜けば、黄緑色の気体が扇風機につながるダクトへ入る仕組みだ。
上着を脱いで口と鼻をおさえる。
逃げるしかないのか。ここまで追いつめておいて? 突風を受けて目を細めながら、林の仇敵をにらむ。打開の方法は何もないように思えた。
しかし、その時。
李が、悠然と歩を進めた。
風の中、李の
「
ハーバーがその一言に口を閉じた。李が不動の自信をそえて口角をあげる。犬歯がぎらりと光った。
「李師父、いくら貴方でも無理だ! あのガスを吸いこんだら即死です!」
私が風を受けながら叫んだ。
「ははは、私に助言をくれるのか」
李は振りかえることもなく、列車の中央に陣どり左の掌をハーバーへ向けた。距離はまだある。それ以上前に出たら、ハーバーはいつでもガスを流すつもりだ。
「そんなに死にたければさっさと死ね。近代兵器を理解できない蛮人が!」
ハーバーがもう一度仕切り板に手を当てた。機関車が下り坂に差しかかったのか、扇風機の速度が上がった。それを見ても、李は動じなかった。
「英国紳士君、言っておこう」
李が言った。ハーバーを
「私は英国に媚びるつもりも、英国を利用するつもりもない。ついでに言えば、事件の真相がどうであろうが、そんなことすら知ったことではない。
だが、貴様らにただ1つ望むことがある。我らが八極拳をその目に焼き付けてもらうことだ。功夫を成さんとし、道なかばで倒れた林英文のために!」
「たわごとを! いくら天津の李書文といえど、これを食らってはひとたまりもあるまい!」
ついにハーバーが仕切り板を引き抜き、黄緑色の気体がダクトを駆け上がった。扇風機の背後にそれが届いた。
殺したくない。ホームズに次いで知り合えた2人目の天才を救いたかった。この男を、こんな残虐な道具の犠牲にしたくはなかった。
リボルバーを構え、撃鉄に指をかける。当たる、当たらないなどどうでもよかった。イルクーツクの時と同じく、無我夢中で体を動かした。
ところが拳銃をつかむその両手の上から、ホームズの白い手袋が降りてきた。
「銃をおろせ!」
「なにを?」
「僕たちの勝ちだよワトソン君! 顎をひいて首を手で抑えろ! ムチウチになるぞ!」
直後、李が叫んだ。
「
ドンという腹を揺るがす最初の音は、李の踏み込みに客車が線路を跳ねる音だった。
「おおっ!?」
ハーバーがたたらを踏む。扇風機が揺らぎ気体が揺れ、ダイナモへつながる電線が次々に切れた。
「地獄まで語りつげ!
これが、我らが拳の、境地だ!!」
立て続けに李が列車を揺るがした。あの雪原の上に点々と足跡を刻んだ踏み込みだ。李の功夫の全てが、その中に込められていた。
爆音が3度。客車が暴れ馬のように跳ね、私たちは床に投げだされた。連結器の外れる音がはっきりと聞こえた。
窓が割れて椅子が飛び上がる。
床板がひしゃげ木屑が舞い上がる。
足元から耳を引き裂く金属の音。
脱線。
違う。
脱輪だ!
ハーバーがドイツ語で何かを叫んだ。それが意味のある最後の言葉だった。モーターから伸びる電線は全てのダイナモからちぎれ、列車は傾きながら速度を失った。慣性に負けて気体が逆流し、黄緑色の気体がハーバーを直撃する。鋭い悲鳴をあげ、男は枯れ木のように床へ倒れた。
李が振り返り、駆けてくる。
「外は平原だ! 連結部から飛び降りろ!」
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