夜話

 どうやら自分はこの異界、いや異世界のことを侮っていたようだ。まさか、まさかこんな三次元世界でここまでステレオタイプなケモ耳というやつが見られるとは、恐るべし異世界。見事なファンタジーである。それにだ、アルディアと名乗ったあの青年のフード付きのコートのマントという旅装束にシスといったあの少女の蝙蝠みたいな羽もいかにもファンタジーだ

 そんな興奮冷めやらないうちに自分は再び目覚めた。場所は同じベットの上、辺りは静かで、人影が二つベットとテーブルに突っ伏していた。自分にもたれ掛かるようにしてベットに突っ伏し、穏やかな寝息を立てているのは再び気絶する前に何かを叫んでいたケモ耳少女。おそらくこの子こそ自分が救ったというポラリスという子なのだろう。そしてテーブルに突っ伏して眠っているのは先ほど挨拶した藍色の少女。名前は確か、そうシス・クラウロリーだ。

 自分は寝入っている彼女たちに気付かれないように起き上がり、自分の体を確認してみる。

 至る所に結構なかすり傷があったが動くのには特に支障はない。身体も心なしかこちらに来る前よりも軽い気がする。これなら少しは身体を動かしてみても問題なさそうだ。



「あれ、起きてきたのかい」


 ずれたままである本棚の秘密扉を抜けた後、外へ通ずるであろう回廊の中、真っ赤な髪の青年——アルディアと遭遇した。動いた後なのか、頬が上気しており頭から湯気が上がっている。


「どうも、アルディアさんですよね。すいません、いろいろとご迷惑おかけしたみたいで、おかげさまで体調は戻りました」

「ご迷惑だなんてとんでもない。恩人にはしっかりと礼をしなければいけませんからね......ええっとすいませんお名前を聞いても?」

「ああ、水無月冬華っていいます。水無月が姓で冬華が名です」

「ミナヅキ・トーカ......トーカさん。はい、よろしくお願いします! 先ほども名乗りましたがアルディアといいます。アルと呼んで下さって構いません」


 そういえば前に起きたときは彼らに名前を告げていなかったなと思いつつ、自分が名を告げた。すると彼はその名をかみ締めるかのように呟き、パァっとした笑顔で自己紹介を返してきた。その純粋な笑顔にたじろきつつも彼に尋ねる。


「その様子だと警邏というより訓練ですか」

「そうですね。外はシスが防壁張ってるから盗賊や魔物の心配もないし、それくらいしかやることがないですしね」

「...魔物」


 ぼそりと呟いた言葉は狭い回廊内で反響して、アルディアの耳にも届いた。それに答えるように彼は首を傾げる。


「はい、魔物です。それがどうかしましたか」

「いやぁ、その、魔物って何ですか」

「おっ?」


 つい口走った言葉で今後の方針が固まった。迷ってはいたが彼らには自分が異邦人であることを告げたほうが良いだろう。少なくとも自分に恩を感じているようだから無碍にすることもないはずだ。打算的で善意に甘えている感は否めないが仕方あるまい。

 こちらの考えを悟っていたのかはわからなかったが、彼はさらに首を傾げると、すぐさま納得したような表情を浮かべ、うんうんと頷いていた。


「なるほどなるほど。これはいろいろとお話したほうがよさそうだね。うんそうしたほうがいい。場所は外。うん、外のほうがいいと思うな」


 先ほどとは違うやや砕けた口調で話し、自分に興味津々と言った様子で瞳を向けるアルディア。自分はそれに頷き返し、先行するように回廊の外へ歩んでゆく。後ろにはニコニコ顔の彼が続き、やがて外へ——


「屋内?」


 回廊を抜けた先に見えたのは乱雑に積み上げられた用具にロッカー。それがこの狭い部屋内に所狭しと並んでいた。所謂物置であるこの場所を眺めても眺めても感じるのはただの埃っぽさだけである。


「こっちだよ」


 急に頭から降ってきた声で反射的に視界を上げる。そこにはいつのまにか自分を追い抜いていたアルディアが積み上げられた用具の上に乗っていて、天井にある扉を押し開けていた。あっという間にその影は外へ消えゆき、軋み揺れる用具が積み重なった埃っぽい物置に一人取り残されてしまった。


「ええー、これ登らなきゃダメ?」


 一階物置から二階寝室。二階寝室から穴が開いた天井と計二回の登攀を経て辿りついた外。夜の景色に浮かび上がる月は二つ、聞いたことのない鳥の鳴き声、感じるのは向こうとは違う独特な冷気。それだけで自覚してしまう。

 

——ああ、異世界に来たんだな


「感傷に浸るのもいいけど、僕のこと忘れないでね?」

「あ、すいません」


 慌てて視線を移すと、そこには先ほどまで着ていたコートとマントを脱ぎ、随分とラフな格好になったアルディアの姿があった。が自分が視線はその恰好ではなく背中から伸びる黒い羽に注がれていた。


「アルさん……それってもしかして」

「もっと砕けた調子でいいよ。僕もそうするし。トーカが自分について語ると決めたなら、こっちも腹割って話す必要もあると思ってさ」


 先ほどもそうだったが完全に遠慮することをやめたのか彼はそう言う。そして自分にその赤くなった瞳を向け、薄く笑った。


「僕は、いや、僕とシスは吸血鬼なんだ」


 そう告げる口元からは鋭く伸びた八重歯がのぞいていた。



 吸血鬼。それは自分がいた世界では随分とポピュラーなものであった。と言っても目の前のアルディアのように八重歯や羽を持つ者は見たことがない。

 他人の血を飲むもしくは浴びることによって魔導を編める者。それを総じて吸血鬼と呼ぶ。いわば俗称みたいなものだ。ちなみにこの意味であれば限定的だが自分も吸血鬼に当てはまるが今はどうでもいい。

 そしてこちらの世界における吸血鬼の特徴ははまさしく『お決まり』という言葉がふさわしいものであった。

 曰く、定期的に吸血鬼以外から血を採らないと死ぬ。

 曰く、永遠に等しい寿命を持つ。

 曰く、日光に弱い。

 曰く、流れる水を渡れない。

 曰く、十字架、銀に弱い。

 などなど自分がいた世界で知られる逸話をただんに含んでいた。


 さて、彼の来歴についてだが、話を聞くとハーバスと呼ばれる軍事帝国の将にあたる立場だったとのこと。彼曰く今の帝国は近隣諸国とやたらめったら戦争を起こすらしく馬が合わないらしい。故に彼は軍人をやめ、気ままに放浪しつつ、現状の帝国を打破する方法を探っているとのこと。


「まあ、世直しってやつかな。シスやポラリスは途中いろいろあって協力してくれた仲間。僕に関してはこんなところかな」


 そういうとアルディアは空に浮かぶ赤と青2つの月を眺めていた視線を自分へと向け「次は君の番だよ」と目で訴えていた。

自分は一度深呼吸すると彼に自分の素性、ここに来るまでの経緯を話し始めた。

 こことは違う、月が一つしかない世界に生きる住民であること。向こうにある魔導という力の存在、ある襲撃によって開かれたであろう此方への転移門の存在。

それらを語り終えると彼は目を丸くして自分を見つめていた。初めて見る表情だった。


「驚いたな、もしかして君は『勇者』なのかい?」


 『勇者』。その言葉で真っ先に考え付いたのは紫紺の髪を揺らし、面白いものを見るような表情で自分たちをここに送り出した生徒会長。その姿を思い出して僅かばかり悪寒が走る。

 その動揺をなんとか抑え込み、自分は彼に疑問をぶつける。


「『勇者』って、ここでは異邦人のことをそんなふうに呼ぶのか?」

「概ねその通りだね。それについて説明——の前にトーカはこの世界について知るわけないからそれについて話そうか」


 そういって彼は再び視線を月へ向け、この世界について語り始めた。


 

第一級生存区域シラティア。それがこの異世界の名称だ。第一級生存区域とかいう大層な言葉で飾られているが、要は人、獣、魔が生活できる環境が整っている唯一の世界であるということらしい。この世界は先ほど上げた人、獣、魔の三大種族が国境のようにそびえ立つ巨大な白亜の壁で隔たれて暮らしている。といっても完全に隔離されているというわけでもなく、白亜の壁に作られた門を伝っての交流はあるらしい。

 魔はこの世界に漂う魔素を扱う術を、獣は何よりも強靭な肉体を、人はそれらを補う知恵をもってしてそれぞれ繁栄を築いていた。

 ここ数年は人と魔が対立する傾向にあり、今ではその二つの種族を繋ぐ門は閉じられたままだという。

 ちなみに魔物というのはこの世界で凝り固まった魔素が形を得た異形であるとのこと。



「この世界についての概要はこんなところかな。じゃあ次は『勇者』と『魔王』について説明しようか」


 一呼吸つき、未だに月を眺めるアルディアの表情には笑みが浮かんでいた。自分はその笑みの意味が分からなくて対応に困るが、すぐに彼は語りだした。



 『魔王』それは善性を代償に力を得てしまった者の末路。それは例外なく世界最強と呼ばれる力を持ち、その力を持って世界を支配、或いは滅ぼさんとする。その強大すぎる力故にこの世界で生きるものは例え徒党を組んだとしても『魔王』には絶対に勝てない。そしてそれの抑止力として別の世界から異邦人が遣わされる。その姿、力から彼らは『勇者』と呼ばれる。


「——そう言い伝えられている」


 最後に付け足した、その含んだ物言いに自分は眉を顰める。


「つまり、事実ではないと?」

「いや、正確に言えば事実という確証も事実ではないという確証も無い。だって」


——『魔王』なんていう存在が今まで観測されてことはないのだから



「まあ、簡単に言ってしまえば、『勇者』はいっぱいいるけど『魔王』は一人もいないのが現状ってとこ」

「えっ、『勇者』もとい異邦人ってそんなにいるのか?」


 驚く自分にアルディアは肩をすくめ笑いかける。


「そんなにってわけじゃないけど去年までは2、30年置きに1人。計39名の『勇者』がこのシラティアに遣わされた。すべて人の領域にだけどね」


 その言葉と現状に違和感を覚え、自分は首を傾げる。近くから聞こえた鳥の鳴き声はいつのまにか聞こえなくなっていた。程なくしてその違和感の正体に気付く。


「……自分は例外っぽい?」

「まあ気づくよね。そう、ここは魔の領域。君は41人目の『勇者』にして魔の領域初の『勇者』として遣わされた。例外であったとしても僕はトーカを歓迎するよ」

「41人目。つまりこの一年のうちに2人遣わされたということか」

「そういうこと。まあ、その人は当然のごとく人の領域にいるんだけどね」


 浮かべた笑みを消し、やれやれといった感じで溜息を吐く彼に向けて自分は思いついた疑問をぶつける。


「一つ疑問なんだが、さっき人と魔は対立していると言っていたが、自分は大丈夫なのか?」

「問題ないはずだよ。例え人を象っていたとしても『勇者』は『勇者』であって人でも魔でも獣でもない。その方面に関しては心配はいらない」

「なんだか含みのある物言いだな」

 

 僅かに訝しげな視線をぶつけてやると、彼はこちらに視線を向けず、今度は含んだ笑みを浮かべるだけだった。

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此方と彼方のディスタンス 殻空@鵯 @karakara-ayiyo

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