未知への旅路

邂逅

「これで二人目、想定外ですよ導師殿」


 凛とした声がこの真っ白な空間に響き渡る。とある宮殿の一角にある白一色で構成された一室。飾り気一つ無いここにあるのは『円卓』と呼ばれる大きな丸いテーブルと僅かな照明。本来要人が座るはずのテーブルの席は空席で、今この部屋にいるのは二つの人影。声の主である純白の鎧をまとった騎士は着けていた兜を外すと自らに与えられた席——灰色の椅子へ乱暴に腰掛けた。露わになったその風貌は先の声とは似つかわしくないほどの焦燥で歪んでいた。


「騎士フラウ、そうせっつくな。どのみち一人目がいる時点で我らの敗北は必定だ。むしろこの二人目を利用するくらいの気概でなくてはこの先生き残れない」


 答えたのはため息交じりに騎士を咎める声、それは老人のしわがれた声のようにも変声期前の子供のような声にも聞こえた。『円卓』の奥に佇む導師と呼ばれたその人物は真っ白なフードで目元を隠し、纏う白色だったローブを赤黒く汚していた。


「利用……どういうことです? 制約に縛られた奴らが互いに争うなどあり得るはずがない……!」


 そう言い切った言葉は僅かばかり歯切れが悪かった。むしろ、認めたくないと言いたげな様子でもあった。それを解することなく導師は言葉を続ける。


「アーツェンから連絡があった『二人目は城に現れなかった』と。この意味が分からないほど貴方は愚鈍ではないはずだ」


 その言葉に灰の騎士は目を見開いた。まるで知りたくもないことを知ってしまったかのような顔をすると、苦々しく口を開いた


「つまり、奴らは盟約を破ったと…」


 その言葉に導師は首を傾げ、僅かばかり瞑目すると、何かに気付いたかのように「違う違う」と言い騎士の勘違いを指摘した。


「破ってなんかいないさ。奴らは呼んでないし、無論こちらにも呼び出す術がない」

「では……」

「最悪の事態は避けられている。つまりはそういうことだ。今は奴らより先に探し出して、味方につけるんだ。加護はなくとも選ばれてはいるはずだ、それが鍵になる」

 

 そう言うと導師はローブを揺らしながら騎士の横を通り過ぎ部屋の出入り口から外へと出て行った。残された騎士は今の会話内容を反芻し、「何故……」と呟き席を立つと、兜を手に下げ導師の後を追って部屋を出て行った。



 落ちる、落ちる。深い深い闇の底、途切れた意識は奈落へと落ちていく。何かが欠けて、するりと抜け落ちる。それは自分の大切な片割れ、或いは自身を構成する一つの感情。もはや脱離したそれが何であったかすら思い出せない。喪失感は既になく代わりにじんじんと何かが痛む。覚悟はあったはずだ、揺るぎない信念を持ち合わせていたはずだ。でもそれで痛みが治まることは無い。

——痛い、苦しい、ああちくしょう

 やがて落ち続けていた意識は終いへとたどり着く。自ら望んだ行いではあったが代償はどうにも高くつくらしい。覚える違和感で欠損したのは感情だけではないことに気付く。

 視覚、嗅覚、聴覚、味覚のどれもが抜け落ち、感じるのは外気に触れていることを知らす触覚のみ。熱のような痛みは健在でその痛みだけが私の存在を確からしいものにしてくれる。何とも私らしい終幕ではあるが——いや終わりにはまだ早い。

 不意に感じる外気や痛み以外の感触。柔らかなそれは私の『足』にあたる部分を包むように掴んだ。掴んで離さない、熱が増える、痛みが増す、激情が宿る。否、伝わってくる。私はこれを知っている。だから終わりにはできない。

——ああ、そうか。それなら私は……



 昔から朝に弱いだの、寝起きが悪いだのとよく言われてはきたが、どうにも覚醒直後というやつは頭が回らない。どうでもいいことばかり思い出して思考はまとまらないし、かといって何も考えなければ思考が止まり忽ち眠気に襲われる。

 だから見知らぬ天井の染みを数えず、視界に入った赤い物体を気にもせず、とりとめのない思考に耽ることもせず、ただ無意識に言葉を紡ぐ。


「確か、あの黒ローブを無力化して、そんで門みたいなのが出てきて……飛び込んだんだっけか? 生徒会長様の助言に従って追手が来る前に……んーなんか忘れてるような。深月を置いて行ったのはまずかっただろうし、でもあれの視界外に逃げるにはここしかなくて、んん? やっぱり何かおかしい。忘れてる? 前にもあったような気がする……」


 ふと浮かんで呟いたのは、ここに至る経緯と感じる違和感。呟けば呟くほどに思考は追従していき、頭が冴えていくことが分かる。

 半ば覚醒しきったところで呟きを止め、体を起こし周囲を確認する。部屋の四方を囲む本棚、机、その上に乗った食器、椅子、そしてあたり一面に置かれた本の山と何かが乱雑に書きなぐられた紙の束。書庫のような、子供の秘密基地のようなこの部屋に戸惑いを覚えるが、少なくとも生活感があると言える光景に僅かばかり安堵を覚える。そうして改めて眼前のものを注視する。

 赤い物体。否、これは刀の鞘だ。それはそれにあるべき刀身が収まっていない状態で自分の上に乗っかっていた。緋のように明るい赤のそれに紋や印のようなものは彫られていない。それが分かったところで、後方から何かが横にずれる音。それに遅れて足跡、話し声が聞こえた。


「……それは別の機会に——ってあら起きたのね」

「おや、お目覚めみたいだね」


 振り返るとそこでは秘密基地よろしく本棚が横にずれており奥から2人の男女が現れた。先に声をかけてきた女性、もとい少女は着ているワンピースと同じ藍色の瞳を揺らしこちらを注意深く観察していた。その瞳の奥に見えるのはかけてきたその柔らかな声に似合わない無機質なものであった。対してもう一方の男性、青年は、燃えるような赤い髪を揺らし強い意志を感じさせる赤い瞳をこちらに向けていた。そのギラギラとした生気あふれる瞳は藍色の少女とまるで対極だ。


「ん? ああシス、気づかれてるよ」

「えっ、あら、あはは」


 シスと呼ばれた少女は一瞬びくっと肩を震わせると見定めるような視線をやめ焦りと緊張を含ませた視線でこちらをうかがう。でもそこにも感情らしい色は無かった。

 その様子に青年は溜息を吐き朗らかな調子でこちらに話しかけてきた。


「ごめんね、彼女、ああシス・クラウロリーって名前なんだけど、初対面の人はどうにも警戒しちゃうんだ。どうか大目に見てほしい。僕はアルディア。見ての通りただの旅人さ。気軽にアルと呼んでくれても構わないよ。君の名前を聞いても——っといけない僕としたことが恩人に対して最初に言うべきことを忘れていたよ」


 そこまで言ったところで青年——アルディアは声のトーンを落とし、真剣な面持ちなると、突然自分に対して頭を下げた。


「ありがとう。僕らの大切な仲間、ポラリスを助けてくれて本当にありがとう」


 誠意のこもった言葉を投げかけたアルディアの隣では同じように頭を下げる少女——シアの姿があって、さらにその後ろ、彼らが現れた本棚からひょっこりとこちらの様子をうかがう影があった。

そんな状況が飲み込めず、かといって何か言わなければいけない使命感に駆られた自分が絞り出した言葉が


「け……けもみみ」


 そう、うわ言のように呟いたそれは本棚からこちらをうかがう少女の三次元では到底見ることができない身体的特徴、獣のような耳についてであり。要はシスの背中に生える何かにアルディアのいかにもそれらしい旅装束、とどめとばかりに現れた少女の耳によって自分のキャパシティが限界を超えた証左であった。


「……きゅう」

「ちょ、恩人殿!?」


 止まった思考に霞む視界。限界を超え、落ちゆく視界が最後にとらえたのは猫のような耳の持ち主。先ほどまでは本棚に隠れてよく見えなかったその全貌がよく見えた。翡翠色の髪を揺らし、その髪と同じ色をした瞳に涙を浮かべ必死に何かを叫んでいた。その必死な姿にどこかで見た懐かしい姿を重ねながら。

 再び意識は闇の中へと落ちていった。



「脈拍安定。バイタル異常無し。どうやら普通に眠っているみたいね」


 近くの椅子に腰掛けた少女——シスがかの少年の安否を告げる。僕らの移動型拠点にあるベット、普段は僕が寝ているところだが今そこでは一人の少年が眠っている。名前は知らない。でも彼の手を握って寄りかかるようにして眠っている獣人——ポラリスが襲われていたところを救ってくれた恩人である。


「それは良かった。恩人に何一つ返せないままだったら末代までの恥だからね。それよりも……」

「ええ、驚いたわ。あの子があそこまで感情を露わにするだなんて」


 どうやら彼女も僕と同じことを考えたらしい。先ほどの獣人ポラリスはいわば奴隷であった。故におどおどしていて臆病なところがある。そんな彼女が「目を開けて」「死なないで」と涙を流しながら叫んでいたのだ。驚くなといわれては無理があろう。


「それで、これからどうするのアル?」


 そう言われてハッとする。今はこのセルファの森にある廃屋を拠点にしているが、いずれ、ここを出ていき目的地の町まで移動する必要がある。彼が目覚めるまで待つべきか、或いは彼を背負ったまま町へ行くべきか、悩ましいところだ。がベットで眠る少年少女を見ていると自然にどうすべきか決まってゆく。


「待つことにするよ。彼が目覚めるまでね。多分彼とは話すべきことがたくさんあるだろうし、一時的に行動を共にすべきだと思うんだ。うん、そんな気がする」

「そうね、あなたが言うのならそうすべきでしょう。確かに恩人を引きずり回すというのもあり得ない話だしね」


 花の町アリシア。一年中花が咲き続けていると言われる町。放浪者である僕らの次の目的地。そこにたどり着くのはもう少し後のことになりそうだ。

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