第11話 記録の景色

 そのとき、白衣の黒猫がぜえぜえと息をきらしながら駆けつけてきました。

「ああ、クーボー博士。ご無沙汰しております」

 山猫が云ひました。

「挨拶してゐる暇はないぞ。大変なことになつた。よだかが一羽、この街の構成炉に飛び込んだんだ。まもなくこの空間は消滅するぞ」

「なんですつて」

 山猫は驚いたやうに云ひました。

「すぐに逃げるんだ。ほら、あなた達も」

 さう云つてクーボー博士は、出口に向かつて走りました。山猫も、ペンネン技師もそれを追ひかけました。ハルとシュラの金属球もそれを追ひかけました。

 入り口の扉を出てまつくらな回廊に戻ると、クーボー博士の手があはてて扉を閉めました。中でどうん、どうんという爆発音が聞こえて、扉ががたがたと揺れ、それからすうつと静かになりました。

 しばらくして、クーボー博士が扉の隙間をちらと開けて中を覗きますと、さつきまであれだけ明るかつた鳥の街は消え去り、このまつくらな回廊よりも、何十倍もまつくらになつていました。生き物の焼け焦げた臭ひが少しだけ回廊にただよつてきました。

 三疋の猫たちはいつせいに大きなため息をつきました。

「また駄目だつたか」

 クーボー博士はさう云つて肩を落としました。

「何度やつても、うまくいかないねえ」

 ペンネン技師が云ひました。

「やはりこれは、ほんたうに面倒な裁判ですよ」

 山猫が云ひました。

「では、我々はもう次の次元に向かはないといけない。裁判長もあとで来たまへ」

 クーボー博士はさう云うと、ペンネン技師とふたりで、まつくらな回廊を奥の方へ歩いていきました。

 山猫はハルとシュラの方を見てぺこりと頭を下げると、

「どうもお手数をおかけしました。お二人の意見をお借りすれば、あるいはこの住民たちが上手くやる道を見つけられるのではないかと思つたのですが」

 と云ひました。

「いいえ、お役に立てずに申し訳ありません」

 とハルが云ひました。

「ぜんたい、この空間は何なのですか。あなた方はぼくたちに何を見せてゐるのですか」

 とシュラが云ひました。するとハルは、

「シュラ、だから云つてゐるだらう。かれらは人間なのだ」

「ハル、人間はあのやうな姿をしてはゐないよ」

 すると山猫は云ひました。

「むろんその通りです、シュラさま。しかし、それはわれわれの感覚器官の問題にすぎません。私たちが目の前の風景や人物といつたものを、感覚器官を通して認識するやうに、記録や歴史といつたものも、そのときの感覚を通じてしか認識できないのです」

 さう云うと山猫はくるりと振り向いて、

「では私はこれにて失礼致します」

 と云つて、回廊をつかつかと奥の方へ歩いて行き、やがて見えなくなつてしまひました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る