パロディから好きになるオリジナル『接吻』

 ぶっちゃけていうと、わたしはクリムトが好きではなかった。

 かと言って、格別嫌いでもなったのだが。

「なんか、境界線がはっきりしなくてよくわかんない絵だなあ」

 クリムトの絵を見るたびに、そう思っていた。


 ところが。


 コペルニクス的転換が、その展覧会でわたしを待っていた。

 その展覧会とは、忘れもしない、第1回カクヨムWEB投稿締切寸前に追われていたわたしが矢も楯もたまらず見に行った(まあ、そんなことだから投稿結果は箸にも棒にも引っかからないという当然の結果で終わったわけだが)猫の絵画の展覧会である。


 前回の『犬。コロコロ。。。』でも申し上げたが、わたしは基本猫派なのだ。


 ちなみに好きな猫種(犬種という言葉はあるのに。自分で書いておきながら、これはねこしゅとびょうしゅ、どちらで呼ぶべきものなのか。誰か作って、できれば辞書に載るくらい、メジャーにしてやって下さい)は、白猫、虎猫、アメショなどを経て、いま専らのお気に入りはマンチカンとノルウェージャンフォレストキャット……、いやいや、どうでもいい。


 大事なのは展覧会。


 もっと言えばクリムトの『接吻』である。

 この展覧会では世界的名画が、猫と猫にまつわるモチーフなどを利用して描かれている絵が公開されていたのだが、その中の一つがこの『接吻』だったのである。


 クリムトの『接吻』は、ひとことで言い表すならずばり、溶ける境界線。


 キスをする男性とキスを受け入れる女性の境界線が非常に曖昧で、本来なら蕩けるような甘いキスシーンのはずなのだが、背景に使われている黒の印象があまりにも強く(この絵のタイトルをあらためて確認しがてら絵を見てみたら、そんなに真っ黒ではなかった。クリムトさん、ごめんなさい!)、ロマンスはピンクだ! という思い込みのあるわたしにはどう見てもロマンチックに思えない絵だったのだ。


 ところが!


 猫を使って描かれたそれを見たとたん、金色が二人(この絵の場合二匹)の情熱の奔流に思えて、黒が『暗い』ものから、この黄金を引き立てるための、これ以上ない名脇役に思えてくる。


 わたしはいっぺんにクリムトが大好きになってしまった。


 それにしてもパロディを見て、オリジナルのすごさが理解できるとは。

 絵画よ、恐るべし。

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