最終講評と参鶏湯

 教授が出ていくと、教室の空気が一気に緩んだ。ああ終わったんだなという安堵におそわれながら、まだ仕事が残っていると自分をいましめる。展示計画も最後の詰めが必要だし、実際に動き始めたらまた問題も出てくるだろうから。


「香夜、いつまで放心してるつもりだ?」


 昭島が声をかけてくる。だけど力の入れ方を忘れてしまったみたいに上手く立てない。仕方なく手を伸ばして、服をつまんた。


「なんか気が抜けちゃって立てない。助けて」


 しっかりとした骨格の温かな手に引き上げられる。腰に手を添えられて、一瞬重力を見失う。え、手慣れすぎじゃない?

 困惑をよそに、私の足はきちんと地面を踏んでいる。昭島はじっと私に視線を注いでいた。ちゃんと立てているか不安なのかもしれない。手がまだ繋がれたままだ。もう大丈夫、と足踏みをしてみせる。


「本当に平気か? 一人で立ち上がれないとか」

「脱力しすぎただけ。ほら、普通に歩けるもの」


 昭島のまわりをくるりと歩く。やっと納得してくれて教室をあとにする。少し休んでから帰れば、というのでプラタナス食堂へ向かった。


「やっと一区切りだなぁ。本当長かった。でも半年くらいなんだよね」

「必死だったしな」


 メニューを閉じて、苦笑を交わす。大変だったことのディテールは言わずともわかる。隣を走っていた実感が今更のようにわいた。一人だったらとっくに諦めていたのではないだろうか。


 今日のお料理は参鶏湯サムゲタン。テーブルに運ばれてきたのは一つのお鍋と二つのお皿。鈍く黒く光るお鍋からはさかんに湯気が出ている。覗き込めば、白っぽいスープから大きな鶏肉が顔を出していて、栗やなつめの実が浮かんでいる。


 どこから手をつけるか悩む間もなく、昭島が器用にとりわけてくれた。ふわりとほどけた鶏肉、栗、なつめ。それからとろりと輪郭をあいまいにしたもち米。


 スープをひとくち。具材から溶け出した全てがまさしく滋味という感じ。血が巡りはじめた気さえする。塩をひとふりすればさらに風味が濃くなる。


 鶏肉はほろほろになるまで煮込まれていて、舌にふれるだけで繊維に沿ってほぐれる。もち米のとろみが旨味をより強く感じさせた。

 栗の優しい甘さとなつめの甘酸っぱさがアクセントになる。気づけばお腹はいっぱいになって、身体がほんわりと温かい。自分が空っぽだったことにようやく思い至る。きっと、すごく疲れていたんだ。


 昭島がスプーンを置いた。目が合う。


「美味しかった。ありがとう」

「今日はもう早く寝ろよ。送ってくから」

「は?」

「放っておくと寄り道するからな」

「そういうこと?」


 外はもう暗くなっていて、向かいの教室に残った光が妙に綺麗に見えた。

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