合間の時間とお寿司
たまたま時間が合って、昭島とお茶をすることになった。少し荒れた肌を気にして、つい顔に手を触れてしまう。自己管理も制作のうち、なのはわかっているつもりなのだけど。自分の中のなにかがすり減っていく感覚はいつも消えない。
お料理の匂いと、窓から降り注ぐ木漏れ日と、温かみのあるデザインのインテリア。ぴんと張っていた緊張の糸がゆるんでいく。こんなに落ち着くのは久しぶりだと思う。
メニューに目を落とせば、すっかり秋らしいものばかり。心惹かれるものはすぐに見つかった。
「あ、お寿司」
「お茶のつもりじゃなかったのか。昼は済ませたって聞いたが」
「いいの。お寿司の気分になっちゃったから。だいたい、これってめったに出ない限定メニューじゃない」
昭島は苦笑したけれど、同じものを頼んだ。お昼ごはんはお菓子をつまんだ程度だったらしい。お寿司は条件がそろった時だけ現れると聞いていたから、今日は本当にラッキー。四年目にして初めて巡りあった。
おしぼりで手をぬぐいながら、訊いてみる。
「で、進捗はどうなの」
「率直に言ってまずい」
「みんなそういうね。私もそうだけど」
卒業制作もそろそろ折り返し地点だ。本来ならば。なのにどうしても先は見えなくて、息苦しいような焦りがつきまとう。たまに終わらなさを確かめあって、してはいけない安心を得る。
やがてお寿司が運ばれてきた。長方形の黒い陶器のお皿の上に、三貫並んで載っている。つるんと白く透き通った鯛、雪のような白身を軽く炙ったカマス、それからピンク色のきめ細やかなぶり。端にはガリが小山を作っていて、隣にはお皿とおそろいの湯のみが熱々の緑茶をたたえている。
すでに塩は振られている。まず鯛を口に運ぶ。はじめに酢飯の香りがふわりとほどけた。崩れていくご飯と歯ごたえの強い鯛が噛むごとに一体になっていく。淡泊だけど旨味は強くて、お米の甘みが出るほどに味わいは深くなる。わさびがつんと鼻に抜けて、塩味と一緒になって爽やかに感じられた。
次にぶりに手を伸ばす。たっぷりと脂の乗った身が口の中の温度でやわらかくなる。ご飯の粒の周りにまとうように旨味が溶けていく。とろけるような濃厚さでいっぱいになる。一度ガリを食べて舌を休ませる。甘酸っぱく、ぴりりとした辛さが後を引いた。
最後にカマスを口にする。表面は火が入ってほわりとした舌触り。けれど噛めば生の身がとろんとした歯ごたえを感じさせる。あくまであっさりと瑞々しく、控えめな味なのだけど、だからこそもっと食べたくなる。口のなかから消えてしまうとき、すごく惜しいと思った。
お茶はもうちょうどよく冷めている。啜ると優しい香りが頬にかかった。生もののあとの緑茶はどうしてこんなに優しいのだろう。
「さて、作業に戻るか」
早くも湯のみを空にした昭島が呟く。
「そうだね」
名残惜しさを感じる前に席を立った。まだ、やらなくてはならないことがたくさんあるから。
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