桜材と栗おこわ

「あぁー! おなかすいた!」

 加奈が叫んで、あおむけに倒れこむ。ごん、と音を立てたのはたぶん後頭部ではなく手に持っているのみだ。恋煩いはどこへやら、いつもの調子に戻っている。木くずまみれの髪に、粉っぽい汚れの多いつなぎ。そして欲望には忠実。とくに食欲には。


「ねぇ美佐子、桜材ってなんかいい匂いしない? 甘くておいしそう。ってか木材って食べられそうな匂いだよね」

「スギとかヒノキにも同じこと言えるならたいしたもんだけど」

「んん、じゃあ除く針葉樹」


 森林浴の香りって言えばわかりやすいのかもしれないけれど、そのあたりの木はつんとした匂いがする。防虫効果がありそうな感じ。つまり美味しそうではない。百歩譲って、サクラは甘く感じるにしても。


「昼休みの混雑も一段落しただろうし、ご飯にしよっか」

 提案してみると、一秒もしないで加奈は身体を起こす。ばねみたいな動きだ。

「うん、行く!」



 午後のプラタナス食堂は程よいざわめきに包まれていた。子どもみたいに目を輝かせてメニューを眺める加奈に思わず苦笑する。

「すっかり秋だねぇ」

「ほんと」

 芋、栗、かぼちゃ。秋の味覚が満載だ。目移りしてしまうくらいに。注文が決まれば、目くばせだけでお互いわかる。手をかかげて店員さんを呼んだ。


 とりとめもない話のうちに、料理が運ばれてくる。二人そろって選んだのは栗おこわ。ざらりとした質感の、やや緑を帯びたグレーのお茶碗の中で、金色の栗がたくさん入ったおこわが湯気を立てている。


 お箸を入れれば、もちりとした抵抗を感じる。口にすれば、はじめは食感とほの甘い香りを強く感じる。噛んでいくうちにもち米の味が広がっていく。

 栗はホクホクと軽い食感で、それでいて風味がしっかりしている。お砂糖よりも柔らかな甘さがほどけて、もち米と混ざる。栗おこわの、食事とデザートの中間点みたいに思えるところも好きだ。


 お茶碗とおそろいの小さな壺に、ゴマ塩が入っている。木のスプーンですくい取って、かける。塩気がぐっと甘みを引き立てる。だけど全体としては食事という感じが強くなる。黒ゴマの香ばしさとパリパリした食感が楽しい。塩の結晶が舌の上で溶けるとき、栗ともち米の味がかえって浮き彫りになる。


 幸せそうな加奈の顔をちらっとうかがって、驚く。何か、顔まわりの雰囲気が違ってみえる。


「もしかしてメイク変えた?」

「え、わかっちゃったか。正解」


 加奈は首をかしげてはにかんだ。変わらないって思うのは、もしかしたら私の願望にすぎないのかもしれない。たしかに、加奈は綺麗になった。どうしても、置いて行かれた気分になってしまう。空になったお茶碗を置いて、長いまばたきをしてみた。

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