過ぎゆく季節とヨーグルトケーキ

 今週から後期授業が始まりました。吹く風もどこか爽やかで、秋の気配を感じさせます。暦の上ではとっくに夏は終わっていますが、今日は和装倶楽部の浴衣会です。顔を出すと言っていた森田先輩は、忙しいのか本当にちらっと覗いただけで行ってしまいました。

 どきどきしながら待っていると、控えめなノックが聞こえました。誰からともなく立ち上がり、慌ててドアを開けます。そこに立っていたのは意外な風貌の人物でした。明るい色の髪、黒を基調とした服、濃いめのメイク。大きな紙袋を持っています。いかにもいまどきの女の子という感じ、それも可愛らしい方でなくて、強そうなほう。

「あの……浴衣の着かた、教えてくれるってきいて」

 緊張気味に目をそらされて、こちらも固くなってしまいそうです。


「ようこそ、和装倶楽部へ。今日は気楽に楽しんでいってね。私は清瀬きよせ瑞樹っていいます、よろしくね」

 そう笑いかけたのは瑞季先輩でした。まだぎこちなさは残るけれど部長らしさとか、強さみたいなものを垣間見た気がします。女の子も、表情を和らげてくれました。

岡部おかべルイサです。よろしくお願いします」


 ルイサちゃんが紙袋から取り出したのは、浴衣のセットでした。黒地にピンクのバラが描いてあるような、キラキラしたもの。帯はいちばん簡易なつくり帯で、色はマゼンタ。かっちり固まったリボンを背中に差すだけのものです。正直、あまり良いものとは思えませんでした。大手スーパーとかで売っている感じ。


「わぁ、可愛い」

 声を上げたのは真紀先輩でした。おっとりしていて控えめだけど、誰にも優しい先輩。声色も表情も、心の底から素敵だと思っていることをにじませていました。

「ね、瑞季ちゃん。薄いピンクのオーガンジーの兵児帯あったよね。あれ合わせたら絶対いいよ」

「待って、出すから。あ、及川は外出てて」

 これから着替えることを考えれば、唯一の男である及川先輩が外に出されるのは当たり前なのですが、ついでのように言われて当人は狼狽えていました。一方のルイサちゃんは部屋にあがって、麦茶の歓待を受けています。水分は取っておくといいですよ。着付けられるほうも、意外と体力使いますから。


 瑞季先輩は手早く浴衣を着付けます。説明も交えつつ、的確に。衿合わせも衣紋の抜き方も、堅くて綺麗な仕上がり。帯を取り付けて鏡を見せると、ルイサちゃんは顔をほころばせます。けれど、どこか一点の不安を残しているようでした。

「あの、ちょっと子どもっぽいですかね」

 部屋を見渡せば、部員はみんな大人しい感じの着姿です。例えば瑞季先輩は、藍地の型染。深い深い青がきりっとしています。真紀先輩はミントブルーの板締め雪花絞り。単色だけど、にじんだような染が幻想的です。帯も、ちゃんと自分で結ぶものだし。


「そんなことないよ。だってまだ学生だよ? 私たちがうっかり渋い好みになっちゃっただけ。むしろ今のうちに可愛くしなきゃ」

 言って、瑞季先輩はルイサちゃんの帯の上から、ピンク色のオーガンジーの布を巻きました。ちょうど帯揚げの位置に来るくらい。後ろで蝶結びにすると、ふわりと花が咲いたようでした。

「着物だって浴衣だって、服なんだから。それこそファストファッションみたいな気楽なのがあっていいし、入り口は広い方がいい。帯も面倒だから、先に作っちゃえばらくちん。でしょ?」

 瑞季先輩に、森田先輩の姿が重なりました。知識が深ければそれだけ寛容になれるのは、なんとなく知っていたはずなのに。自分が半可通なのを唐突に自覚して、頬が熱くなりました。

「お茶にしようか。ルイサちゃんは、ケーキとか好き?」



 下駄を鳴らしてプラタナス食堂に向かいます。新学期も始まりましたから、店内はにぎわっていました。注文したのはホールのヨーグルトケーキ。私も初めて食べます。

 やがてやって来たそれは、雪を固めたような白さをしていました。上には小さなミントの葉が飾られていて、とても爽やかな外見です。瑞季先輩がナイフを入れると、断面も見事な雪白でした。一切れ、ひと切れ、生成の陶器のお皿に盛り付けます。かすかに色味のあるお皿の上で、ケーキはますます輝いて見えました。

「いただきます」

 手を合わせて、声をそろえます。小さく、ルイサちゃんの声が交じっていた気がしました。


 フォークを入れるとするりと切れます。しっかりしているのに、押し返すような抵抗はありません。口にすると、まずなめらかな舌触りを感じます。すっきりとした甘さに、ヨーグルトの酸味がきいています。口の中で、まずはほどけるように崩れて、瞬く間に溶けてしまいます。

 さらりとした後味が、フォークを運ぶ手を加速します。下に敷かれているスポンジも、存在感は控えめでありながらストレートに優しい甘さがたまりません。ミントも一緒に食べれば、鼻にまで抜ける香りがケーキ全体の雰囲気をがらりと変えてくれます。


 ホールのケーキはあっという間になくなってしまいました。ルイサちゃんも、さっきよりずっと馴染んだ笑顔で空っぽのお皿を前にしています。どうやら、今年の和装倶楽部も楽しくなりそうです。

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