冷え込む夜とオニオングラタンスープ
外の洗い場で道具を洗っていると、すぐに指が赤くなってしまう。屋外照明の青白い光の下でもわかるくらいだ。隣では、つなぎ姿の加奈がかたかた震えながらタオルで手の甲の水滴をぬぐっていた。
この時間では夏でも真っ暗なのだけど、冬もさなかの今はさらに深い闇に感じる。私ら雑巾で道具を拭いて顔を上げた。まだ水を滴らせている蛇口を加奈がぼんやり眺めている。元気、ないよね。なんか。
「ねぇ。私おなかすいたんだけど、何か食べて帰らない?」
「ん? え、ああ。今日は親が来てるからご飯あるんだ」
「なら、軽くでいいから。あったかいものが欲しい」
手早く身支度を済ませて、引きずるように加奈とプラタナス食堂に向かった。柔らかな暖色の明かりが漏れる食堂に、なんだかとても安心する。
「加奈は何にするか、決めた?」
「ううん、夕飯入ればなんでもいいんだけど」
「じゃあさ、オニオングラタンスープにしない?」
「重くない?」
「いやいや、余裕でしょ」
押し切って席についた。すぐに目当てのものを注文してしまう。私は向かい合った加奈の顔を眺める。やっぱり微妙に浮かない表情をしている。さては恋わずらいか。
「もしかしてさ、ご飯誘ったの?」
はっきりわかるくらい身を固くするのを見て、図星かなと思う。様子からすれば上手く行ってはいないのだろうな。かける言葉を考えながら、加奈の返事を待つ。
「……、行ってきたよ。一緒に。勢いあまって好きだって言っちゃった」
泣きそうに笑って加奈は言う。訊かなければよかったかもしれない。やりとりが途切れたときに、ちょうどスープが運ばれてくる。クロームイエローの広口のマグカップに、飴色のスープが満たされている。真ん中には薄切りのフランスパンにたっぷりと溶けたチーズのかかった小島が浮かんでいた。
ひと匙すくうと、チーズがみょんと糸をひく。湯気があまりに盛んに出るので、すぐには口をつけずに息を吹きかけてみる。同じく空中でスプーンを静止させた加奈が、ぽつりと声を漏らす。
「返事は待って、って。まだ生きてるのかな、この話」
「いつ言ったの?」
「一昨日」
「答えがまだなら、たぶん」
かけひきの事はわからないけれど。ただ加奈の恋が終わっていないことに少しだけ安心する。ようやく口にしたスープはまだ温かくて、炒めた玉ねぎが香ばしく匂う。とろりとした舌触りと共に甘みが広がった。噛めばチーズの旨味が加わって、味覚はさらに豊かに満たされる。
スープに浸されたパンはホロホロに崩れるほどに柔らかくなっていて、小麦がふわりと香りたつ。冷たかった身体が徐々に温まってくる。加奈の頰もほのかに上気して、心なしか表情がゆるんで見えた。とろりとしたスープはなかなか冷めない。最後までかすかな湯気を立てつづけていた。
席を立つタイミングで加奈のスマートフォンが鳴る。
「あ、ちょっとごめん」
「いいよ、払っとくから」
「ありがと」
支払いを終えて外に出ると、加奈は神妙な面持ちで端末耳に当てていた。ふと、表情が崩れて何度も頷く。泣き笑いのような顔をして。漏れ聞こえた言葉はたぶん「よろしくお願いします」だ。
ああ、なんかもう。ちょっと遠く感じてしまうな。
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