忘れていた約束とプリン

 加奈がメニューを眺めながらにやにやしている。というのも私がおやつを奢ると言ったからだ。夏にアイスを買ってあげる約束をしたのだけど、うっかり忘れたまま秋になってしまった。


 もうアイスが美味しい時期でもないので、好きに選んでもらうことにした。いつもは悩まず注文する加奈が珍しくずっとメニューを見ている。


「いやあ、奢りだと悩んじゃうよねぇ。何にしようかな」


 ふざけてちらちら伺ってくるけれど、ここにそんな高額なものがあるわけもないのでスルー。だいたい加奈は人のお金を無駄に使わせるタイプでもない。


「私はプリンにするけど」


 加奈の顔に浮かぶ悩みが本当らしくなる。おおかた、違うもので迷っていて選択肢を増やしてしまったんだろう。


 しばらくかかりそうなのでぼうっと物思いにふける。課題はどのくらいのペースなら間に合うか、とか。今年度はとっくに折り返し地点を過ぎている。後期も始まってひと月が経とうとしていた。学園祭もあるし、着実に終わらせないと。


「決めた。私もプリンにする」


 加奈の悩みはようやく晴れたようだ。注文を終えて待っている間もやけに明るい顔をしている。


「そういえば、恋の話はどうなったの?」


 好きな人がいると聞いたのはいつだったっけ。あれから進展があったのだろうか。


 加奈はお冷を持つ手を震わせて露骨に動揺している。聞いちゃいけないことだったのか。


「い……いやまだなにも」


 聞いてはいけない、よりも進んでいないのがうしろめたい感じかもしれない。まあ必ずしも進める事が良いとは限らないし、そもそも私に対して報告義務があるわけではないのだが。


「でも、でもね。今度会うときに好きだって言おうかなって」

「良いじゃん。一緒に出かける予定でもあるの?」

「ううん、バイトのシフトが一緒なの」

「うーん、それ、私が言うのもなんだけど微妙じゃないか?」

「え?」

「バイトってことは他に人がいるでしょ。あんまり嬉しくないんじゃないのかな、公開告白みたいなのって。帰る方向一緒で二人で帰ってるとかなら別だけど」

「そうなのかな?」

「まず二人で出かける約束をとりつけるとかしてみれば」

「ほう、なるほど」


 実際には私に恋愛経験なんてない。知り合いの受け売りだってことは黙っておこう。


 話が途切れたところでプリンがやってきた。オフホワイトのつや消しの釉薬のかかったお皿の上に、絵本みたいな形のプリンが立っていた。ちょっと大きめで、子供の頃にこんなプリンに憧れていたことを思い出した。


 平らなてっぺんにはカラメルがしっかりと染み付いている。側面は黄色くぷるんとした質感で、上から流れてきたカラメルがうっすらと縞模様を描いている。


 スプーンはするりと入った。たまご色のかけらが銀色のスプーンの上におさまる。滑ってしまわないように、そっと口に運ぶ。


 まず、カラメルのほろ苦さが舌に走る。プリンは卵と牛乳の風味が豊かでとても素朴だ。


 舌触りはなめらかなのに、弾力というか食べ応えというか、確かな実在感がある。柔らかくても儚くはない。


 ぷるんとした食感を口の中で楽しむ。プリンが崩れるたびにふんわりと卵と牛乳が香る。ひかえめな甘さが幸せを誘う。カラメルの香ばしさが味をぎゅっとひきしめて、プリンの優しさを引き立てている。


 大きめのプリンも、食べてしまえばすぐだった。カラメルのなごりだけがお皿に残っている。


 スプーンを置いた加奈がぽつりと呟く。


「今度ごはんに誘おうかなあ」


 誰を、とは言わない。だけど相手は決まっている。私はにやっと笑ってしまった。


「健闘を祈るよ」

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