恋する乙女とエビグラタン

 加奈から夕食に誘われたのは、工房を片付けているときだった。石膏まみれになったノミやら彫刻刀やらを洗って、床を掃く。風で石膏の粉が低いところを舞う。代わり映えしない作業終わりの風景の中、ご飯を食べて帰らないかと加奈は言った。


 注文を終えてしばらく、他愛のない雑談をしていた。加奈はどことなく物言いたげな様子だ。時折視線をテーブルにさまよわせている。何度目か口を開きかけてはやめて、ようやく決意ができたみたいに切り出す。


「あのさ、私」


 決して短くはない間が生まれる。続きを促すべきか悩んでいると、加奈が言葉を継いだ。


「好きなひとができた」


 予想もしなかったと言えば嘘になる。だけど、これは衝撃が大きい。入学してからずっと隣で制作をしている加奈。わりとストイックな私の友人。彼女はいま目の前で、化粧気のない顔を赤らめている。


「えっ。えっと、誰?」

「バイト先の人。他大の同学年」


 またもや沈黙におちいったその時、注文したエビグラタンが運ばれてきた。きつね色に焼けた表面が香ばしい湯気を立てている。私たちは一度ふかく呼吸をして、スプーンを手にとった。


 パン粉と粉チーズが振りかけられた表面は、あっさりと破れた。とろりとしたホワイトソースと、ぷるんとしたマカロニと、背の丸まったエビの姿があらわになる。湯気の勢いは強くなる。

 エビをスプーンの上で冷ましながら、加奈に質問する。


「その人、どういう人?」

「うん。そうだなぁ……後輩の面倒見が良くて、慕われてる。ユーモアがあって、ちょっとした一言でみんな笑うの」


 加奈がうっとりとした表情でスプーンを口に運ぶ。熱っ、と言って笑った時は普段の顔に戻っていた。


 私もそうっとエビを口にする。弾力のある確かな歯ごたえと、かすかな海の香りと塩気。しっかり嚙めるのにみずみずしくて、硬くない。

 牛乳の風味の強いホワイトソースを纏って、舌触りも味も優しい。かりっと焼けたパルメザンチーズとパン粉が全体を引き締めている。

 マカロニは程よい茹で具合で、柔らかすぎもしない。甘みのあるホワイトソースが十分にからんでいる。


「ありがと、ね。話きいてくれて。こういうの初めてで誰かに言いたかったんだ」


 唐突に加奈が話を終わらせにかかった。本当に、あのひと言のために夕飯を食べに来たんだろうか。話したいけど話したくないみたいな恋する乙女のジレンマが発生しているとか?


「加奈に、そういう話ができる相手って思ってもらえたんだから、嬉しいよ。進展あったら教えてね」


 最後の方は、笑いを含んで言った。加奈は顔をほころばせる。


 私は残りのグラタンに取り掛かった。スプーンを入れれば新たな湯気が生まれる。すべてはとろりとしたホワイトソースに包まれて、豊かな具材がまとまりをもった味わいになる。

 中から現れるエビのぷりぷりした歯応えや、マカロニの柔らかくも弾力を失わない食感が現れる。


 それから、加奈の恋の行方を思う。幸せな恋だといい。少なくとも、不幸でなければいい。加奈はいつまでも今日みたいに笑っていてほしかった。

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