合宿二日目と塩鮭定食

 和装倶楽部の夏合宿に来ています。と言っても学校の近くにホテルを取って二泊三日するだけですが。

 大学には宿泊設備がありません。それに一つしかない部室を男女交代で使うこともなくなるので、合理的とも言えます。安宿素泊まりとはいえ、部屋は清潔ですし結構快適です。


 同じ部屋になった森田先輩が着付けの手伝いをしてくれています。ご本人はといえば、五分くらいで帯までぴしっと完成していました。それは確かに見とれるほどの手際でしたが、


「思ったより難しくないんですね」


 そうです。着付けというと特殊スキルのような感じがしますが、実際やってみると手順はさして多くないのです。

 裾の方を合わせて腰紐で止める、襟を整えてまた紐で結ぶ。整えるために幅広の紐みたいな伊達締めという道具でしめて、帯は前でリボンの形にして後ろに回すだけ、とのことです。だいぶ慣れてきて、先輩はほとんど手を出しません。


「浴衣くらいなら何とかなってきた気がします。着崩れないかちょっと心配ですけど」

「浴衣が着られたら、ほかのもすぐに着られるようになるって。着崩れは、あなたが気づく前に私が直してあげるわ」


 さすが先輩、頼りになります。




 朝食は学校まで食べに行きます。いつも通りといいますか、プラタナス食堂です。和装倶楽部で何か食べに行くと、森田先輩の注文に全員が乗っかってしまいます。

 かくいう私も、先輩の注文は例外なく当たりなので降りる気はありません。そもそもプラタナス食堂に外れメニューが存在するかは疑問ですけれど。


 本日の注文は塩鮭定食です。朝食らしくて素晴らしいですね。


 合宿は真夏なので、倶楽部の面々は浴衣を着ます。森田先輩は白地に百合の花、昭島先輩は渋い鉄紺の無地、私はお母さんのお古の朝顔模様です。

 あとの三人のうち、大人しそうな男性が髑髏のポイント柄の浴衣で、正直びっくりしました。浴衣だと色んなデザインがあるのではっちゃけてしまったんでしょうか。などと勘繰ってはみますが、似合ってます。


 雑談をするうちに、定食のお盆が運ばれてきました。汁椀も塩鮭もお茶碗も、さかんに湯気を立てています。


 輝くばかりの白米に、まだ脂がふつふつと音を立てている塩鮭。お漬物は小さく千切ったキャベツに細切りの塩昆布を合わせた浅漬け。汁椀にはお豆腐とわかめのお味噌が入っています。


 森田先輩が手を合わせ、いただきますと声を上げました。私も部員の面々と共に復唱します。


「いただきます!」


 まずはお漬物をひとくち。ぽりぽりと奥歯で噛むと、キャベツの甘みと程よい塩気が心地よいく混ざり合います。塩昆布は旨みの元になるのと同時に、単調になりがちな浅漬けの食感のアクセントになっています。


 そしてご飯を少し。つやつやとして米粒のひとつひとつがはっきりと大きく見えます。食べると、見た目に違わぬ甘みが舌に伝わりました。


 いよいよ塩鮭にかかります。箸でほぐすと、ほろりと身がとれて新たな湯気が昇ります。口に含めば、塩気が脂分と一緒になって溶け出してきます。

 その味が口内から消えないうちに、ご飯で後を追いました。塩気と脂気とお米の甘みの相性が悪いわけがありません。


 舞い上がった心を落ち着けようと、お味噌汁を手に取りました。湯気の中にも味噌の芳醇な香りが感じられます。わかめは肉厚で、磯の匂いですら上品と言えました。

 豆腐は舌触りが絹のように滑らかで、歯に頼ることなく崩れていきます。舌の上に残るのは大豆の甘みだけです。


 鮭はどこまで食べ進めても違った美味しさがありました。血合いはとろりとして滋味あふれていたし、端の脂の乗ったところがご飯と渾然一体となった味など言うべくもありません。


 身を食べ終わって我に返ると、森田先輩が最後の仕上げと言わんばかりに鮭の皮を口に放り込みました。

 その様子が幸せそうなので、私もつられて箸を伸ばしました。普段は皮を食べない私にすら、それは魅力的に映ったのです。


 おせんべいのようにパリッと焼かれていて、箸で折るとパキリと音が鳴りました。歯ごたえは油で揚げたかのように軽やかで、皮特有の生臭さなどかけらも感じられませんでした。

 塩気と鮭の脂が焦げの生まれるぎりぎりのラインで食感を生んでいるのでしょう。


 最後にほうじ茶を飲んで、ようやく塩鮭の興奮が去りました。森田先輩は箸を揃えて箸置きに戻し、静かに手を合わせます。それにならう私たちも、少し神妙な気持ちで手を合わせました。


「ごちそうさまでした」


 こうして、私の初めての合宿二日目が始まったのです。

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