和服の先輩たちとホットドッグ

 五月も半ばのプラタナス食堂。私は「和装倶楽部」の先輩二人と三時に待ち合わせをしていました。

 一カ月ほど前に仮入部をしてから、時々こうしてお茶やお昼に誘っていただいています。そしてようやく、決意ができた今日この頃。


「正式に入部してくれるのね、うれしいわ」


 青楓模様の着物の先輩は叫ぶやいなや、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がりました。斜交いに座った私の手を両手で握って勢いよく降ります。


 まわりの人がびっくりしています。着物でよくそんな動きができますね。テーブルの上のお冷は動線から外されていて、袖が水没することはありませんでした。


 その隣にいる袴姿の先輩は慣れているのでしょう、彼女の前に腕を差し出して制するとすぐに話を始めました。


「入部届は必要ないけど、僕宛てにメールを下さい。名前と学年、電話番号、あと学籍番号を書いてくれれば済みます。これからよろしくお願いしますね」

「よろしくお願い致します。案外簡単なんですね、入部するのって」

「そうだね。こちらとしても名簿を毎年作らなきゃならないくらいですよ。入部に関する事務的なことはね」


 ちょうど注文を取りに来たので青楓の先輩、もとい森田先輩がメニューを広げます。


「濃いめのコーヒーを三つ。それとホットドッグを二つ、頂けますか?」


 ホットドッグを頼まなかったのは、昼を食べたばかりだというもう一人の先輩、昭島先輩です。濃いめのコーヒーは先輩方のお薦めなのだとか。

 そうそう、「濃いめの」というのはメニューに書かれているれっきとした商品名なのです。


「入学式の時に強引に誘っちゃったから、嫌われてたらどうしようって思ってたの。やっと肩の荷が下りた気分」

「嫌っている先輩にわざわざ会いに来る人はいないんだから、もっと早く荷を下ろしても良かったんじゃないか?」

「むう、それもそうね。私の悩みのうちの一カ月は無駄だったということかしら」


 森田先輩に新たな悩みが発生したところで、コーヒーがやってきました。白い陶製のコーヒーカップに黒々とした液体が揺れています。苦いような甘いような香りが湯気と共に流れてきました。


 昭島先輩はカップを手に取り、香りを楽しむように息を吸います。袖口から筋肉質な腕が覗いていて、なかなか絵になる光景です。森田先輩はまだコーヒーに手をつけません。猫舌なのでしょうか。


 ほどなくしてホットドッグが運ばれてきました。コーヒーカップとお揃いのような、真っ白でシンプルな楕円形のお皿に乗っています。


 こんがりと焼けたパンのうっとりするような表面も素晴らしいですが、特筆すべきはソーセージです。皮が弾けるほどに焼き上げられて、パリリと音を立てそうです。表面にこぼれた肉汁が光っています。下には刻んだピクルスがちらりと見えています。

 それから、絵の具のように鮮やかな、マスタードの黄色とケチャップの赤。無造作にかかっているように見えましたが、かじってみるとソーセージを殺さない絶妙な量なのです。

 ほの甘く、外はかりっと中はふんわりとしたパンの優しさと相まって口の中を幸福で満たしてくれます。


 森田先輩はいつの間にか手拭いを帯に差し込んで前掛けにしていました。それだと襟元は防御できなさそうなのですが。

 私の心配をよそに、先輩はホットドッグを頬張りました。透明な脂が一滴、お皿に落ちました。ほかは至って綺麗なものです。ケチャップが滑り落ちることも、ソーセージが飛び出ることもありません。

 私は何となく安心して続きに取り掛かりました。脂が熱で完全に溶けている間に食べなくては勿体無いですから。


 ソーセージを噛めば皮が強い弾力と共に破れて塩気と脂が口内を潤します。さくりとしたパンの表面の食感がそれに彩りを添えています。

 ホットドッグを構成するすべてが、味においても食感においても過不足なく感じられるのです。


 食べ終わったのはほぼ同時でした。森田先輩のお皿はほとんど綺麗なままで、私はマスタードのついた指を恥ずかしく思いました。でも、先輩の口元にはケチャップが付いています。どうも既視感がありますね。


 手指をおしぼりで拭っている森田先輩に、昭島先輩はペーパーナフキンを無言で手渡します。恒例化しているのでしょうか。


 昭島先輩はコーヒーを半分ほど飲み終わっているようです。優雅な仕草で愉しんでいる様子を見て、私もつられたようにカップを手に取ります。


 口をつけると、ちょうど飲みやすい温度になっています。コーヒーの触れたあたりから豊かな香りが立ちのぼりました。口当たりはあくまで優しく、えぐみを感じさせません。

 濃いめの、という謳い文句に違わぬ味わいの強さがそれを追ってきて、苦味と酸味、仄かな甘みが口に広がるのです。

 香りはやがて鼻に抜け、舌には一切の嫌味も残りません。先の一口の余韻につられて、またコーヒーカップを運んでしまいます。


「ね、美味しいでしょう?」


 大きくうなずくと、二人の先輩は満足そうに笑いました。それはそうと、気になることが一つ。


「着物でホットドッグって、不思議な感じがするんですけど。汚れたりしませんか?」

「これは普段着だから、私は気にしないかな。そろそろ洗おうと思ってたし」

「え、洗えるんですか?」

「ポリエステルなんだよ、この着物。ほかにも浴衣とか木綿は洗濯機で洗っちゃう。絹は危険だからうかつにやっちゃだめよ」

「ポリエステルって、化学繊維ですよね」

「そうそう。最近は結構多いよ。まあ質はピンキリだけどね」


 先輩の素材語りはしばらく止まりませんでした。ひょんなことから突っ込んだ新たな世界はまだまだ奥が深そうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る