灰色の機兵達
月下ゆずりは
第1話 強行偵察
樹脂製の蓋を開くと棒状鍵を奥まで差し込む。赤ランプ点灯。インジェクション位置方向、すなわち右に捻るとカチッと手ごたえ。緑ランプ点灯。蓋を閉じ、足と足の調度中間あたりにある電子画面を軽快になぞる。すると、鈍い音がして前方やや上にある無機質なカメラが焦点を調整、搭乗者の顔を撮影し始めた。
サブモニタに文字列が浮かぶ。
『Please stand by...』
電子演算装置が微かに唸りを上げて仕事を開始した。バッテリーから電力を貰い、プログラムに従い機体を起動させるのだ。電子機器特有のきな臭さで鼻がムズつく。
右、左、足元、そして後方の視界を補うモニタが起動した。
操縦者は主機能に依存しない照明装置の調整に入った。画面の光量、手元の光量、その他。完全密閉式のそれは外部からの光を取り込めないのだから、重要な事柄だった。座席の位置も今のうちに直す。車の運転とそう大差ない。
操縦者が黙々と己の仕事を消化する間にも、機械は休まず働く。
サブモニタの表示文が横に滑り、次の手順を事細かに示す。
GOS...OK
LOS...OK
PCS...OK
MCS...OK
FCS...OK
SCS...OK
メインモニタに機体構造を正面と横から示した緑の構造が出現し、確認作業の進行具合を赤い点滅で示していく。OK、と文字が浮かぶたびに準備の完了した項目が強調される。
ここまでは言わば睡眠から目覚めるための記憶のデフラグである。仕事をする為にシャワーを浴びて食事を取り身支度を整えただけに過ぎない。
搭乗者は地味な暗緑色のヘルメットを被るとバイザーを降ろし、壁に埋め込まれるようにしてある副動力レバーを引いた。サブリアクターに火が入る。機体の維持と補助に使われるそれを最初に起動しなくてはならないのだ。
次に主動力レバーを引く。
最後に予備動力レバーを引いた。
そして搭乗者から見て真っ直ぐ押したり引いたりする構造のレバーを握るとスイッチを押し込み、横に動かしてから手前に引っ張る。目一杯まで引きこむとサブモニタで『ロケットスラスタ起動中』との文字が浮かんだ。それを目視で確認後、レバーを最奥に押しやる。
サブモニタでちらつく文字が見えざる手で片付けられるや、照明が明滅、各種計器の針が振り切った後、零点に落ち、そして正しい数値を指し示した。
――――ウォォォォォォォォォォ……。
メインリアクターが安定運転に入った音、そして振動が心地よく感じられた。
操縦者は素早くサブモニターを操作して戦闘モードを選択した。他のモードが点滅の後に隅に寄り、戦闘モードが拡大、現在保有する武器が読み込まれ、FCSと接続、戦闘機動プログラムが立ち上がり、戦闘モードに移行した。
操縦者――男性は、眼球を右左上下と動かして計器類を睨んだ。関節の負荷を示す計器は念入りに。オールグリーン。
ヘルメット備え付けの咽頭マイクが動作しているのを確かめる意味も持たせ、無線を開く。
『発進準備完了した。いつでも行ける』
『発進を許可する』
『ヴィクター1、発進する』
男はそう言うなり右足でS/Dペダルを目一杯踏み込んだ。馬のようにしゃがみこんでいた機体が俄かに震え、アクチュエーターが電力を代償に巨体を立ち上がらせた。
メインモニタの中の映像が変化する。地べたにくっ付かんと言う低位置から、およそ15mという巨人の視線へと。高度計が数値を変えた。関節計の負荷表示が高に振れた。前方で鋼鉄製の門が開いていくのが映っている。
ロケットスラスタを使うまでも無い。PギアをNからアクセルギアに入れ、右足でアクセルペダルを踏み込めば、入力を機体側が自動で歩行に変換する。まず、一歩。二歩。蜘蛛がするように足を順序良く出していき、前進せん。
発進直後に敵襲に合う可能性は低いため、火器を担当する右操縦桿の力を抜き、反対に機体の進行を担う左操縦桿に意識を集中して、アクセルの踏み込みを強めていかん。
四本の蜘蛛足の上に砲台を接着したような不恰好が巨人が、あろうことか歩行で時速100kmという高速に迫る。
男は画面越しに空を見上げてみた。白一色。雲。だが、雲だけが空を制しているのではない。核戦争で舞い上がったエアロゾルが空に帳をかけているのだ。足元を映す画面に目をやっても瓦礫と枯れた植物と白い灰と雪しかない。
正面にビルの森が見えてきた。機械が自動で解析を開始した。ビルの全長や、崩壊の危険度判定結果が正面メインモニタの隅に緑の文字で表示された。
無事なビルは一つも無く、ほぼ確実にどこかしらを壊され、あるものは斜めになりて隣のビルに寄り掛かり、あるものは死人のように地面に倒れ込んでいた。男は思う、まるで墓標ではないか、と。
第三次世界大戦は終結した。
核戦争によるカタストロフィーが訪れ、世界は核の冬に沈んだ。
もはや人類は地球の支配者たる資格を喪失していた。かつての遺産にしがみ付き、核の灰と遺伝子の捩じれた凶暴な生命体に怯える日々を送ることとなったのだ。
皮肉な小説家は次のように語った。
――大規模な土木工事が行われた。隕石でも落ちたような湖が世界各地に掘られ、大気中にはかつての夢の未来物質がこれでもかと振り撒かれ、大地は処女雪のように美しき純白の灰で舗装された。
彼が駆る機体も例外なく人類の最盛期の代物である。
設計自体は核戦争前にあり、既に量産体制に入っていた。新時代の機動兵器たる威容を見せつけることなく泥沼の時代に突入してしまったので、なかば打ち捨てられる格好で工場に大量に放置されていたのを、彼らが接収したのだ。機体そのもの、すなわちフレームを製造する技術はあっても核たるリアクタを製造できないので、一機一機が貴重品である。
現在、彼の搭乗する機体はクラス750ビームランチャーしか装備していないが、本来ならばとある兵器を搭載することが前提だったらしい。いずれにせよ彼の任務は哨戒なので、そのビームランチャーで十分だった。
彼の拠点の周辺には核の灰で突然変異した化け物が徘徊しているだけではなく、武装集団や暴走したロボットが居るのであるが、大半は750クラスで蜂の巣にできるので恐れることは無い。
哨戒経路を示すデジタルビーコンを辿るべく、『倒す』以外にも『捻る』の動作を可能とする球体内蔵式操縦桿を操作。トリガー式旋回スイッチを緩く押し、操縦桿を僅かに倒す。機体が入力に反応し、左脚二本を傾けつつ、ふんわりと左に速度を殺すことなく舵を切った。
アクセルペダルを緩め、左操縦桿を水平に、旋回スイッチ入力を止める。
彼は予定通り、15mの巨人をかつての市街地の中へと進ませていった。
スイッチレバーをパチリと倒す。すると機体のセンサー類が集中した最上部でブレードアンテナが立ち上がった。
『こちらヴィクター1。聞こえるか? エリアV3の哨戒を開始する』
『了解した。注意しろ』
通信終了。ブレードアンテナ格納。
アクセルペダルの踏み込みを右足の親指で制御する気持ちで強め、市街地に足を踏み入れる。ビルの陰から狙撃されたり、真上から乗り移られては危険なため、市街地には入らず、周囲の道を歩く。長い間誰も整備もせず雨風に晒されて穴や罅だらけのコンクリート道路を金属製の足が踏みしめザリザリ耳障りな悲鳴が鳴る。
万が一を考え安全装置を解除。右操縦桿を左に倒し上半身を左に向け、親指のコントロールボールで照準を彷徨わせる。自動解析開始。サーマルモード切り替え。青と紫に視界が変貌した。
常に氷点下のところもあれば、木々が全て枯れ果ててまるで砂漠のようになってしまった『森林』もあるというのだから、地球の汚染度合いが分かるというものだ。
市街地は唐突に角度をつけて曲がっていた。まるで都市と言うケーキを包丁で真っ二つにしたように。
急旋回はせずにアクセルを緩めエンジンブレーキならぬ歩行ブレーキを用いて減速、左操縦桿の旋回スイッチを操作。機体は素晴らしい反応速度を見せ、搭乗者の入力に従い優雅に曲がった。鉄の足が地面をほじくり汚染された砂を舞い上げる。
――と、そこで彼は右操縦桿に意識を集中していた。
前方に大型の熱源を探知。サーマルビジョンに赤と白の物体が蠢いている。ブレードアンテナを起動。IFF識別するも味方にあらず。通信を試みるも応答なし。
「なら敵か」
味方でないなら、敵である。
放浪者や発掘者の乗り物だろうが知ったことではなかった。領域を侵してこそこそとしている奴は死ねばいい。外の世界でまともに出歩くのなら許可を取るなり目立つようにするなりすればいい。しない方が悪い。彼はそう考えると親指でエイミングボールを転がして照準で熱源を中央に捉えた。
サーマルビジョン切り替え通常光学ビジョンへ。
レーザー照射。敵位置及び距離測定完了。
くすんだ視界の先に、幾本もの何かが上下しているのを視認するや、躊躇の欠片も無く引き金に指を滑らせ、撃った。
機体上部の砲塔から深紅の線条が迸り、対象の中心を穿つ。パッと緑の液体が飛ぶ。ギチギチという不吉な絶叫を立てて、それが彼の機体に襲い掛かってきた。
「へぇ、相変わらず硬い」
それは彼の機体と同等の巨体を誇る装甲蟻だった。核生成物で見事に異常な進化を遂げた彼ら昆虫は人類に変わる地球の支配者たる勢力を誇っている。現在までに、蟻、蜘蛛、蜻蛉、蝶々などが確認されている。
ビームランチャーの一撃を受けて腹を吹き飛ばされてもなお吶喊してくる生命力には驚嘆を隠せない彼だが、射程と言うアドバンテージを覆すまでに至らないこともまた知っていたので引き金を再度絞ることで応じてやった。
砲が吠え、深紅の光線が蟻の咢を食い破った。頭を砕かれた蟻は、突進の速度そのままに地に這いつくばったかと思えば、肢体を痙攣させて緑の体液を垂れ流し、永遠に沈黙した。
彼はため息を吐くと蟻の仲間が寄ってくるのを待った。腹を壊すとフェロモンが出て、仲間が寄ってくることがあるからだ。
音響センサーに感アリ。
市街地の方から蟻固有の音が乱反射しているのを探知。
移動開始。右操縦桿を左に倒し(ドアノブを捻るようにして)機体上部を敵の方位に向けつつ、アクセルを踏み込んで前進せん。サーマルビジョンを通常ビジョンに同期。射撃用レーザー照射。微弱ながら反射を確認。ターゲットシーカーを表示。ロックオン。砲塔が敵を自動追尾。
牽制の一射。
引き金を絞った。深紅の光線が雪嵐の帳を穿ち空間を貫く。
が、熱源が消えた。コンピュータも判断に困ったのか『Lost』の文字をメインモニタに浮かべた。レーザー反射も確認できず。
「………」
敵の居たであろう市街地の方角に上部を向けたまま押し黙る。
アクセルから足を退け、左操縦桿の旋回スイッチを奥まで押し込む。四本脚がその場で足踏み。一回転。市街地の方に向いたのを合図に右操縦桿を手前にぐっと引けば、カチッと手ごたえがあった。上部が機体正面、すなわちニュートラルポジションに自動で戻った。
サーマルビジョンに切り替えても敵は見えず。
悪いことに雪嵐が激しさを増しておりホワイトアウト寸前。音響センサーも頼れない。
レーダー……論外である。市街地というビルやら瓦礫やらが散乱する地形でレーダーが使えるはずもない。
単独で突っ込んで食われては命を無駄にするようなものなので、通信を繋いだ。
手際よくギアをバックギアに入れ、アクセルを踏む。機体がゆっくりと後退し始めた。
『ヴィクター1、こちらヴィクター1。蟻と遭遇。一匹を撃破。他にアンノウンの反応を発見するも見失った。吹雪が酷くて追撃は困難だ』
『こちら本部。無理をするな。連中も吹雪の中でうろつきたくはないはずだ。貴重な機体を食われる前に帰投せよ』
『了解』
管制官の言葉は暗に機体の方が大事と言うものだが、彼は納得していた。それどころか多くにとっては納得のいくことであろう。
撤退許可が下りたとなれば無理に吹雪の中を歩くことは無い。
ギアをアクセルに入れて、ペダルを踏み込みつつ旋回スイッチと併用してスムースに一回転を果たす。ロケットスラスタを起動すればあっという間に帰投できるのだが、戦闘でも無いのに使うと給料から差し引かれてしまうのでやらない。
ヘルメットのバイザーを上げた彼は、味気無いことで有名な純水の詰まったパックの蓋を開けて中身をものの一口で飲み干す。喉の渇きが潤った。舌をぺろりと濡らせばパックを荷物入れに押し込む。
帰還するまでには暫くの時間がある。
後部カメラの映像に注意を配ることを忘れず、アクセルを踏む作業を続ける。
およそ一時間後、それが見えてきた。
「ただいまクソヤロウ」
大戦期の怪物と称された移動要塞。またの別称を陸上戦艦。15mの巨人がコロボックスに思える長大で巨大で壮大な鉄の工業製品が吹雪を物ともせず地にそそり立ち、彼の機体を収納するハッチを開けて待っていた。
灰色の機兵達 月下ゆずりは @haruto-k
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