帰路
co.2N
夢の話
「俺さぁ、将来女の子のブラジャーになりたいんだよね」
彼はそういうろくでもない夢を堂々と語る奴だった。高校三年と言えば、普通もう少し現実を見始める頃だというのに、なおも真剣にブラになりたいとのたまう。
「やっぱさあ。夢があるじゃん。女の子って。そういう女の子のおっぱい守りたいと思う訳よ」
「もうその話五十回は聞いたわ」
じゃあ自分はどうなのか、と聞かれると、全く冴えない高校三年生だった。高三の秋にもなって模試では並以下の大学にもD判定の一つもつかない、絶望的貧弱脳味噌だった。対して彼は頭は良くて、変態をどうにかすればブラジャーにはなれずとも良い大学に行って女の子はべらせるくらい難なく出来る様な男である。
自分が何故彼と交友があるのかはよく分からなくて、確か高校入学当初の席替えで席が隣だった、というだけでここまで続く友人関係になってしまった。
「おい、アイス溶けるぞ」
「ええ? ……あっ本当だ、ヤベエ」
秋だというのに夏がまだ続いている様なむしむしした暑い昼間、彼と一緒にコンビニに寄ってアイスを食べる。自分はよくちんたらしている間にだらしなくアイスを溶かして、コンクリートを歩く蟻の昼食を供給してしまう事がざらだ。彼はフードファイター顔負けの速度で鮮やかに腹中にアイスを詰め込んでしまうから、あきらかに生まれが違うのだと思う。
「でさあ、お前の夢はなんだよ。そろそろ考えただろ」
「だから言ってるだろ、夢とかあるかよ。せいぜい将来川の土手でのたれ死なない程度の人生にしたい」
「それ夢じゃなくて目標じゃねえかよ」
「そうか?」
青いアイスキャンデーはもう概ね溶けだして、食べられる所はもう残っていない様に思われた。だがそれでも木の棒をしゃぶり、あたりの刻印が無いことを舌先で残念がりながら棒に残留したソーダを舐め尽くそうとする。その間彼は暇そうに空を見て、単語帳ではなく漫画を取り出して読み始める。当分この時間は続き、その間にもコンビニの自動ドアは時々開いたり閉じたりしていた。
「じゃあさ、お前ブラジャーになりたいって具体的にどうやってなるんだよ」
漫画を読んでいた彼は急な自分の質問に対して、漫画の裏から細い目を自分に向ける。それから目を空にやって、改めて視線を戻して、ようやく彼は答える。
「まず、体験で良いなら今流行のヴァーチャルリアリティで再現出来るだろ。あるいはもうちょい時代が進めば生体ブラジャーとか、そういう生きたブラジャーを作れる様になると思うんだ」
「生きたブラジャー?」
「生きたブラジャー。思考してその時その時に最適な答えを出してくれる。キタローでいう目玉の親父、あるいはど根性ブラ。これは流行るぞぉ」
「お前が流行らせたいだけだろ……」
自分はいい加減に舐め回すのを止め、ゴミ箱に木の棒を放り込んだ。なおも彼は興奮して、自分に顔を近づける。
「そりゃあ下心満点下乳最高、したい事を考えたらこれをベストアンサーにしたい感じだぞ」
「下世話なんだよ、発想が。じゃあさ、実際それ女がつけると思うか? 生きてるって事は呼吸もするし食事もするし睡眠も取るんだろう。そんなん面倒でならんだろ」
彼は思考した。上空にはトンボがふらふらきびきび飛んでいる。自分はワイシャツの襟をばたつかせて服の中に溜まった熱気を外に排出する。だが車が発車する時の排気で結局身体を温められ、溜め息をつく。
「あのなあ、女の子は可愛いペットが大好きだぜ? フリル付き生体ブラでこの秋はキマリだろ」
「フリルつきかよ。ていうかさ、生体って事はブラが脈打ち、呼吸をすれば息がかかりって事か? それに生体って事は肌色だろ、肌色のブラ型生物ってエイリアンだわ」
「エイリアンブラVSシャークパンツ! これで映画にでもしようか」
「そんなん好き好んで見てる奴と仲良く出来る自信無いわ」
自分と彼はしばらく空を見つめた後、示しを合わせた様にコンビニに入店する。入り口からすぐに右に曲がって、雑誌コーナーに足を運ぶ。少し前はコンビニに置かれている名作漫画の再収録版を立ち読みしていたが、最近ビニール性の留め具がされたせいで易々読めなくなってしまった。しょうがないから二人は週刊少年誌を読む。彼も自分も読む漫画は違えど、毎週チェックしている漫画は同じく三つくらいだ。それから、表紙にでかでか載っている新連載は一応チェックする。それらをほぼ流すように確認すると、また二人して外に出る。余計な買い物はしない。
二人がコンビニを出た途端、彼は妙に真剣な表情でおもむろに話し始める。
「今回の新連載、中々面白くないか」
「嘘つけ、あれ絵がちょっと上手い中学生レベルじゃねえか」
「いや、アレはネタ的にも戦闘描写も勢いがあって好きだぜ」
「にしても絵が売り物ってレベルじゃねえだろ。設定も現代で魔法で全てを決する時代ってありきたりだ」
「俺はちょっと期待したいねえ」
そう話しながら二人は停めておいた自転車に向かい、鍵を解錠する。自分はポケットの中に入れておいたはずの自転車の鍵を見つけられず少々焦ったが、鮪の寿司のキーホルダーが手に当たり、安心しながらも慌ててポケットから取り出す。鍵穴に鍵を入れ、右に回すと金属の留め具が外れ、金属とプラスチックの高速で衝突する音が響く。彼はそもそも自転車に鍵をかけていないからそんな音は響きようがないし、彼の鍵はあまり動かしていないから少し動かすのも難儀する程軋む代物だった。
彼が先導し、自分が後ろを走る。ここは車通りが激しい割に歩道が無い。怖い道を一列に走らざるを得ない、自分にとってはイヤな場所だった。少しだけ避けてくれてはいるとはいえ、速度を飛ばした黒か白の車が前から延々走ってくる。右側には営業しているのかも分からない有限会社の看板、その隣の空き地、空き地の茂みの中には犬の糞。自分は嫌な予感がしてそれに気がつかないふりをした。が、
「おっ、犬の糞じゃん」
ウンコに喜ぶ友人と、辟易気味に手を目にやる自分は通りすがりの人間からしたらどう映るのだろうか。自転車飛び降り茂みに駆け寄る友人、友人の自転車にも鍵をかけてからのたのた接近する自分。
「見ろよこれ! まだ新しいウンコだぜ! おーくっせえ! マジくせえ!」
濃い茶色の太く長い排泄物はささくれた木の棒でつつかれると柔らかく先端を飲み込む。緑色の銀紙でコーティングされたような胴体を持つ蝿共は一瞬飛び立つが、その後一匹はまた何事も無かったかの様に元の位置に着地し、三匹ほどの蝿は諦めきれないようにふらふら周囲を飛んでいる。彼は蝿を粘つく茶色の付着した木の棒で払い、先ほどまでアイスの入っていたビニール袋に右手を入れ、ビニール袋越しにそれを掴む。まだ柔らかく、彼が思い切り握れば犬の老廃物が周囲に弾け飛ぶだろう。無論そんな事にはならず、袋越しに掴んだまま袋を引くように裏返し、無事フンを袋に詰めた。
「しかし犬を飼ってる人間のマナーもなってねえよな。ウンコの処理は飼い主がするってのは最低限のマナーだろう」
「で、お前はそれを持ち帰ってどうするん?」
「食べる」
「だろうと思ったよ」
「ジョークに決まってんだろう」
「だろうと思ったよ」
「お前面倒になってきてんだろう」
「うん」
「だろうと思ったよ」
「だろうと思ったか」
彼は改めて自転車に跨る。自分は彼の自転車の鍵を渡してやると、彼は笑顔で自分に礼を言う。鍵を開錠して、また二人は自転車を漕ぎ始める。今度は自分が先頭だった。
少しばかり漕ぐと、登り坂が現れる。両脇には住宅街、家の影から急に現れる自動車には決まって月に一回はぶつかりかける、ぶつかる自転車乗りがいる危険地帯だ。一応黄色い地の上に赤字で「気をつけて 飛び出す車の 見えぬ場所 雨見原小学校5年 神谷美空」と書かれた看板が上り坂の入り口に置かれているが、その効果は疑わしい。
坂の上には立ち上る入道雲と飛行機雲、背後からは彼と太陽が迫ってきている事が耳と熱気から伝わってくる。カーキ色の住宅からは昼下がりのバラエティ番組特有の笑い声がかすかに聞こえてきた。
しばらく坂を上ると、尾根をたどっていると思われる蛇行した道が現れる。彼はここで左に曲がるが、自分は右に曲がる必要があるからここで別れる事になる。彼はじゃあな、と大声で叫んでくるから自分も後ろを向き、大きく手を振り返してやる。片手で運転している物だから、タイヤが逸れて危うく転びそうになる。
一人下り坂を走る。風はぬるく、太陽は何の容赦も無く全身に汗をかかせる。遠方にはビルがぼんやりと存在していたから、それに向けて唾を吐いた。唾は車道に落ち、地面に滑った湿りを与えた。
帰路 co.2N @abyrhydos
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。帰路の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます