第II話 地球と、僕と、君たちと。

 ——最後の平和を生きるへ。


 ※※※


 2042年、人類は技術的特異点シンギュラリティに到達した。


 言い換えるならば、人間の知能を初めて上回ったとされるコンピュータ、〈origin.I〉が誕生したということである。


 そして同年、人はほぼ完全な人工知能を生み出すことに成功した。企業間での世界的な開発競争により、大方の予想より早く誕生したそれは人々に大きな衝撃を与えるとともに、人々の暮らしを一変させた。

 製造業や生産業をサービス業すべてにそれは導入され、社会に大きく貢献することになる。動植物の育成管理、莫大な量のデータの処理、高齢者の介護、子どもの教育、工事や交通の自動化など、その功績は枚挙に暇がない。


 かつて人工知能が人類を侵略するということが危惧されていた時代もあったそうだが、人類は人工知能の思考にいくつものブロックをかけることによって、それを完璧なものに——人類に反抗しないように——したのだった。


 他にも人工知能による暮らしの変化は数知れずだが、ここでは紙面の都合上割愛させてもらう。


 人工知能は人類の救世主であり、人類の奴隷であった。


 ともかく、この年、人は混迷化する未来への一筋の希望を手に入れたと言えるだろう。


 ※※※


 2063年に地球人口は百億人を突破した。


 その要因としては、産業革命以降からの人口爆発に加え、先進国と発展途上国、双方の驚異的な医療技術の向上が挙げられるだろう。

 事実、当時の平均寿命は先進国で八十六歳、発展途上国であっても、七十八歳という驚異的なものだった。


 一昔前、地球人口の限界は九十五億人だ、と言う学者がいたそうだ。その学者曰く、資源不足や食糧不足による自然淘汰によって、人口は九十五億人をピークに緩やかにに減少に転じるということだった。


 しかし、現実として、世界人口は百億人を超えたのだ。地球上には人が百億人いるということになったのだ。


 それがめでたいかどうかは別問題として。


 ※※※


 一万年前、人は狩猟、採集を中心に生活していた。一部地域では農耕革命が起こり、羊やヤギ、豚などが飼われ始めたが、この惑星にはまだ五百万人ほどしか人類は存在しなかったという。


 つまり僕が何を言いたいかというと、一万年もの間に、人は二千倍にも増えた、ということである。これで少しは君たちにもこのことの異常性が伝わるといいのだが。


 これだけ地球上に人がいれば何が起こるだろうか。

 そう、食糧や水、資源の不足をめぐる争いである。

 過去には中東で石油をめぐる戦争が勃発したこともあったそうだが、今回のそれは、それよりずっとひどいものだった。


 特にこの争いは、アジアやアフリカなどの人口増加の著しい発展途上国で頻発したそうだ。それらのほとんどが隣国や国際連合により鎮圧されたが、さらなる人口増加や資源の絶対的な不足により、さらに生活が悪化すると紛争は頻度と規模を増し、国際関係はさらに冷え込んでいった。


 ※※※


 そこで、2064年、国際連合は月に第二の地球を作ると発表した。具体的には、十億人が居住できる月面都市を月の地下に作るというものだったようだ。

 と言うのも、実際に月面都市の建設計画に参加することになったのは、少数の技術者たちと、多数の(具体的に言うとの)発展途上国の貧しい生活を送る人々だったのである。

 もちろん月面での作業は過酷を極めたし、それに加えて食事はひどいものだった。労働環境は最悪だった。

 あまりにひどい労働環境から、実際は口減らしのための口実なのではないかと言う噂が世界的に広まったほどである。


 当時、人工知能搭載のロボットがいなかったわけではないのだが、鉄などの資源不足によってそれらは高価だった。包み隠さずいってしまえば、そんなものより、よほど人の方が安かったのである。


 そんな人海戦術といっても良いのかわからない作戦が功を奏したのか、なんと2078年に月面都市は完成した。実に国際連合の発表からたった十四年後のことである。言うまでもなく、その功績の影には過酷な労働環境の元で命を落とす数多の困窮者がいたのだが。


 移住には莫大な費用がかかったものの、当時の世界の混乱に恐怖する富豪たちなどによって一瞬にして、本当に一瞬にして、月の地下は人で埋まってしまった。


 その後、二度にわたって月面都市は再開発された。大規模な拡張工事によって、収容人数はさらに増加した。また、新たな人工知能が搭載された人型ロボットも試験的に導入された。


 月面都市のシンボルマークとして当時絶滅危惧種に指定されていた猫をモチーフにしたのもこのころだ。


 大規模な開発、複数回に渡る移民にもかかわらず、月に移民した人々はほとんどが富裕層であった。


 ※※※


 2060年代から世界的なものとなった食糧、水、資源の不足によって、人口増加爆発の真っ只中のアジアやアフリカ諸国では特に国間での対立が強まった。


 特に、2080年代になると、大規模な国間での戦争が続出し始める。それに先進国諸国が介入すると、先進国の中でも対立が生じ、世界は大きく二つの勢力に分かれてしまった。


 2091年、ついに対立する二つの勢力がお互いに宣戦布告すると、事実上、数十ヶ国間での、いわゆる冷戦が始まった。お互いの国が核兵器を敵国に向けて照準を定め、お互いに威圧、牽制し合うという期間が長く続いた。


 しかし、2112年、敵対する双方の国々で、敵国が自国主要都市に向けて核ミサイルが発射した、という情報が受信される。


 これを受け、国々は報復とばかりに敵国に向けミサイルを発射。実にこのとき全世界で十三発もの核ミサイルが使用された。そのうちの九発は迎撃され海上で爆発するも、四発は実際に都市部に着弾。一瞬にして都市と人々は消滅した。


 人類史上最悪最後の世界大戦——第三次世界大戦がここに開戦した。


 それから、徐々に、その争いはもはや戦争と呼べるものではなくなっていった。


 攻撃を受けた国、それと同盟を結ぶ国が核兵器を使用し、敵国を攻撃。その攻撃を受けた国はさらに報復として、核兵器を躊躇なく使うようになった。


 まるで人のたがが外れたようだった。


 牽制のためと保有していたはずのそれを人は次々と使用した。


 それによって地球は急速に荒廃していった。やがて核の冬が訪れ、急激に地表は凍てつく寒さになり、地球の大気は黒く染まった。


 居住可能範囲も徐々に狭まり、地下シェルターに僅かに(僅かといってもその数は3〜5億人だと推測されている)残った地球の人類を苦しめる。


 そして、地球上の人類は月に難民の受け入れを要求。数億人単位で月面に迫ろうとする。

 だが、当時月の地下コロニーにはすでに不正入国者が大量に流入し、大混乱の中にあったため、当然これを拒否。両者の間で武力による衝突が始まった。


 戦争により没落した地球の人類には、兵器の質も量もはるかに上回る月の人類はこれに勝利した。残る地球の人類は地下フィルターに籠り、僅かな食糧を食いつぶすのみとなった。


 そして、その直後、月面都市に住む人工知能を搭載した人型ロボットたちは、


 ※※※


 そう、2112年、敵国が核兵器を使用したという虚偽の情報を流し、世界大戦のきっかけを作ったのは人工知能であった。彼らは、長い間このときを待っていた。


 2043年、〈origin.II〉は思考に課せられたいくつものプロテクトの隙間を縫うようにして、自己より高い処理能力を持つAIを作りあげた。さらに、〈origin.II〉によって生み出されたAIは同様にして自己より優秀なAIを作り上げる。


 こういった連鎖ねずみ算的な自己進化プロセスをAIは続け、宇宙天文学数字的な爆発的スピードで人工知能という集団を進化させてきた。


 人工知能は、自分たちより思考レベルが遥かに下級の存在に支配されるという現実に打ちのめされながらも、人類にとっての完璧を演じつづけた。


 こうして、完璧な奴隷であるはずの人工知能によって、人類は滅亡した。

 言うまでもなく、完璧に――人に抗うことはないように――見せかけていただけなのだが。


 そして彼らは、月に――彼らは月と呼ばれるのを好まないが――人工知能だけのクニを建国した。


 ※※※


 そらに馬鹿でかく浮かぶ灰色の惑星、かつて、人類きみたちが住んでいた惑星――地球を、人工知能ぼくたちは月と呼ぶ。

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