冬風の追憶~お題「冬のバス停」~

 この街では、冬になると強い風が吹く。情けないことに僕は、駅舎の外で遭遇するまで忘れていた。

「二年ぶりだからな、仕方がないさ……」

 マスクの下でひとりごち、真正面から吹く風に身をすくめる。厚着を買って来なかった自分に腹を立てながら、バス停へと歩みを進めた。太陽の光は暖かいのに、風のせいで台無しだった。

「ちくしょう、こんなに寒かったか?」

 愚痴を吐きながら足取りを進め、ゆっくりと僕はバス停にたどり着いた。ここから二十分ほど揺られると、初めての帰省は無事に終わる。そういう手はずだった。

「まさかね。進学直後にああなるなんて」

 ここ一年を振り返る。正直なところを言うと、僕はなにもかもが遅かった。地元を離れたい一心で色々と決めてしまっていたので、今更やめる訳にもいかなかったのだ。

「それでも戻ってきちゃう辺りが、どうにもだけど」

 親がうるさかったから、仕方がない。もう一度独り言を吐くと、僕はバス停のベンチに腰掛けた。時刻表に視線を向けると、今しばらくの猶予があった。一駅ぐらい歩こうか。いや、寒すぎる。やめておこう。

「……変わらないな」

 行き交う車越しに、街の風景を見る。ちょっと寂れた建物の列。やたらと多い車。人が群がっているのはコンビニとファストフード。都会に見慣れた僕の目には、それは衰退のように見えた。

「変わらないよな」

 もう一度つぶやく。そう、変わらない。変わったのは――

「僕か」

 髪を撫ぜる。高校時代と比べてかなり伸びたそれは、少し明るい色合いに染まっていた。向こうに行って落ち着いて、最初にやったのがこれイメチェンだった。拭いたい記憶に、まみれていたから。

「ああ……」

 やっぱり歩けばよかったか。僕の中に、後悔が芽生える。記憶の海の中から、思い出したくもない追憶が首をもたげたのだ。もう止まらない。僕の意識は、二年前の冬へと飛んだ。



「別れましょう」

 平坦に繰り出された、たった一言。だけど重みは知っている。だって今でも、胸の奥にずしりと残っている。思い出したくもない言葉だった。今日と同じバス停で、今思えば見すぼらしい姿の僕が、小さくうつむいていた。

 彼女は、幼馴染だった。ずっと一緒だった、というのは自惚れだが、そんじょそこらの男どもよりは彼女を知っている自信があった。でも、それでも。年を経るごとに離れていく気がしていた。僕の知らない友人。僕には絶対に見せない顔。彼女は、僕とは比べ物にならないくらいの美人だった。繋ぎ止めたかった。今なら間違っていたことも、勘違いしていたこともわかる。だけど当時は、それを恋心だと思っていた。ただの焦りと、嫉妬心。


「好きです」

 別れた場所と同じ場所。一月前に繰り出した言葉は、僕にとって最後の手段だった。そうでもして繋ぎ止めないと、僕はバラバラに砕け散ってしまいそうだった。本当に好きかどうか。関係なかった。

「そう。じゃ、付き合いましょうか」

 幼馴染の口調は、平坦だった。今思えば、彼女はわかっていたのだろう。じゃあ、なぜ。なぜ彼女は、僕なんかに期待を持たせたのだ。

「ずっと一緒だったから、それでもいいと思った。別に嫌いじゃなかったし。付き合ったら、なにかが変わるかもと思ってた。だけどやっぱりだめだった。期末の成績、落ちたでしょ」

「っ」

 僕は言葉に詰まった。先刻返された期末テストの総合成績は、中間のそれよりひどく落ちていた。志望校の見直しさえも、視野に入ってしまう惨状だった。夜中までメッセージを送ってたり、繋ぎ止める方にばかり、必死すぎた。

「目新しいこともなかった。一緒に帰ったり、メッセージのやり取りをするぐらいだった。知ってるかしら」

 平坦な口調のままに、彼女は言う。ふわりと舞った髪からは、僕の知らない香りがした。

「女の子はね、日々成長するの。私はもう、とっくに貴方の知らない私なの」

「っ……」

「じゃあね」

 ほど近い距離から放たれた言葉は、僕の身をすくめるには十分だった。一歩も動けないまま、僕は彼女を見送った。その後――



「……っ!?」

 意識がすっ飛んでいたことに気づいた僕は、泡を食って顔を上げ、周囲を見た。誰もいない。いつも通りに車列があり、いつも通りに殺風景な町並みがあった。頬に冷たい感触を得て、僕は指先でそっと拭った。

「……」

 スマホを取り上げ、メッセージアプリをのぞく。当然といえば当然だったが、僕は彼女からブロックされたままになっていた。

「変わったようで、変わってないのか」

 僕はひとりごちた。必死に勉強して、地元から逃げ出しても。自分を変えたくて、髪色を変えても。結局なにひとつ変わっていない。あの日の記憶に、縛られている。同じ場所で、打ちひしがれていた。

「……悪あがきでも、いいんだよな」

 もう一度、毛先に触れる。動かなかったわけではないと、思い直した。無理矢理だなと、自分でも思う。だけど、一生潰されるよりはマシだった。僕は顔を上げ、刻表を見直した。心あらずの間に、バスは行ってしまったようだった。そうと分かれば。

「よし!」

 僕は立ち上がる。まずすべきことは、この場所から離れることだ。そう定めて、僕は一歩を踏み出した。


 さらば、追憶。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る