金髪令嬢が黒髪の女に唇を奪われる話

「オーッホッホッホ!」


 女学院の一年を支配する女は、高らかに笑った。

 女は財閥の令嬢である。

 美しい金色の髪を縦に巻き、胸には支配の証である紅リボンを備えていた。


「あ~の小生意気な転校生がどれだけ悲惨な目に遭うかと思うと! 心が高ぶってたまりませんわ!」


 彼女は学院の一角、自身のサロンで高らかに笑った。


 高級椅子に腰掛け、取り巻きを侍らせる。

 アロマとリラクゼーション音楽で心身を癒す。

 膝にはペットを命じた女生徒がいる。うなじを撫でると、小さくあえいだ。


「まったく。あの転校生もこのペットのように素直であれば良かったものを」


 取り巻きの一人が言うと、令嬢は大きくうなずいた。

 彼女は半日前、恐るべき不敬行為にさらされた。

 転校生は登校中の彼女に対し、礼をするどころか睨みつけて行ったのである。


 彼女は支配者である。

 支配者が道を行くならば、民は道を開けて礼をするのが道理である。

 この女学院は、そういうふうにできていたはずだった。


「まったくですわ。礼儀のなっていない無知な転校生には、たっぷりとわからせる必要があります。そう。この先の半年をかけてでも」


 屈辱を晴らす。高ぶった思いは、令嬢の爪に出た。

 ペットがうなじを引っかかれ、いじらしく震える。

 令嬢はサド心を刺激され、もう一度爪を立てた。


「あの転入生を徹底的な嫌がらせに晒し、痛め付け、私の前に土下座させなさい。成功した者にはご褒美をあげましょう」


 既に彼女は指示を下していた。

 一年各クラスの委員をサロンへ呼びつけ、一方的に言い放った。

 委員達の顔は喜びに満ち、令嬢は支配の快感を改めて確認した。


「あの転入生、何日で『堕ちる』のでしょうかね。皆様、賭けてみませんか?」


 取り巻きの一人が、少々無粋な提案をした。しかし令嬢はスルーした。

 ギャンブルもたしなみの一つである。度量は大きくあらねばならない。

 ベッドの声が響く場で、彼女はペットの頭をなでていた。


 しかし空気は破られる。


「んあぁ!」

「ひぃ!」

「許して!」


 悲鳴とともに、女生徒が数人サロンに逃げ込んできた。

 あまりにも突然のことだった。

 女生徒たちの髪はほつれ、服は少し汚れていた。


「何事!」


 取り巻きが吠えると、応じてやや低めの声。


「取り巻き引っさげての大名行列にケチつけただけで、手下使って痛めつけようだなんて。性根っから腐ってるねえ、アンタ達」


 声の主はドアを開けると、かもいをくぐって姿を見せた。

 乙女の園とはあまりにも対照的で、サロンの誰にとっても印象深い姿だった。


 くるぶしまで隠れた、あまりにも長いスカート。

 手首まで覆われた、黒のセーラー服。

 意志のこもった切れ長の瞳に、令嬢に勝るとも劣らない美貌。

 腰まで伸びる黒髪は絹といえ、メリハリのとれた身体は美術品を思わせた。

 

「転校生……!」

「腹が立ってしょうがないから、直接顔を出しに来たよ」

「で、出て行けっ!」


 令嬢がペットを跳ね除け、ヒステリックに叫んだ。

 しかし腰は引けていた。あからさまにうろたえている。


 本能が、格の差を悟っているのだ。

 それは部屋の誰もが同じだった。誰が足をすくませていた。

 さながら肉食獣に睨まれた鼠の如し!


「おや。朝は『高貴でござい』と傲慢ちきでいらしたのに、殴り込んでみればこの体たらく」


 黒髪の女が、無人の野を突き進む。

 女は令嬢と視線を交え、即座にそらした。

 目を合わせる価値もないという、強烈な意思表示だ!


「頬の一つでも叩けるかと思ったが、草食の獣には用はないね」


 美しいくちびるから漏れた罵倒に、令嬢は怒りの視線を向けた。

 その視線を絡め取った後、転校生はかすかに口の端を上げた。


「なるほど。まだ志は残ってるようだな」


 ククッ。

 小さく響いた笑いを、聞き留めた者はいるのだろうか?


 ともあれ転校生は動いた。

 令嬢の顎を持ち上げ、腕で背中を引き寄せる。


「はな……!」


 令嬢は腰を引いて抵抗の姿勢を取る。

 しかし転校生は意に介さなかった。

 自らも顔を落として、宣言する。


「ならば、闘魂をくれてやろう」


 一言の後、あまりにもあっさりと唇は重なった。


「っ……!」


 取り巻きの一人が、吐息を漏らし、ペンを落とした。

 その強引さにも関わらず、接吻そのものは艶かしく、丁寧であった!


 縦ロールの後ろ髪と、ほっそりとした腰を引き寄せ。

 黒髪の女は令嬢に闘魂を送り続ける!

 令嬢は身をよじらせるが、かえって身体が絡み合ってしまう!

 女生徒たちは二人から発散されるエロスに圧倒され、へたり込んだ!


 それでも令嬢は抵抗した。

 何度も何度も、転校生の背中を殴りつけた。

 転校生から送り込まれた闘魂が、彼女の意志に火をつけたようであった。


 しかしその火も、やがては消える。

 数十秒の攻防の果てに、令嬢の両手がだらりと下がり。

 ためらいの果てに、転校生の腰へと手が回った。


 女生徒たちは目を覆った。

 美と美が睦み合う光景に、本能が危険を訴えたのだ!


 二人にとっては歓喜と言え、場の者にとっては地獄と言える。

 そんなキスは数十秒にわたって続いた。

 しかし始まったものは終わるのが定めである。


 どちらからともなく唇が離れ、唾液が糸を引く。

 酸素を求めて、吐息が漏れる。

 うっかり手の隙間から直視した一人が、劣情を催して顔を伏せた。


「ぁ……!」


 身体が離れると、令嬢が膝から崩れ落ちていく。


「おっと、戦利品をもらっていかねば」


 転校生のの手が伸び、令嬢の胸からリボンを奪った。

 支配の象徴であった、紅のリボンだ。


「筆頭の証、頂いたよ」


 リボンが解けて一枚の布に変わると、転校生はそれを肩に引っ掛けた。

 崩れ落ちた令嬢は、一人の女子に支えられた。

 それは先程跳ね除けたはずの、ペットの女生徒だった。


「あなたを許さない」


 女生徒は膝に令嬢の頭を乗せ、怒れる瞳で転校生を見た。

 転校生はまたしても口角を上げ、一言だけ返した。


「かかって来なよ。いつでも受けて立つからさ」


 直後。転校生は全員を見回した。

 未だほとんどの生徒が、動けずにいた。

 強烈なキスの波動を受けたのだ。当然と言えよう。


「アンタたちも同じだ。私はいつでも受けて立つ。ただし」


 一拍おいて、転校生は紅リボンをスカーフ状に巻いた。

 誰一人としてとがめなかった。

 彼女から溢れる気風が、それを許さなかった。


「身一つだ。その身体一つでかかって来い。それさえ守りゃ、ケンカでも習い事でも、なんならセックスでも受けて立つよ。アンタらも女なら――」


 転校生の目が、全員を見渡した。

 足を肩幅に広げ、仁王立ち。

 そして、吼えた。


「身体一つで、勝負してみなってんだ!」


 声は女達を撃ち抜いた。

 転校生は三度皆を見回すと、そのままサロンを立ち去った。


 少しして、女生徒たちはようやく我に返った。

 いくつかの反応が生まれ、静かに終わった。


「……あの女は?」

「行きました」


 すべてが終わり、取り巻きとペットだけが残ったのを確認してから。

 ようやく令嬢は口を開いた。

 膝から起きて胸元を確認すると、ペットの白いリボンに目を向けた。

 彼女がリボンを差し出すと、唇ごと引ったくった。


「んぐ!?」

「な!?」


 取り巻きが騒然とする。主人の意図が読めないのだ。

 しばらく口付けを続け、やがて離す。

 ペットの顔は上気し、後に倒れ込んだ。


「口直しよ」


 令嬢は短く言い、腕で乱暴に口を拭った。

 その瞳に覇気を見出し、取り巻きは黙りこくった。

 白のリボンを巻き直した令嬢は、更に命じる。


「止めなさい」


 取り巻きがばたつきながら、リラクゼーション音楽とアロマを止める。

 それを見送った後、令嬢は全員を引き寄せ。

 その唇を奪った。


「な、なにを……」


 一人がうめくと、令嬢は言葉を吐いた。


「紅リボンは取り返す。汚された唇も奪い返す。あの女を屈辱に沈め、身の程を思い知らせる。でもそのためには力が足りない」

「そ、それは我々が」


 なおも抗議する取り巻きを、令嬢は軽くにらみつける。

 それだけで取り巻きは黙り込んだ。

 令嬢の目が帯びた肉食獣の眼光に、恐れをなしたのだ。


「この程度でへたれる者に用はない。あの女は身一つで来いと言った。その言い分に応じて勝ってこそ。復讐は成立する。故に、従え直す。全員ねじ伏せる」


 令嬢は全員を見回した。

 皆が目を伏せる中、ペットの少女だけが気丈にも目を光らせていた。


「あなた、付いてきなさい。あなたには、私の覇道を拝む義務がある」

「はい」


 少女は立ち上がり、令嬢の三歩後ろについた。

 令嬢の、新たなる覇道が始まろうとしていた。






 金の令嬢と黒の転校生は互いに覇道を歩み、この後幾度も戦うことになる。

 しかし二人が並び立った学院は新たなる時代を迎え、二人はその象徴となった。


 だが新たなる時代は、まだ始まったばかりである。

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