ウィザード・ディポーター(前編)
明かりが並ぶ広い通路で、一人の
冒険者ギルドからの依頼を請け、仲間と踏み込んだはずの【帰らずの館】。しかし気づかぬ内に仲間とははぐれ、延々と歩き続けてもなお、出口も、目指すべき場所も見つからなかった。
「クソッ!」
斥候は毒づいた。敵地に一人だけの上、現在地は不明。そもそも、外から見た時には、ここまでの広さはなかったはずだ。
「幻惑……あるいは空間歪曲……」
斥候はいくつかの推論を浮かべては消す。そんな芸当ができる存在には、思い当たるフシがある。だが、パーティーの誰もが打ち消した。自分でもありえないと信じていた。
「どうしてこうなった」
斥候は小さく息を吐く。呼吸が荒い。汗が噴き出している。身軽さを重視した、斥候の装束なのにだ。一度立ち止まり、振り返る。やはり、出口は見えない。ならばと前を見る。こちらもやはり、先行きは不明だ。
「
ともにこの館へ乗り込んだはずの仲間を思う。彼らもまた、分断されているのだろうか。行く道に罠や敵があれば、斥候の能力で気づけるはずだった。しかし気づけなかった。なにもなかった。そのはずだった。
「『そう思うようにされていた』、か?」
一つの答えが、脳裏に浮かんだ。【帰らずの館】は、連続行方不明事件の核心だ。近隣の村人を何人も飲み込み、ギルドから派遣された冒険者パーティーも二組が消えた。そのくらいの仕掛けは、あってもなにもおかしくはない。
事実、戦士からは警告された。生きて帰れる保証はないと言われた。全員が個別に決断を許され、時間いっぱいまで彼は悩んだ。想い人――聖職者が背中を押してくれて、ようやく決断した。
『ここであの人を見捨てて二人で生きても、きっと私は、一生後悔する。だから、行きます』
斥候は泣き崩れた。自分を恥じた。愛しい人は、自身よりも遥かに、意志に率直だった。還俗と婚姻の手続きが始まろうとしているのに、なお仲間たちを重んじた。斥候は謝罪し、惚れ直した。たとえ己が倒れても、聖職者だけは帰す。声には出さず、一人で決めた。
集合地点で、戦士は『バカだなあ』と小さく笑った。闘士も苦笑いを浮かべた。だが、決して追い返そうとはしなかった。彼らは四人でこそ彼らであり、能力が十全に発揮される。皆がよくわかっていた。
しかし【帰らずの館】はあまりにも無慈悲だった。気付いた時には仲間はおらず、あたかも最初から一人だったかのように、三人はかき消えていた。斥候の後ろにいたはずで、声も掛け合っていた。今思えば、すでに術中にかかっていたのだろう。決意も団結も、全く意味をなさなかった。
その後のことは、ほとんど覚えていない。仲間の行方と敵の正体を追って、ひたすらに館を進んだ。危険な脇道は避け、明かりが指し示す大きな通路を進んだ。しかし出口も、手がかりもなかった。
「……ふう」
一つ呼吸をして、斥候は前を見た。通路の姿に、変化はない。だが今ならわかる。自分はなんらかのまやかし、幻惑の術に掛けられている。そしてそのまやかしを実行できるのは――
「出てこい、【ウィザード】ッ!」
事ここに至るまで、できれば触れたくもなかったその名を、ついに彼は口にした。同時に小型の弩を取り出し、壁に向けて矢を放った。仮に、今見えている光景もまやかしとすれば――
「っく!」
彼の仮説は、的中した。矢の刺さった壁がうめく。同時に空間がひしゃげ、おぞましい声が響いた。
「くくっ……さすがに四人もいれば一人は気づくか……」
「仲間は……ツレはどこへやった!」
空間のねじれがもたらすのか、頭痛とめまいが酷い。必死にこらえつつ、斥候は叫んだ。だが答えはない。無言のままに、彼は床へと投げ出された。手を付くと、ぬるりとした感触。見れば、手の平が真っ赤に染まっていた。思わず、口が開く。
「え」
「我が術に矢を向けた、君の知恵と勇気にに敬意を表し、答えを授けよう。顔を上げてみたまえ」
「あ……」
言われるがままに、斥候は顔を上げ……次の瞬間、全てを悟った。彼が目にしたのは、三つの死体。見間違えることはない。生死と苦楽をともにしてきた、パーティーだった。戦士も闘士も、愛する人も。苦悶の顔を浮かべて折り重なり、横たわっていた。ならば、手の平の血は。
「おお……」
震える手で、聖職者の頬に触れる。汚れていない方の手だ。冷たい感触が、現実を突きつける。常でも白い肌は、いよいよ青白くなっていた。斥候は、すべてを理解した。この認め難い現実を、惨禍を、引き起こした者は――
「……。アンタ、【ウィザード】か」
彼がその言葉を口にしたのは、今日二度目だった。先程までは、誰一人として口にしようとしなかった。皆が可能性に気づいていたはずなのに、無意識に言及を避けていた。なぜなら、それはおとぎ話、伝説の類でしかないはずだったからだ。
「なぜ、ここに。どうして」
「知らんな。村人が、冒険者が、君たちが。僕の居場所を侵した。それだけだ」
ようやく斥候は、声の主を直視した。はるか昔に聞いた伝説通りに、ローブを纏い、長い杖を手にしていた。身体の周りが、ほのかに蒼く輝いている。それもまた、【ウィザード】の証だった。
「かえせ」
斥候は低い声と同時に、矢を放った。しかし通らない。【ウィザード】のわずかに手前で力を失い、地に落ちた。
「うん。還してもいいけど、ただのグール、アンデッドにしかならないよ?」
ケラケラと笑う声は、男のようにも、女のようにも聞こえた。斥候は悟った。自分はもてあそばれている。
「あっ」
【ウィザード】にとっては、地を這う虫けらに過ぎない。自覚が恐怖を呼び、一気に身体を駆け巡った。斥候は激しく失禁し、広間の床を汚した。彼は動揺で気付いていないが、この場は大広間であり、主は玉座に座していた。すなわち。
「ふむ。我が広間を汚したか」
斥候の耳を叩く声色が、明らかに変わった。彼は怒りを察知した。人のようで人でない生き物がまとう、ほのかな光が膨れ上がった。斥候は、震え、さらに漏らした。
「死であがなうが良い」
蒼い光が、奔流と化して斥候へと襲いかかった。無論、致死の一撃である。【ウィザード】の操るそれはたちまち、動けぬ斥候を喰らわんとした。
「あ……」
斥候が顔を上げる。時はすでに遅かった。彼は目をつぶろうとして、別の光に気がついた。
「え?」
「何奴!?」
【ウィザード】の声が耳を叩く。明らかに自分でないものを見ていた。カツン、カツンと、第三の足音が大広間に響いた。
「すべての【ウィザード】はエテルに還れ」
低い声、地の底から醸し出されたような声が、斥候を
「ほざくなッ!」
【ウィザード】が吠える。杖を振るう。今度は光の奔流ではなく、全てを薙ぎ払い得る風が生まれた。たまらず斥候は身を伏せる。だがそれでも、今度こそは一線を守った。先に斃れた仲間を守るべく、屍に覆いかぶさったのだ。
「エテルに還れと言っている」
再び低い声が響く。風は届かなかった。斥候は再び赤金の光に灼かれ、守られた。重くも透き通った足音が、彼に近づいてきた。
「オイ」
「は、はい」
「アイツはアンタじゃどうにもならん。とっとと行け。今ならまっすぐに帰れる」
ローブの下から、ほのかに輝く腕が差し出された。赤金の色ではない。人のそれと、変わらない腕だ。斥候は恐る恐るその手を取り、立ち上がった。
「わかった。でも、少しだけ時間を」
「やれて数秒。そこから先は、【ウィザード】の世界だ」
「構わない」
赤金の輝きに灼かれながら、言葉はかわされた。【ウィザード】は半狂乱めいて風を叩きつけ、赤金の者はそれを難なく防御していた。
斥候は目を見開いた。三人の死体を見分し、白いドックダグを剥ぎ取った。ギルドから授けられた、冒険者の識別票だ。彼はそれを懐に入れると、一目散に走っていった。赤金の男が、やって来た入り口へ
その背後で、声が響く。
「君も【ウィザード】か。名を名乗れ」
「俺は、【ウィザード】じゃねえ……。
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