ウィザード・ディポーター(後編)

 覚えている。燃え上がる村。逃げ惑う村人を殺す、帝国軍の騎士や兵隊ども。守ってくれるはずの軍に襲われた。理由は知らない。知らせてもくれなかった。抵抗は無意味だった。


 彼は森へ逃げ込もうとしたが、たちまち見つかった。矢で追い回され、息も絶え絶え。あとは冷たい土の上で死にゆくだけとなってしまった。しかしその時。彼は見てしまった。


 おそらくは偶然だった。だが、はっきりと覚えている。輝きの抑えられた、黒と濃紺。ローブの立ち姿が二つ。霞みゆく視界で捉えたそれは、彼の頭にすんなりとあるものを想起させた。


「【ウィザード】……!」


 それはおとぎ話、あるいは伝説だと思っていたものの名前だ。大気に存在する微量のエテルを感知し、操る者。強者ともなれば、天変地異を起こすことはおろか、生死のことわりさえ捻じ曲げる……と、書物か何かで見たことがあった。


「ああ……俺たちは」


 なにを話しているのかは、わからない。わからないが、彼の頭は一気に答えをひねり出した。【ウィザード】がこちらを見、あざ笑った。それをたしかに、捉えたのだ。


「俺たちは、あの連中に、【ウィザード】に……。や、か、れ……」


 途端、憎しみが噴き上がった。全身が、燃え上がるように熱くなった。今ならこの憎しみを炎に変え、連中を燃やせるかとさえ思った。当時の彼にはわからなかったが、それこそがエテルの感知、そして操作だった。


『聞こえる。聞こえるぞ、憎しみが……。【ウィザード】を憎む声。怨む声。おお、おお……』


 彼の耳が、謎めいた声を拾った。冥界からこみ上げるような、怨みのこもった声だった。後に幾度も聞くなることになるその声を、彼はこの時、初めて耳にした。


 ***


「俺は、【ウィザード】じゃねえ……。ディポーター。ウィザード・ディポーターだ」


 名乗り。それは【ウィザード】にとって不退転の戦を示すもの。故に、ウィザード・ディポーターは決意をもって告げた。目前に立つ【ウィザード】を倒し、エテルへ還すのだと。


「なるほど。君は私を殺すと。ならば私も、名乗りで応えよう。私はコンフューザー。君を惑わし、そして殺す」

「そうか」


 地の底から響くような重い声で、ウィザード・ディポーターは名乗りに応じた。同時に、ローブをはためかせる。いかなる理屈によってか火炎が生まれ、三つの死体が燃えた。それは斥候スカウトがやむなく置き去りにした、仲間の屍だった。


「死ね!」


 コンフューザーが吠え、杖を振るった。床を叩き割る不可視の波動が、一直線にウィザード・ディポーターへと迫る。だが。


「ふん。エテルに還れ」


 ウィザード・ディポーターが右腕を薙ぐと、波動は一瞬にして霧散した。右腕は赤金あかがねに、不気味なまでに輝いている。彼はそのまま、つかつかと進んだ。不可視の風が次々と襲いくるが、そのたびに右腕を振るい、かき消していった。


「なんだ。なんなのだ貴様は」


 コンフューザーからの声。そこには、おそれが混じりつつあった。ウィザード・ディポーターは右腕を掲げ、力強い言葉を返した。


「お前たち【ウィザード】を、尽くエテルへ還す者だ」


 低い声には、【ウィザード】への深い憎しみが籠もっていた。怒りがエテルにくべられ、ローブが大きく揺らいだ。否。ローブから次々に火の粉が散り、館へと燃え移りつつあった。


「バカな、バカな!」


 コンフューザーが叫んだ。杖を振り回し、次々に風を起こす。だがウィザード・ディポーターには届かない。もはや右腕をかざすまでもなく、彼のまとう赤金のローブとエテルが、すべてを防ぎ止めていた。


「なんなんだ! なんなのだ、貴様は!」


 コンフューザーは半狂乱に陥っていた。杖と腕を振り回し、めくらめっぽうにエテルを操作する。当然届かない。エテルとは本来、もっと繊細なものである。希少なものである。コンフューザーのような扱い方では、やがて。


「なん……な……」


 数回、数十回のエテルの放出を経て、ようやくコンフューザーが膝をついた。乱暴なエテル放出によって、すべてのエテルを使い果たしたのだ。まとっていた青白い輝きも、いつの間にか消え失せていた。


「あの斥候の、あるいは斥候の仲間たちの絶望。その一片でも、知れたか?」


 追い打ちをかけるように、ウィザード・ディポーターは口を開いた。彼は無傷だった。乱雑で散漫なエテル攻撃など、彼の前には子どもの平手打ち以下でしかないのだ。


「あ……ぐ……。ふ、ううう……!」


 膝を落としかけるコンフューザー。しかし耐えた。必死に呼吸を整えようとする。


 【ウィザード】にとって呼吸とは、エテルを取り入れるための必須行為だ。【ウィザード】が取り入れたエテルは体内を循環し、肉体を人ならざるものにする。【ウィザード】がまとう輝きとは、エテルの輝きそのものなのだ。


「すう……。はあ……」


 そして今まさに、ウィザード・ディポーターは呼吸を繰り返していた。戦いのさなかにもかかわらず、一定のリズムを保っていた。故に、コンフューザーよりも多くのエテルを取り入れ、輝きを増す。まとうローブも、いよいよはためく。


「無駄だ」


 足掻こうとするコンフューザーに、追い打ちをかける。己の優位を示し、確実に滅ぼすためだ。だがコンフューザーは抵抗した。口を開き、問い掛けてきた。


「なぜだ。なぜ私を狙う」

「すべての【ウィザード】をエテルに還すためだ」

「なぜ私を知った」

「シラミ潰しと、状況判断だ。立ち寄った村で噂を聞いた」

「なぜ……。【ウィザード】を……!」

「それを貴様は、人間ヒューマンに問うたか?」


 ウィザード・ディポーターの問いかけで、一拍の間が生まれた。コンフューザーの、動きが止まる。その間に、彼は間合いを詰める。もはや目と鼻の先にまでだ。


「う……」

「問うたか?」


 両者の距離、一歩よりも内。少し歩を進めれば、顔と顔がぶつかるだろう。気勢でもエテルでも、とうにウィザード・ディポーターが圧倒している。勝敗は明白に過ぎた。だが。


「うる、さいっ!!! 誰が人間など省みるか! 私は【ウィザード】! 人など超越した、エテルの使い手! 誰にも、止められはしないっ!」


 激昂。魂からの叫び。同時に、コンフューザーの輝きが膨れ上がった。魂のすべてを、エテルにくべたのだ! まさに死を覚悟した咆哮! コンフューザーは腕に輝きを集め、激しく吠えた!


「キサマが何者かなどどうでもいいっ! 私は……【ウィザード】なのだっっっ!」


 光り輝く右腕を掲げ、肩から斜めにに斬り裂かんとするコンフューザー。無論、まともに受ければウィザード・ディポーターの命はない。心臓も含めて身体を両断され、死に至るだろう。しかし。


「ハーッッッ!!!」


 ガンッ。


 シャウトとともに頭上に構えられた、ウィザード・ディポーターの右腕が、その致命的な一撃を防いだ。それどころか、青白い輝きを巻き込み、コンフューザーの腕をやせ細らせていく。赤金の輝きが、ぐんぐんと増していく。


「ま、まさかその腕は!」


 コンフューザーは目を見開いた。それは彼ら【ウィザード】にとっては、天敵ともいえるものだった。


「そうだ。【リフレクター・ハンド】。貴様らを討ち滅ぼす手だ」

「な、バカ、な……」

「さて……な!」


 ウィザード・ディポーターは、いよいよ力を失ったコンフューザーの腕を跳ね上げると、指を手刀の形に収めた。そして、迫真のシャウト!


「セイヤーッ!」

「ゴバーッ!?」


 【リフレクター・ハンド】がまごうことなくコンフューザーの胸を貫き、心臓を突き穿つ! いかに【ウィザード】といえども、心臓を貫かれては死あるのみ! 見よ! 手刀に貫かれたコンフューザーの身体が、塵へと変わり、崩れていく!


「あ……。あああ……あ!」

「すべては貴様が【ウィザード】だからだ。さらば」

「ガアアアアア……!」


 塵に変じたコンフューザーは、やがて塵さえも消えていき、跡形もなくなってしまった。エテルによって構成される【ウィザード】は、死ぬと霧散して消え果て、エテルへと還る。コンフューザーもまた、その輪廻へと飲み込まれたのだ。


「ハアッ!」


 ウィザード・ディポーターは暫しの間残心を行うと、すぐにエテル跳躍を行い、姿を消した。館の火は高く、紅く燃え、人間と【ウィザード】、それぞれへの狼煙となった。



 エピローグへ続く

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