第二幕「最強」


「あ、エレナ」

 選手用通路を出たところで、エレナが立っていた。何故か、眉をひそめて気難しそうな顔をしている。

 やあ、と手を上げる前に、彼女の声が僕の行動を遮った。

「ヨル、聖戦の選手だったのね」

「……エレナ?」

 その声は、とても悲しげに聞こえた。エレナの瞳は僕を見ているようで、その実、もっと遠くの何かを見つめているように感じる。

 何て返せばいいのかわからず、沈黙してしまう。彼女は何で、あんなにも憂いを帯びた表情なのだろう。

「なんで言ってくれなかったの?」

「え、あ……ごめん」

「……ヨル、私は」

 ――グゥギュルルルルル。

「あっ」

「えっ」

 エレナの声を遮障し、腹の音が大きく鳴り響いた。犯人は、僕だ。

 そういえば、ここ数日間まともな食事を摂っていなかった。今まで忘れていたのが不思議だが、思い出すと見る見るうちに力が抜けてくる。

 体重を支えられなくなり、膝が折れ、僕はその場にへたり込んだ。

「ちょ、ちょっとヨル!? どうしたの」

「……おなか……すいた」

 何とも情けない声を絞り出すと、エレナは口をぽかんと開け、大きなため息をついた。

「――あーもう! 仕方ないわね」

 僕の手を掴むと、それを強引に引っ張って歩かせる。ふらついた足取りで付いていくと、椅子や机が数十、否、百以上は並べられた広闊な部屋へと辿りついた。

 そこには観客と思われる人々がたくさんいて、見たところ全員ご飯を食べているようだ。

「ここは、食堂?」

「正解。コロッセオ内部には、いくつか食事を提供してくれるお店があるの。ここもその一つよ」

 適当に空いてる席へ座らされ、待つこと数分。

「お待たせしましたっと」

「お、おぉ――」

 エレナが運んできたのは、料理が盛られたいくつかの皿であった。目の前に並んだそれを前に、思わず生唾を呑み込む。

 肉、サラダ、スープ、白米。一般的な部類だが、空腹時の今なら最高級のご馳走に見える。

「……そんな目で見なくても、食べていいわよ。これは私の奢りでいいから」

「エレナ……! 君は、なんて慈悲深い……ありがとう……ありがとう」

 涙が出てきた。

「そこ泣くところ!? 一々リアクションでかいわね、アンタ……」

 目元を拭い、両手を合わせてエレナと食の神に感謝をする。

 そして、スプーンとフォークを手に取り。

「いただきます」

 ひたすらに、腹の中へ掻き込んだ。

 肉、普通。少し固め。サラダ、味が薄い。けど、素材そのままでむしろ良い。スープ、こっちは味が濃すぎる。白米で中和。掻き込む。

 水で流し込んで――美味い。最高だ。

 ふと前を見ると、夢中で食べている僕の姿を眺めながら、エレナが頬杖をついて微笑んでいた。

「どうしたの」

「ううん、何も。美味しそうに食べるなーって」

「美味しいよ。感謝してる」

「じゃ、今度はヨルが奢ってね」

「……努力はしてみる」

 僕が自信なさげに言うと、エレナは悪戯っぽく笑った。屈託の無い綺麗な笑顔に、少しどぎまぎする。

 気恥ずかしくなって、最後まで残ったしょっぱいスープを啜りながら話を逸らした。

「そ、そういえば。さっきは僕のせいで話が途切れちゃったけど」

「ん?」

「食堂に来る前、何か言いかけてなかった?」

「あー、いいの。忘れて。大したことじゃないし」

「そう、ならいいけど。…………しょっぱい」

 どれだけ調味料入れたんだ、これ。


 観客席に戻ると、ちょうど第四試合が終わったところだった。得物を掲げて勝利を喜ぶ選手に、惜しみない拍手と歓声が送られている。

 勝ったのは盾と槍を構えた騎士のようだ。守りを固めて相手の隙を突く、防御特化のタイプなのだろう。僕はああいった手合いが苦手なので、出来れば当たりたくない。

「次の試合はいつなの?」

「第十一試合だったと思う。対戦相手は……第五試合の勝者か」

「第五って、次じゃない」

 促され、四方に掲示された巨大な板の一つを見る。そこには対戦表が書かれており、出場者全員の名前が並んでいた。

 僕の名前から始まり、その数はざっと二十名。大会の規模から見れば多くはないが、全員が予選を勝ち上がった強者だ。見応えとしては、十分過ぎるだろう。

『――ノーブル・ケントフ、前へ』

 そうこうしている内に、第五試合が始まろうとしていた。ハークスの声に応じて、全身を厚みのある角張った鎧で固めた大男が登場する。

 その欲張りなまでに重層な甲冑を見て、こいつも防御タイプか、と内心でため息をついた。僕の短剣では、突破するのに相当な苦労を要求されそうだ。

 加えて、男からは尋常ならざる殺気を感じる。初戦からそこまで……と思ったが、考えてみれば、この場はもう全試合が決勝のようなものだ。全力を出さない選手など、おそらくいないだろう。もちろん、僕も初戦から全力だった。

 どう戦おうか算段をつけていると、観客が一斉に響めき始める。フェンスが死角になって見えないが、もう一人の選手が出てきたようだ。

『クリストファー・アーチノイズ、前へ』

「げっ」

 選手名を聞いた途端、エレナが顔をしかめた。何だろうと思っていると、「あのね」と口を開く。

「次の試合、ヨルにはすっごい勝って欲しいんだけど……ちょっと難しいかもしれない」

「む、僕が負けるってこと?」

 不満げに返すと、エレナは気まずそうに頬を掻きながら、困ったような表情をこちらに向けた。

「もちろん、絶対負けるって訳じゃない……けど」

「相手が悪い、と」

「率直に言えば、そうなるわね」

「ふむ……」

 腕を組んで、エレナの言葉を勘案する。ここから見える大男はたしかに強い。あの大鎧を纏いながらも歩く姿に乱れがなく、片手で軽々と持っている斧も相当な重量だろう。腕力は言うまでもなく、体幹の強さやバランス感覚もかなりのものだ。おそらく、天性の肉体と圧倒的な基礎トレーニング、その二つが噛み合った結果であろう。

 だが、僕に勝機はあると予想する。実際に打ち合ってみないとわからないこともあるが、少なくとも機動力で押すタイプでは無いはずだ。これでも僕はスタミナに自信がある。速さのアドバンテージを活かせば、消耗戦に持ち込むことも不可能ではない。要するに、こいつはどうにかなる。

 問題は、未だ姿の見えない方。エレナは名を聞いただけで僕の敗北を予想したが、それはつまり。

「クリストファー・アーチノイズ……そんなに強いんだ」

「彼を知らないの? 前回聖戦の優勝者よ。それに、今の王国で彼より強い人は――」

 言葉の途中で、試合開始が宣言された。ハークスの言葉が余韻を残して響き、観客は各々の想いを口にして叫ぶ。

 同時に動いたのは大男――ノーブルだ。彼は前へと踏みだしつつも、相手がどう動くかを量っているように見える。一方、クリストファーは動いていないのか何なのか、未だに姿が見えない。積極的に前へ出る戦い方では無いようだ。

「互いに初動はお見合いか。これは」

 長い試合になりそうだね。僕がそう言おうとした刹那、背筋に嫌な感触が走った。

 それは、まるで自分が猛獣の群れに囲まれているかのような、底無し沼に放り出されたかのような、言ってしまえば警鐘であった。僕は客席から見ているだけなのに、脳は戦闘時のように第六感を全力で稼働させている。このままではやられる、避けろ。そんな声が自分の内から響いて止まらない。

 横目でエレナを見るが、至って普通だ。固唾をのんで試合を見守っている。なのに、僕は今すぐにでも叫びたい衝動に駆られていた。ノーブルに向けてただ一言「避けろ」と伝えるべきだと脳が喚いていた。だけど、その猶予は無い。もう一秒もすれば、何かとんでもないものが。

 来た。

「……お?」

 断末魔は、それだけであった。

 ノーブルが疑問めいた言葉を発した直後、彼の周囲で砂埃が巻き起こる。最初こそ小さかったものの、それは秒を重ねるごとに勢いを倍増させていった。

 僕は、その光景に見覚えがあった。始めは微風だが、気付いた時には身体が吹き飛ばされるほどの暴風になっている竜巻。これは――。

「風魔術……!」

 驚愕している間にも、竜巻は勢いを増していく。巻き上がる気流に翻弄され、ノーブルの上半身がぶれ始めた。彼は懸命に踏ん張るが、努力虚しく、狙われたかのように右足が掬い上げられる。バランスを崩したが最後、鎧を纏った巨体が空に浮き上がった。

 得物の斧も風に攫われ、錐揉みしながら上昇していくノーブル。対抗できる手段を持たないのか、彼はただ身を丸めて良いようにされている。数秒後、十五メートルはあろうかという高さまで持ち上げられたところで、ノーブルの身体がぐったりと開いた。どうやら、気絶したようだ。

『……ノーブル・ケントフ、戦闘続行不可能。よって勝者、クリストファー・アーチノイズ』

 即座に軍配が上がり、直後、竜巻の勢いも衰退を始める。しかし、未だノーブルの身体は宙に浮いたままだ。これでは、地面に叩き付けられることとなる。身体が動きかけるが、僕の速度でも間に合わない。彼が頭から落下する光景を想像し、悪寒が走る。

 だが、そうはならなかった。ノーブルの身体が地面に墜落しようかという寸前、どこからか四つの光が飛来し彼に纏わり付いた。するとどうだろう、落下の速度が殺され、ノーブルは僅かな衝撃のみを受けて地へと落ちたではないか。

「手荒な真似をしたこと、謝罪しよう。だが許せ。貴君を秒で打ち破るには、この方法が最適だと判断した」

 ノーブルに向かって、毅然と歩く男がいた。白銀の鎧を煌めかせ、後頭部で結ばれた茶髪を遊ばせ、漆黒の直剣を振り払う。その男は片手で簡単そうにノーブルを持ち上げ、肩へと担いだ。

 一目見て確信する、こいつは。今まで様々な猛者を見てきたが、それでも師匠を超えたと思えるような人間は片手で数えるほどだった。だが、この男――クリストファー・アーチノイズは、師匠すらをも軽く凌駕していると視認しただけでわかってしまう。

 額から、一筋の汗が落ちた。強く握りしめた右手がぶるりと震える。僕は、この化け物と戦って、勝たなければならない。

「……はは」

 乾いた笑いが漏れた。怖いけど、恐怖からではない。楽しみなのだ。

 今僕は、間違いなく最強の男を目にしている。そして、この男、クリストファーを打ち破ることが出来れば、つまりは僕が最強ということだ。

 ――いいさ、やってやる。

 目標がはっきりと定まった。倒すべき相手を見下ろし、闘志を燃やす。奴を超えると心に誓い、目を細めた。

 僕は。

「クリストファー・アーチノイズ、君を超えて……最強になる」

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黒き翼のクルセイド -dawn of Jormungand- みづき @aoi_mizuki

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