立ち枯れ
今年も酔芙蓉が咲き始めました。
美咲は今日も元気です。
お社の色を塗りなおしてみました。赤じゃなくて朱色と言うらしいです。塗ってる間、臭かったのか、颯太郎は近づいてきませんでした。狐さんもどこにもいませんでした。
ひみつ基地にいたのかな? それとも、池の方で泳いでたのかな? 池の金魚はとっても大きくなっています。
昔は、美咲の指の先っぽくらいしかなかったのにね。
狐さんは喜んでくれるかしら?
暗い道だった。どこまで続いているのか、それともあと一歩で道が終わってしまうのかすらわからない。
前を見つめようが、右も左も同じこと。長い長い暗闇だった。
顔の先に何かがいるかもしれない。
今まさに、三代に大きな黒い手が迫っていて、すぐにでも食われてしまうかもしれない。
まっすぐ歩いているのかすらわからなかった。
だが、三代は歩き続けるしかない。どうせ戻ったところで、元の所へは戻れないのだ。
一歩踏み出した瞬間、目の前には狐が鎮座していた。
あの社の狐だ。
その赤い瞳は、怒りに濡れていた。
「お前……」
「ああ、そうだよ、あの木だよ」
狐の後ろにはあの大きな酔芙蓉が見事に咲いている。時折ぼと、ぼと、と音を立てて紫色になってしまったしぼんだ花が落ちていた。
三代が自分の首をさする。
「少し話をしよう。俺も納得がいかんでな」
「ああ、いいよ。時間は十分にあるからね」
九本の腕のような形をした白い尾を眺めて、三代が緩慢に頷いた。
「どうして、あんなことを?」
「どうしても、こうしても。仕方がなかったんだよ。人は死ぬ、それだけの事」
「どうしてあんな場所で。もっとひっそりとできなかったか。お前を見つけたのは美咲だぞ」
「私も同じだったわ。母さんのこと見つけたのは私。納屋の梁で首を括って……」
咲いたまま落ちてしまったらしい白い花を拾って三代が目をすがめた。
「まあ、足の悪かった母さんがあんなところへ登れるわけないでしょうから、きっと誰かにやられたんでしょうけれど」
「どうして……」
狐がしっぽをざわざわと揺らす。手招きをされているようで、三代はくすりと笑ってしまった。
「だって、美咲は私に似ているんだもの。そのうち、私に成り代わってしまうわよ。どうしたものかしら」
三代がくたりと首を傾げた。
首にはもう力が入らない。あんなことをしたのだから当然のことだ。
狐が息をのんだのが分かる。妙に人臭い獣であった。
「私、とにかくあの子が幸せであってくれたらよかったの。そのために、私みたいなしがらみは、あの子の前から消えるべきだったの。こうすればあの子は私の娘であると言わなくてもよくなるわ。」
「じゃあ、あの選択は正解だったって言うわけだな。お前はそれで胸を張れるんだな、あの子に」
「ええ、もちろん」
「それに、あの子にはあなたがいるじゃない」
三代が社の屋根に引っかかった芙蓉の葉を払い落としてやる。
「私みたいな、いつか無くなる物はあの子にとって必要じゃない。あんたはあの子と一緒にいてあげるんでしょ? 誓ったわよね。あれが嘘だというのなら、私は今ここであんたを殺すわよ」
「嘘なわけあるか」
狐がすぐに言い返す。最悪、彼女のことを殺したのはこの疑り深さかもしれなかった。
三代の目はぞっとするほどに冷たい。死人の目とは思えないほど力の宿ったものだった。
彼女はしばらくの間黙って狐を見つめていたが、ふ、と息を吐くと口元だけで笑う。
「じゃあ、美咲のことは頼んだわよ」
「康介がいるだろう」
「あのことあの人は私がいなきゃ上手くいきっこないわよ」
その自信はどこから来るものなのか。
「お仏壇も、お墓もいらないわ。康介さんもあなたのことには気が付いているだろうし、何も言うことはないでしょう。だから、なるべく美咲のことは放っておいてあげてね。彼女の思うとおりになるように。自分のやりたいようにやらせてあげて。
もし、私や康介さんと同じような仕事に就くっていうのなら……狐あんたが手助けしてあげてね」
三代が見事に色を変えた酔芙蓉を一輪だけ摘む。自らへの手向けとでもいうかのようにそれを長い髪に差し込むと、どこへともわからぬ闇へ一歩踏み出していった。
「もう行くのか?」
と狐が問うと、
「颯太郎を待つわ。あの子は連れてってあげないと、美咲を待ちそうだから」
と緩い返事が返ってきた。
首は依然として曲がったままだった。
芙蓉の庭 八重土竜 @yaemogura
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