第3話 仮初めの二人


「外では唐突にヴィランが襲ってくるか、そうじゃなきゃ何の異常も見られないって感じだな」


 昼下がり、かぐやの家の居間。

 タオの言葉に、向かい合ったレイナ達も、それぞれに頷く。


 あの後、エクス達は一度、外に出向いていた。

 そこに広がる街――“都”は、オリエンタルな家屋の並んだ、賑わいのある場所だった。

 人が多く、想区の中心地には違いないように思われた。


 だが、そこは人々が日常生活を送っているだけで、カオステラーのヒントになるような成果は、ゼロだった。

 で、四人は、仕方なくかぐやの家へと戻ってきた。


「地道に調べるしかない、とはいえ、これではらちがあきませんね」


 シェインの言葉にエクスも、うん、と応える。


「かといって、ここに留まってるわけにもいかないし……どうしようか?」


 有り体に言って手詰まりだ。

 レイナ曰くカオステラーの気配は、確実にこの想区にある。

 だが、その尻尾が掴めなければ、どうしようもない。


 と、そのとき、家の入口の方で、翁夫婦の声が聞こえた。


「すみませんが、お帰りくだされ」


 訪ねてきた結婚希望者を追い返しているのだ。

 少し間を置いてから、翁とかぐやが戻ってくる。


「また、かぐや目当ての貴族ですよ」

「私のせいで、あの、何だか、申し訳ありません」


 頭を下げるかぐやに、エクスは慌てて手を振る。


「かぐやさん達が謝ることではないですよ。僕らこそ、こうしてお邪魔してすみません」


 エクスが言うと、かぐやを守ってもらってもいるので助かっていますから、と翁は優しく言ってくれた。


 ただ、いつまでもこうしているわけにはいかない、と思うエクスだったが……。

 ふと、かぐやが顔を上げるのを見て、その表情に、既視感を覚えた。


「……」


 エクスは、今し方のことを思い返して、口を開いた。


「……かぐやさんって、結婚に乗り気じゃないって話でしたよね」

「……はい」

「それは、どうして? ……あ、いや、応えたくないなら、無理にとは言わないけど」


 すると、かぐやは首を振って、静かに応えた。


「いいえ、隠しているわけでもありませんから。……結婚をしても、結局は、なかったことになってしまうからです」

「……なかったこと?」


 エクスは吸い込まれるようにかぐやを見る。

 それはやはり、あの悲しげな顔だ。

 かぐやはかすかに上方を仰いだ。

 語るのは、かぐやの運命のたどる先のこと。


「わたしは、月に帰るのです。そう遠くないうちに」

「月?」

「空に浮かぶ、あの月に。それが、私の運命の書に記された結末なのです」

「……」

「私はこの都の人間ではない。私は月の住人。同じ月の住人に連れられて、帰っていく。ここにいるのは、短い時間なのです」


 エクス達は始め、何とも言えなかった。

 けれど、かぐやが真摯に自分の運命について語っているのが、皆にはわかった。


「だから、結婚も出来ないのです」

「ここからいなくなっちまうから、結婚をしたくても出来ない……っつーことか」


 タオの言葉に、かぐやはまた、静かに頷いて見せた。

 エクスは腑に落ちるような気がした。


 ここからいなくなる。

 それが、単純で、しかし逃れられないかぐやの未来だったのだ。


「かぐやさんが……凄く悲しそうにしているように見えたのは、それが原因だったんですか……? 出会った時、月を見ていたあのときに……」

「見ていらっしゃったのですね。否定はしません……ですが、それが運命だというのなら仕方のないことだと、納得はしています」


 と、かぐやはすぐに、声の調子を戻して続けた。


「月が故郷だというのなら、帰るべきなのでしょう。それが私のたどる道だというのなら、そこに何か意味があるのだと思います。悲しくはありますが、それが正しい道なのでしょう」


 想区の人間は、運命の書に記された運命の通りに、人生を歩む。

 ならば、かぐやの言葉はまっとうなもので、当たり前のものなのだろう。


「でも……」

「?」


 エクスに対し、かぐやは、ほんの少しだけ笑みを作って見せた。


「結婚自体をしたくない、と思っているわけではありません……」

「……」

「運命の書では出来ない、というだけで。女性としてはやっぱり、少しだけ憧れはあります。それが少し心残りと言えば、そうかも知れませんね」


 その笑顔には、別の感情も含まれているように見えた。

 でも、かぐやはそれを隠すように続けた。


「ただ、結婚が出来ないことは決まっているので、結婚の申し込みをされると困ってしまうのは事実ですが……」

「まあ、確かにありゃ、迷惑だわなー」


 タオが改めて言う。

 実際、ひっきりなしに結婚申し込みが来るので、落ち着かないのは、エクス達にとっても事実ではあった。

 かぐや本人や翁夫婦は言わずもがなだろう。


「あれが続くと、この家の人間もそうだし、何よりオレ達も調査どころじゃなくなるよな。どうにかできれば、したいよな」

「おや、タオ兄、何か考えがありそうな口ぶりですね」


 タオから何かを読み取ったシェインが、促す。

 するとタオは、口の端を持ち上げて笑みを作る。


「まーな。この天下のタオ様をなめちゃいけねーぜ。オレも、ただぶらぶらしてたわけじゃない。結婚申し込みを減らすことができる、秘策がある!」

「えらく自信満々ですね。して、その方法とは?」

「要は、誰かしらが、かぐやの恋人のフリをすりゃいいのさ。『もう恋人がいるから結婚申し込みは受け付けません』てアピールすりゃ、貴族どもも諦めるに違いねーぜ!」

「え、えぇ?」


 それに驚いたのはエクスだ。

 恋人のフリ、という言葉が、いかにもかぐやのイメージとそぐわない。


「そんな無茶な。大体、誰がそんなこと……」


 すると、それなりに下心を含んだ表情で、タオが自分を指した。


「そりゃもちろん、タオ・ファミリーでも随一の男ぶりを誇るこのタオ様が――」

「おおお! それは名案ですじゃ!!」


 と、それに目を輝かせたものがいた。

 意外にも、かぐやの親であるところの翁である。


「フリだけでもいいわけですしな! かぐやを迷惑な男から守れるし、それに腕っ節もありますからな!」


 身を乗り出してくる翁に、エクスは困惑しきりだ。


「え? あの、おじいさん、本気ですか?」

「もちろんですじゃ、困る人はいないし、やってくれるというのなら、断る理由がありませぬ」

「……」

「そうだろう、じいさんよ。俺も美女と恋人ごっこができるなら、何よりだし――」

「というわけで、エクス殿、頼めますかな」

「え? 僕……?」


 エクスとタオが、静止する。

 翁ははじめからエクスの方だけを見ていた。


「それ以外に誰がおりますかな」

「タオは……?」

「タオ殿は、正直かぐやには不適格かと。かぐやの好みでもありませんし」

「……ひどくない?」


 タオが真顔になって訴えていると……。

 何だか知らぬ間に決定したような流れになってしまい、エクスは焦った。


「ちょ、ちょっと待ってください。おじいさんの気持ちはわかりますが、冷静になってください。恋人のフリだなんて」

「そうよ、別にエクスがやらなくてもいいでしょ?」


 口を挟んだのはレイナである。

 しきりに、エクスとかぐやを交互にチラチラ見ていた。

 エクスは頷く。


「大体、肝心のかぐやさんの気持ちを無視しているでしょう。恋人のフリなんて」


 初めて自分に注目が移ったかぐやは、始め黙っていた。

 それから身じろぎして困った様な顔になり、ぼそぼそと声を出す。


「あ……あの。私は、その……別に……」

「……?」

「結婚の申し込みをされる方がいなくなれば、そういった方々にも余計な手間を取らせることはなくなるでしょうし……。おじいさまがいいというのなら……も、勿論エクス様にご迷惑でなければですが……」

「えぇ……」

「では決定と言うことで。何、一緒に都を歩いて頂けるだけでもいいですじゃ」


 翁は喜びをあらわにしていた。

 レイナは何となく不満げに、エクスは少々呆気にとられて。

 タオは切なそうにしていた。


「オレの立場は?」

「タオ兄はタオ兄ですから」


 シェインはよくわからないようなことを言いながら、何故か微妙に機嫌がよさげだった。

 出されていたお茶をすすり、続ける。


「それに、この案。別の効果も期待できるかも知れませんよ」





「何だろう、視線が痛い」


 エクスは縮こまりながら呟いた。

 家からしばし野原を歩き、大きな橋を渡ってたどり着く、都。

 人家や商店なども建ち並び、変わらず賑やかだ。


 その中央通りを、エクスはかぐやと二人で並んで歩いていた。

 そこかしこで、ひそひそと囁くような声が聞こえる。


『あのかぐや姫が男と二人で……』とか、『とうとう結婚相手が決まったのか……』などという、噂話だ。

 要は、思った通りの反応だが……エクスは今になって不安になってきた。


「いいのかな、こんなことして……」

「あ、あの、私のせいで、申し訳ありません……」


 横でかぐやが言う。

 エクスに並んで歩くかぐやは、いつもより綺麗な着物を着ていた。

 翁に着せられたのだ。

 かぐや本人は、家を出たときから、顔を伏せ、歩きはどこかぎこちなかった。


「いや。僕の方こそ、何だかすみません。こんなことになっちゃって……なんなら、今から帰っても」

「あ。い、いえ、それは」


 かぐやは、弱い声でそれを止めた。


「……私、むしろ、お礼を言わせて欲しいくらいなんです」


 それから、顔を上げた。

 エクスに意外だったのは、かぐやの顔がいつもより、明るく見えたことだ。


「こうしてもらわなければ、私、自由に都を歩くことも出来なかったでしょう。だから感謝しているんです。見えない景色を、見ることが出来た。……エクス様のおかげです」


 それに、と、かぐやはそこで、またぎこちない表情になった。


「あの……それに。私は……今日の事は、本当に、嬉……って、きゃっ?」


 と、かぐやがけつまずいたのは段差だ。

 よほど風景に意識が行っていなかったらしい。

 一応、それを見逃すエクスではなく、しっかりとかぐやを支えて助けてあげた。


「大丈夫ですか?」

「は、はい……」


 抱きかかえられたかぐやは、ほんの少しだけ、頬を朱に染めていた。




「むむむむむ……ちょっとー、何なのよあれ……あそこまでする必要ある?」


 二人の様子を、物陰に隠れて眺めていたレイナが言った。

 その横ではタオが、面白そうにレイナを見る。


「お? 何だお嬢? 気に入らないのか? エクスが美人と二人で歩いているのがいやなのか――痛だだ!」


 タオがレイナに耳を引っぱられている最中、シェインもエクス達を眺めている。

 タオは耳を押さえつつ、聞いた。


「シェイン、そう言えば、あの恋人のフリで、別の効果もあるって言ったよな?」

「ええ。つまり、あの二人が恋人だと喧伝されることで、カオステラーに動きがあると思ったのです」

「カオステラーに?」


 シェインはタオ達をちらりと見て、説明する。


「考えてみてください。おそらく、かぐやさんは、想区の主役でしょう。で、積極的にかぐやさんに関わりに来た人は、皆結婚を求める男性達でした」

「……なるほど。シェインは、その中にカオステラーがいると思っているのね」


 レイナも思い至ったように言う。

 タオも、そうか、と理解した。


 男達は、かぐやと結婚をしたがっている。

 だが、かぐやはいい反応を示さない。

 何しろ、結婚する運命にはないからだ。


 それに不満を持った人間が、カオステラーに憑依されていないとは、かぎらない。


「女に振り向いてもらえない男の悲しみってやつか」

「ええ。まだ可能性の段階ですが。もしそうだとすれば、カオステラーが今の状況を放っておくはずはないんです」


 だから、何かが起こるはず。

 シェインが別の効果といったのはそのためだ。

 勿論、そのあてが外れる可能性はあったが――


「ビンゴ、ですね」


 シェインが言ったのは、突如、物陰から、道に黒い影の集団が現れてきたからだった。

 蠢くようなシルエットに、クルルゥ……という鳴き声。

 それは既に、背後からエクス達に狙いを定めているように見えた。


「全くの予想通りでしたね」


 シェインは既に、英雄にコネクト。

 グレーテルの姿となって、鋭利な片手剣を携え、駆け出していた。

 タオも、ヘンゼルの姿へ変化して続く。

 アリスになったレイナが追いつく頃には、エクスも事態に気付いていた。


「これは……!」

「エクス、気をつけて! あなたが狙われるかも知れないわ!」


 レイナが剣を振るい、最後尾のヴィランを薙ぎ払いながら言う。

 すると、言葉通り、多くのヴィランがエクスの方に進軍を進めた。

 かぐやははっとする。


「エクス様――」

「大丈夫。僕の後ろに隠れていてください。あなたは僕が守ります」


 エクスは栞を取り出しながら言った。

 は、はい……とかぐやが応えるのを背に聞きながら、エクスはモーツァルトにコネクト。

 瞬間的に、膨大な魔力のフィールドと共に、葬送曲を奏で始める。


 敵は数は多かったが、幸い、強い個体はいなかった。

 エクスの強烈な攻撃にやられて、一気にほとんど全てが消滅する。


「すごい……」


 かぐやが感嘆の声を上げる頃には、レイナ、タオ、シェインが残党を始末し、あっという間に都は元の風景に戻っていた。

 ふう、と息をつき、エクスはかぐやに振り返った。


「大丈夫ですか? どこか、怪我をしていたりは……」

「平気です。エクス様が、守ってくださったので」


 かぐやは目を伏せた。

 それから、ポツリと呟く。


「これが、殿方に守ってもらう、という感覚なのですね……」

「え?」

「……な、何でもありません」


 かぐやはどこか照れたような声を出して、自分の顔を隠した。


「……」

「痛ッ! お嬢、無意識でオレを蹴るのはやめてくれ!」


 後ろの方ではタオの悲鳴が響いていた。





「何にせよ、これで方向性は掴めたな」


 一度かぐやの家に戻った一行は、今後の話し合いをしていた。

 タオの言葉にシェインは頷く。


「決定というわけではありませんが……結婚を断られたりした貴族さんのうちの誰か、という可能性が濃厚になりましたね」


 これで、調査は進展したと言っていい。

 あとは、やることをやるだけだった。

 シェイン達の考えを後になって聞いたエクスは、ため息をついていた。


「そういう狙いがあるならはじめから言って欲しかったよ……。何だか、針のむしろって感じだったよ」

「あれだけ仲よさげに歩いた上で言われてもな……」


 タオが呆れたように言うと、かぐやは落ち着かなさそうな面持ちになって、身じろぎしていた。

 翁はそんなかぐやの様子を見て、嬉しそうに笑った。


「エクス殿。何ならば、ずっとこのまま家にいてくださってもよろしいのですぞ」

「さ、さすがにそれは出来ませんよ」


 エクスが慌てて言う。

 そんな最中にも、かぐやは控えめに、エクスの顔を窺っているのだった。

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